ポール・オースターについて

 好きな作家を十人あげてくれ、と仮に言われたとする。

まず第一にあがるのは三島由紀夫。当然かつ自明の理である。

二人目にはジョージ・オーウェルがあがり、次にレイモン・ラディゲ(しかしラディゲへの愛慕とは三島由紀夫への愛慕に等しいものではないのか?)があがり、最近はドストエフスキーは良いものだなと感じ始め、そうだそうだヨーゼフ・ロートは素晴らしい作家だ、もっと読まれるべきだ……等々、ぐちゃぐちゃと作家名を並べ立てた末に

:三島由紀夫

:ジョージ・オーウェル

:レイモン・ラディゲ

:ヨーゼフ・ロート

:上遠野浩平

ぐらいが、淀みなく出てくる作家の名前になる。

実際、私は好きと言うまでにそれなりの礼儀を尽くさねばならないと考える性質上、安易にこの作家を好きだと言うことはできず(とは言え、世間一般における”好き”の文言はそう重々しいものではないだろう)そうなるとやはり上の五人というのは相当に好きな作家だと言明できる人々である。

こうやって並べてみると、歴史や時代や運命に翻弄され尽くした人物ばかりが出てくるため、文乃綴の一種の趣味の悪さが滲むような気がしてくるわけだが、それは本題ではないのでここでは話題を切り捨てることとする。


 分かると思うが、先程出た作家の名前とは五人程度である。残り五人をどうにか詰めようと考えると実に悩ましい……大抵、読み込みが足りていないとか、詳しく語るにはまだ読解が足りないというものになる。

谷崎潤一郎、筒井康隆、チャールズ・ブコウスキー、ウィリアム・バロウズ、アルベール・カミュ、ジャック・ケルアック(彼は上に入れても良い気がする!)、アントン・チェーホフ、ボリス・サヴィンコフ(しかし彼は本当に作家なのか?)、アーサー・C・クラーク、清水博子、エルンスト・ユンガー(あまりに畏れ多い!)、村上龍……。

少なくとも、これらの作家は自分で”好きだ”と言うことは出来て、けれども好きだと言うにはあまりに不誠実な読み方(量もしくは質の問題)をしてきたと感じる作家群であり、これらは凡そ文乃綴の不徳の致すところであると言う他ない。


 そのように複数の作家名を並べ立てた末に、誰かが(他に誰が居るんだ? 私自身に決まっているだろう!)こう、ぽつりと囁くのである。

「お前はポール・オースターが好きなんじゃないのか?」

と……。


 そう。

話がここに行き着くと、私はいかにも苦々しい顔になり、そこで何か食べ物を摂取していれば味がいくらか劣化するし、一日の時刻表は無効になるかもしれないし、背景で比喩的な雷が一つ落ちるかもしれない。

ポール・オースター。

ポストモダンの作家と言われ、北米を幻想的な空間と定義した作家の一人。

多作であり、現在も執筆活動を続けている、お洒落な北米文学者の典型例である。

日本で有名なのはやはりニューヨーク三部作になるのだろう。……そう。ポール・オースター……オースターね、と一人つぶやく。

ポール・オースターというのは一部では難解な作家と言われたりもしていて、村上春樹が幾度か作中で引用したりするものだから、とにかくお洒落なものとして流通している印象がある。

そんなオースターについて、なぜ私がここまで口を濁すのかと言えば……一言では表現出来そうもない。彼に纏わるいくらかの要素を羅列しながら、五月雨式にポール・オースターの話をしていこうと思う。

 作家としての彼はポストモダンとして扱われる、と先ほど話をしたが、ことポストモダンというのは文学でも思想でも、何なら建築でも難解ぶる傾向がある。(この際なので言ってしまうが、私はモダニズム建築の崇拝者であり、ザハ・ハディドは地獄に落ちたものだと確信している立場にある)

ポール・オースターの”読者”にも同様の傾向があり、ポール・オースターの作品内容について詳しい言及を避け、一部分の枝葉に過ぎない表現のみを取り上げて良し悪しを語ったりする……。

しかしこれはポール・オースターの正しい評価だとは、私はとても思わない。

というのも、ポール・オースターの作品というのは寧ろカンタンな、読み取りやすい部類に入るものだからである。

私がオースターの中でお気に入りと断言出来る作品は二つあり、一つは『孤独の発明』で、もう一つは『幽霊たち』である。

『幽霊たち』はオースターと言えば! と定番として持ち出される作品であり、事実その無駄の省かれた構成は非常に作品として美しく、あれほど完成された一小説”商品”は中々ないと私も思う……しかし、しかしだ。

難解というのは嘘じゃないのか?

読めば何を言いたいのかは何となく理解出来るし、別に大したことは言っていない。ただ、それを非常にあやふやに、それこそ難解風なトッピングを施しているに過ぎない。オースター作品における”難解”とはチョコレートコーティングのようなもので、確かに見た目で見れば難解なる表層に包まれているように思えないこともないわけだが、中身はシンプルなものだ。加えて言えば

 恐らくここにポイントがある。

ポール・オースターの小説はまず難解さでコーティングされている。幾らかの読者はそれを読み取っただけで”難解”の記号を導き出すであろう。次にその難解コーティングの向こう側にある話を読み取る……別に話す必要もないだろう。

必然読者は、中身について詳しく言明することをせず、難解のコーティングを剥ぎ取った先にある美しい枝葉の話をする。作品そのものという、木自体の話をすることなしに……というより、だ。いわゆる一般の読者というのは本を読んだ後、それを語りだす以上、自分自身がより良い読者、優れた読者であるとPRしたいが故に、その作品をことさら難解なものであると語ろうとする場面があり、そうした場面に差し掛かった時、ポール・オースターの作品というのは非常にのである。

ここで言及しなければならない事実が一つある……恐らくポール・オースターは、いや間違いなく彼は、意図的にそのように「語られる」作品を書いているのだと言うことである。

そこが如何にも腹立たしい……ポール・オースターとは、難解をウリにしている、非常に狙い澄ました、よくデキた、よく考えている作家なのである。

そうした意図を理解した上で楽しむのであれば確かに、ポール・オースターという作家は良い娯楽作家と言えるのだが……そうした実直な感想が好まれるとは限らないもので、私にとってポール・オースターとは一娯楽作家であっても、一般的な読書家にとってオースターとは難解な文学者であって欲しいという願いがあったりする。


 では文乃綴はポール・オースターが嫌いなのか?

そう問われれば――答えは否であると言う他ない。

『孤独の発明』のカラっとした感覚に滲む絶妙な悲しさや、都市部の空気感。

『幽霊たち』の合理的美に溢れた作品構成。

これらを知っていれば、とてもではないが……オースターを嫌うことなどできない。

しかし、オースターを好きだと言って、オースターが好きな人として扱われるのは、とてもじゃないが我慢ならない。


 だが話はそこで終わりではない。

ポール・オースターには便利な側面がある。

好きな作家としてポール・オースターをあげると、それ以上無闇矢鱈に言及されることがないというのが、他でもないポール・オースターという作家を語る上での最大の強みである。

もし仮に私が、文乃綴以外の何者かを演じなければならないとなれば、私はまず第一にポール・オースターが好きだと話をする。

三島由紀夫などと言ってはいけない。三島と言えば市ヶ谷事件、右翼、反民主主義の狂人と思われかねず、挙げ句の果てにお前はホモか? などと言われる始末であるし、谷崎潤一郎だと言えばまず間違いなくお前は耳年増だと言われる。伊坂幸太郎だと言えば、相手の人物と伊坂トークに華を咲かせなければならない……御冗談!

大体、書痴が本気で読書の話をしたら、一般的な趣味としての読書家と話が成立するはずもないのに、難しい言葉一つ使わずに伊坂幸太郎の話をしなければならなくなる。接待ゴルフとかと同じ話だ。誰がそんなことを好き好んですると言うのか???

そこで現れるのがポール・オースター!

「ポール・オースターが好きです」

と言えば、相手はビビる。一般的な読書家にとってはせいぜい、村上春樹が名前を出す難解な作家程度の意味合いしかないし、もし仮に相手がオースターの中身を真面目に論ずることが出来る人物であれば、今度こそ接待ではない本当の小説トークが展開できる。ようは魔除け……面倒な、接待じみた読書家トークを展開する状況から逃れるための記号としてポール・オースターは機能するのだ。第一、真面目に答えてみろ。三島は通じるとして、ヨーゼフ・ロートに上遠野浩平にレイモン・ラディゲなんてまず通じないに決まっている……。


そういうわけで、私・文乃綴にとってポール・オースターとはそのように、語りづらく、けれども悪くはない、だがオールタイム・ベストとは呼び難い、しかし便利な、一口では言い切れない存在……なのであった。

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