テグジュペリ『夜間飛行』 堀口大學訳
アントワーヌ・ド・サンテグジュペリと記述されることが多いが、フルネームにすると『アントワーヌ・マリー・ジャン=バティスト・ロジェ・ド・サン=テグジュペリ』らしい。地方の伯爵家の生まれで、どうやらこの名前もそうした出自に関わるもののようで、欧州の長い名前は大抵そのような由来が付随している。
『夜間飛行』は大変面白かった反面、同じ本に収録されている彼の処女作『南方郵便機』はどうも読みづらい。文章は非常に美しいのだが、内容そのものは平板な印象を覚える……と思ったら、序文を書いているアンドレ・ジッドが
「僕は『夜間飛行』の方が好きだ」
と言っている。やはりそうか……と次に翻訳者・堀口大學の解説を見ると今度は
「『南方郵便機』には精読が必要だ」
と書いている。……何であれ、良し悪しを知ることそれ自体に困難さが伴う作品であるという認識が古くからあるようで、2022年になってこれを読んだ一読者である私が読みづらさに辟易してしまったという認識それ自体に間違いはないらしい。
『夜間飛行』は航空機の黎明期。まだ航空機が大西洋の横断を成立させたばかりの頃に郵便物を航空機で運ぶ仕事を題材に取った作品である。
フランス人というのは短い文章の中に深い意味合いを持たせるのが大変好きな人種らしく、かと思えばプルーストのように極端な大長編を書くこともある。私自身はフランス文学に華麗な中編、肉体への安易な欲望その礼賛を感じ取っている反面、死や老いや生きることそれ自体のような重いテーマにあっさりと、そして意味を持った答えを返してしまう独自の精神感覚を見出す。
(直近に読んだのが『夜間飛行』『私の死の瞬間』だったからなのかもしれないが)
この『夜間飛行』には冒険と仕事の双方が非常に曖昧な、一種”戦場的”とも言えるこの夜間飛行という業務の中で、命がかかっていること……そのリアリズムと、これはビジネスであるということの狭間に揺れ動く男たちの話がある。
登場人物のうち片割れの主人公と呼べるリヴィエールは冷徹な航空会社の支配人であり、彼は自分自身の温情が人の死を招く可能性があり、また自分自身の冷徹が無為に終わる可能性を検討しながら”ただ目の前にある最善”のみを取り続ける男である。冒険的なビジネスマンの悲哀というべきか、算盤勘定と感情の相克がそこには存在していて、例えば老整備工ロブレに対し彼は一つのミスを見出した後に『前例を作る意図をもって』彼を荷役係へ配置転換しようとし、ロブレに強く抵抗される。ロブレは長年飛行機整備を行ってきた人間で、その職務にこだわりを持っている。しかし老いの兆候は既に見えており、整備をとちれば航空機が墜落し、人が死ぬ。確かにロブレのプライド・人生という天秤の片割れがあれど、果たしてそのプライド・人生は人命とそしてビジネスとしての信頼と釣り合うものなのであろうか……?
リヴィエールは言う。
「僕は、自分が公平だか、不公平だかは知らない。ただ、僕が、罰しさえすれば事故は減少する。責任の所在は、人間ではないのだ。それは全員を処罰しなければ罰し得ない闇の力のごときものだ。もし僕が公平だったりしたら、夜間飛行は一度々々が、致命的な危険を伴うものになるはずだ」
「僕は、自分がしていることがよいことかどうか知らない。僕は、人生に正確にどれほどの価値のあるものかも知らない。僕は、一人の男の喜びに正確にどれだけの価値のあるものかも知らない。わななく手の価値も、哀憐の心の価値も、優しさの価値も知らない……」
しかし、それでも事故は起こってしまう。
ファビアンの操縦するパタゴニア機の行方が知れず、この男たちの世界観の中では異物となってしまうファビアンの若く美しい妻がその悲劇の内実を語る。操縦士は空しか見ていない。妻は地に居て男を待つ他ない。しかしその男はもう来ない。
リヴィエールは打ちひしがれる。敗北の感覚を味わう。
しかし、リヴィエールが訓練した新米操縦士が言う。
「――あのわからずやのリヴィエールめが……僕がこわがると思っているんだよ!」
そう言って郵便機はまた飛んでいく。ある操縦士の死にも関わらず、事業は進んでいく。リヴィエールはこれからも幾度となく、この冒険とも商売とも似つかぬ生業の中で、同じような体験をしながら進んでいくのだろう……。
起きてしまった死。
ある損失。
それは損失が起きた時点では損失それ自体をかばうことができない。
これが例えばたんに金銭の問題であれば、金銭は補填できる。
しかし、ある人物が死ぬ。ある人物に不可逆な傷を負わせる。そうした不幸はもはや取り返しのつかないものである。復帰ができない。復帰しても元通りにはならない。割れた壺を直しても、それは『割れた壺を直したもの』であって『割れる前の壺』には決してなり得ない。
そうした不可逆な事態に直面した時に人はどうすべきか――進む以外にない。
後退しようが停止しようが、その損失は取り返せない。『割れる前の壺』にはならない。ならば、受け入れるか受け入れないかは後の話だ。我々は前に進むしかない。そうしたハードな、けれどもボイルドされていない、あまりに機能美的な人間哲学。人間讃歌が確かにこの作品には存在しているのである。
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