小説『先生の庭』解説

;はじめに

 このテキストは、今年筆者・文乃綴が執筆した中編小説『先生の庭』の解説を目的としている。

言ってしまえばこれは芸人が自分の芸について解説をするようなもので、これはあまり褒められたものではないのだが、あの作品自体が憂国忌という一つの節目を前にして書かれたもので、現状の筆者の三島由紀夫解釈の中間発表のようなものでもある作品であるから、こうした解説を書くことによって読者諸兄が私の作品は無論、三島由紀夫作品について面白く読める、新しい視点を持つことができるようになると信じて、このテキストを書く。


;構成

 小説『先生の庭』は、パスティーシュと引用を手法として用いた歴史改変モノである。具体的には、三島由紀夫自身の書いたテキストの引用と、彼自身の文体を模倣した上で展開されている。

また、第一章・第二章と区切る方法も、途中に入る「⁂」の記号も、彼が小説で用いがちな手段として考えられ、検討された上で導入された手法である。

この方法は非常に手間がかかり、実物となる小説や論文を読んで、読んだ上で使用可能な部分を切り取り、別個の新しい小説にするというもので、この構成はある意味ではウィリアム・バロウズのカットアップ/フォールドインの手法にも近い。もっともウィリアム・バロウズのそれが言語の法則性から逃亡・逸脱するための手段であったのに対し、この小説『先生の庭』で用いられた方法はランダム性よりも寧ろ、三島由紀夫文学の首尾一貫性を表現するためのものであったと言うべきである。

 彼のテキストに現れる思想的一貫性と予兆、その表現は恐ろしくも素晴らしいもので、とくに『鏡子の家』においては、鏡子という人物を通じて複数の男性の像をプリズムのように映し出す構造を持ち、これは三島由紀夫という人間がその時点で、それ以降に持ち得る自分自身のビジョンの暗示でもあった。そもそも三島作品自体が、彼自身と小説とが離れがたいほどに結着したものが大半であったことを思えば、非常にこの『鏡子の家』という作品は示唆的で、この作品が評価されなかったということは、彼が思い描いた自分自身の未来像、そのニヒリスティックな結末自体が評価されなかったということでもある。無論、三島はショックを受けるわけだが、この三島由紀夫という人物は文壇人の小ずるさを理解していなかったか、或いは理解していても尚受け入れがたいと思っていたのかは定かではないが、そうした事情を後世のファンである私が理解することは可能であっても、当時の人間に理解するのはまず困難であっただろうと思われる。

 とは言え、彼が自分自身の思想や未来像を小説の中に込めるというのは、殆ど、大半の作品で実践されていることであるから、何も『鏡子の家』に限っただけの話ではないのだが、それでもやはり『鏡子の家』という作品が示唆する未来像というのは如何にも意味深長なものであると言わざるを得ない。

例えば『仮面の告白』では、彼の身に起こる(或いは、起こす)出来事の殆どが網羅されているといっても過言ではなく、『金閣寺』『午後の曳航』『禁色』『わが友ヒットラー』『サド侯爵夫人』『スタア』『英霊の聲』……とにかく、彼の作品は他でもない彼自身にとって呪いのように作用してきたし、本人もそれを望んでいたようなフシがあったようにも思う。


;目的

 そうした面倒臭い、報われるかも分からぬ、理解されるかも知れないような構成を用いたのは、他でもない彼自身の言が、彼の史実における結末を暗示しているという前提を下に、そうした結末を迎えなかった自分自身を、つまり三島由紀夫自身を告発し、痛罵するのは彼自身の言葉以外にあり得ないと筆者が考えていたからだ。

三島由紀夫について議論をすると、三島が可哀想だとか、或いは勿体ないといった言葉が漏れ出てくることがままあるわけだが、そうした言自体が、三島由紀夫という文学者、三島由紀夫文学なるものの価値を毀損していると感じられてならず、それはやはり、真剣に彼自身の作品を読み込んでいけば「そんなことはないだろう」と言わざるを得ないことが良く理解出来るはずだから、である。

 この小説『先生の庭』においては、彼が市ヶ谷事件決行に失敗した後、森田必勝は自決し、三島由紀夫は生き残ってまた小説を書き続け、1994年には以後の作品が評価されノーベル文学賞をとるものの、他でもない作中の三島自身が、事件以後に書いた自身の作品群の中身を覚えていないという設定になっている。これはそもそも、史実世界では市ヶ谷事件が起こっている以上、彼の事件以後の作品というのは存在しないのだから当然の話ではあるのだが、作中の彼・三島由紀夫が事件以前の作品を記憶しながら、事件以後の作品を記憶していないという構造自体、作中の彼・三島由紀夫の罪悪感、いわば”罪と罰”、”悔恨”を暗示する構造をとる。彼にとり、彼自身に突き刺さる力を持っていたのは事件以前の言葉・作品であって、事件以後の作品ではないのだ。


:曖昧さ

 この作品を書く上で重視したのは”曖昧さ”である。

 と言うのも、三島作品というのはこの茫漠とした、日本文学特有の曖昧な雰囲気、空気というものを終ぞ身に纏うことができなかったように私は感じるからだ。そうした作風は他でもない彼の師匠筋である川端康成の得意とした手法であったが、三島自身、川端康成の作品でもっとも好きなのは、彼が珍しくカッチリと話を組んだ『千羽鶴』であることを考えると非常に示唆的である。

彼の文学には常に明晰さが伴い、何か怜悧な思考を登場人物たちは駆使せざるを得ない。ところが、そうした中身は同時にある種の明快さ、分かりやすさを三島文学に付与してしまった側面があり、この観点から三島作品の文学的価値が減じられるような解釈がなされることもある。

この作中の彼は、そうした茫漠さ、曖昧さを味方につけ、その代わりに文学者・三島由紀夫という存在、概念、解答を失うというトレードオフの構造を取るようになっている。例えば、典型的な戦後民主主義者であり、生命尊重主義をモットーとしていたであろう大江健三郎が大江光氏と共に無理心中を行う、曖昧模糊とした日本文学それ自体の担い手であった川端康成が、布団の上で老衰の末に死ぬという結末を迎える……等、三島由紀夫が自決しなかった日を境に、日本国家におこる出来事が曖昧になっていくのがこの作品なのである。例えば安倍晋三暗殺事件ととり得る事件が暗殺未遂に変わる……という部分で描写がなされているが、オウム真理教事件が事前に摘発される、という話も書くつもりでいたということもここに記述しておきたい気持ちがある。

他にも、本来であればノーベル文学賞など取ることはないだろうと思われるロシアの思想家ニコライ・ベルジャーエフがノーベル文学賞を、史実ではバートランド・ラッセルが取る1950年に彼に代わって受賞するという描写も考えていた。――が、これらは蛇足として切り捨てられた。


:なぜスパナ?

 そう、なぜ三島由紀夫がスパナで殴られたのかについて話をしておく。

これはシンプルで、彼が書いた小説『獣の戯れ』で、スパナで殴られて失語症になった男が出てくるからである。

そもそも彼、三島由紀夫が見ている幻覚だと思われるこの青年自体、彼のエッセイである『荒野より』に登場する、三島邸に襲来した若い男性をモデルとしており、もし仮に彼が熱狂的な三島作品の信者であったならば、作中の彼・三島由紀夫を襲撃する際にはスパナを持ち出すであろうという予測がそこにはあった。

 しかし同時に、彼を青ざめた青年だと言う場面もあれば、そうでもない場面もある等、これもまた曖昧になっている。


:オチについて

 彼の作品『天人五衰』は、彼が当時の日本社会に抱いた悲観的な感覚を超越した、いわば超虚無とも言うべき感情の結末を描いたもので、私は作中の彼がこの作品を書いてしまったら、それは”アンサー”を持った三島由紀夫になってしまう……という懸念から、『天人五衰』に辿り着かなかった三島由紀夫=それは三島由紀夫ではない、という法則を打ち立てた。

 そもそも、この小説『先生の庭』のラストシーン自体が『天人五衰』で至った超虚無、解脱の先の虚無そのものであったはずなのだが、他でもない作中の彼はそれに気がつくことがない。何故なら彼はもはや、三島由紀夫ではないからだ……。

というオチで、これは引用されている小説をかなりの割合読まなければ理解できない作品構成になっている。

そもそもを言えば、このような題材の作品を書くこと自体、もし仮に私以外の人間がやっていたならば、そいつを絶対に許さない……と憎しみを滾らせていた可能性を私は検討していたので、それならば先に私自身がこの構成で書く他ないだろう、と思い至った先にこの小説はあるのである。


:最後に

 この作品を書くに辺り、様々な煩悶があったし、数年ぐらい経過して読んでみれば、この頃の私は何とまあ浅い解釈を……と思ってしまうかもしれないが、何であれこの小説は現状の筆者にとっての三島解釈の集大成だと言うことができる。

この作品が分からない、という意見があってもそれは仕方がないことだと思うが、もし仮に理解しようと志す人がいるのであれば、注釈にある作品を一つ一つ読んでみてほしいと思う。

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