ヨーゼフ・ロート『ラデツキー行進曲』 平田達治

 ヨーゼフ・ロートはオーストリア=ハンガリー二重君主国のガリツィア東部ブロディ出身のユダヤ人文学者であり、ガリツィアというのは現在のスロヴァキア・ポーランド国境付近のウクライナに辺り、現在はウクライナ・リヴィウ州の一部である。彼はそこで生を受けた。

オーストリア帝国そのものがそうであったように、彼の生まれ故郷の人種・民族は多種多様なもので、ポーランド人、ウクライナ人、ユダヤ人、オーストリア人、ドイツ人が住む。彼はその中にあってドイツ語に習熟し、ドイツ文学を学び、詩や散文を書くようになる。

第一次世界大戦後、オーストリア帝国の崩壊によって親族がポーランド国籍を選択する中で、ただ一人ヨーゼフ・ロートのみがオーストリア国籍を選択し、ドイツの新聞社で記者となる。

しかし、戦後ドイツではナチスの伸長著しく、一九三二年にはパリへと亡命する。ユダヤ系の亡命作家と言えば美的だが、それは収入の途絶を意味した。最終的には彼は一九三九年、第二次世界大戦前夜にパリでアルコール中毒を拗らせて死亡する。

第一次世界大戦における祖国の敗北。その領邦の分散・独立。ナチス・ドイツによるオーストリア併合アンシュルス――彼は幾度となく祖国を失う。

自分自身が夢見たボリシェヴィズムの実態をロシアで垣間見た後に、彼はオーストリア帝国へ……ハプスブルク家と君主制へと回帰した。


 ヨーゼフ・ロートの出自と経歴について説明したのには理由がある。

作品、とくに彼の代表作とされる『ラデツキー行進曲』には彼の出自に由来する様々な要素が散りばめられているからだ。

さて、この作品『ラデツキー行進曲』は彼、ヨーゼフ・ロートの死の七年前に書かれ、彼の代表作となった。

この作品は、ソルフェリーノの戦いで皇帝をかばって被弾したヨーゼフ・フォン・トロッタ=ジポーリエがその功績によって貴族となるところから物語が始まる。

ソルフェリーノの戦いで危険な位置に立った皇帝を庇った。その功績のみで貴族となった彼は、自身の生まれ故郷から切り離され「ソルフェリーノの英雄」の名の下に貴族となる。……その不釣り合いさを自覚しながら、彼は貴族としての立ち居振る舞いをするようになる。

彼、ヨーゼフ・フォン・トロッタ=ジポーリエの息子フランツとその孫カール・ヨーゼフの三代に渡って展開されるのが、当作品である。

初代が貴族とされて以降、彼の周りには奢侈が横行した。


フォン・トロッタ氏は実際よりも金持ちに見えるように、常に気をつかっていた。彼には本物の紳士の気性があった。そして当時は(そしておそらくは今日でもまだそうであろうが)これ以上に金のかかる贅沢な気性はなかった。かくなる呪いの恩寵を受けた連中ときたら、自分にどれほどの財産があるのやら、またどれほどの出費があるのやら、皆目知らないのである。彼らは目に見えない源泉から汲んでいるのだ。彼らは金の勘定をしないのだ。彼らは、自分たちの財産は自分たちの気前のよさよりも少ないはずがない、との意見の持ち主なのだ

<--作品本文より引用-->


初代の言いつけに従い文官となったフランツは実直な性格であったが「ソルフェリーノの英雄」の息子でありながら軍人でないことを恥じる。息子は軍人になるが、明らかに凡庸そのものであった。それを象徴する描写として、この孫カール・ヨーゼフは祖父や父の問いかけに

「はい、パパ!」

とばかり、馬鹿の一つ覚えのように答えを返すのである……。

考えてみれば、かの「ソルフェリーノの英雄」もその軍才をもって貴族になったわけではない。軍事的栄光は遠くにあり、孫であるカール・ヨーゼフは部隊で横行したギャンブルでしくじり借金をこしらえることになる。

そうなった時、二代目フランツは皇帝の前に出た。借金の金策という、あまりに醜い理由で……ギャンブルが横行する部隊。奢侈ばかりが蔓延り、目標を失う軍そのもの。軍楽隊が奏でるの調べすらもどこか遠くにあるような白々しさを伴う。

しかし、フランツがオーストリア=ハンガリー皇帝フランツ・ヨーゼフ一世に出会う瞬間。フランツ・フォン・トロッタ=ジポーリエが皇帝の前に跪く瞬間……文字が叫ぶ。


彼らは二人の兄弟のようであった。もし誰か事情を知らない者がこの瞬間、彼らを見かけたとしたら、二人を兄弟だと思ったことであろう。彼らの白い頬髭、彼らの細い撫で肩、彼らの同じ体つきが、二人の心の中に、鏡に映った自分の鏡像に向かい合ってるのだとの印象を喚起した。

<--作品本文より引用-->


ソルフェリーノの戦いという、ハプスブルク帝国の没落の前兆とも言える戦いで名誉を得た一族は、ハプスブルク家そのもののように没落していく。第一次世界大戦において孫カール・ヨーゼフは将校でありながら『バケツを二つ持った間抜けな姿で』戦死する。

一族の三代に渡る華やかな生活とは裏腹に、奢侈と欺瞞に溢れたオーストリア貴族の生活それそのもの。そして、その中にあって産前と輝くの曇りなき称号!

ユダヤ人であり、オーストリア=ハンガリー帝国の辺境で生まれ、第一次世界大戦にも従軍した彼が、自分自身の故郷を作品で暗示しながら書いたこの小説は、自らと弱き帝国と皇帝とを同質の・同じものであると重ね合わせる、恐ろしく業の深い君主愛を示す作品である。

そのあまりに鮮やかで美しい暗示の構造とは裏腹に、彼自身の持つ屈折した祖国愛。失われた祖国への愛慕には、見ている者を何か気まずくさせる、「見てはならない情念」を感じさせる部分がある……断言するとすれば、まず間違いなくこの小説はより知られるべき傑作であろう、ということだ。



「わたしはね、あの二人がともにオーストリアよりも長く生きることはできなかったのだ、と思うのです」

ヨーゼフ・ロート『ラデツキー行進曲』より引用

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