チャイコフスキーの忘れ物

 私はチャイコフスキーの交響曲が好きだ。

 一般的には後期三大交響曲と呼ばれる第四、第五、第六に人気が集中している。個人的に一番好きなのはベートーヴェンのそれにあやかって”運命”の副題をつけられた交響曲第五番だが、勿論それ以外の曲だって好きだ。(とくに『冬の日の幻想』と副題がある交響曲第一番は疲労に染み渡る楽曲である)

 ところで、その交響曲第五番にはとある逸話が存在する。とは言っても、チャイコフスキーのみならずクラシックの作曲者というのは必ず何かしらの逸話が(ある種の伝説として)付随するもので、チャイコフスキーもその例に漏れないということなのであろう。

 彼は内因性のうつ病を患っており、その上、この交響曲第五番を作る際には先のようにベートーヴェンの運命に影響され、運命について彼は考え込んだ。

 その途上、予てからの友人であるコンドラーチェフが病のために死期が近づき、療養先であったドイツのアーヘンへ行き、約四十日間滞在の上、コンドラーチェフの最期を看取ったのである。彼はこの期間について、このような記述を残している。


アーヘンでの六週間、命運がつきながら死ぬこともできず、ひどく悩み苦しんでいる人間との生活は、言葉にならない程苦しいものでした。これは私の人生の最も暗い部分の一つでしょう。人生に疲れ、悲しい無気力に陥り、私自身ももうすぐ死ぬかもしれないという感情と、死が近づくことで私自身の人生において重要で本質的なものを成している全てが、小さな詰まらない、そして全く目的の無いもののような気がしているのです。


僕の宗教は限りなく明白になった。この間、僕は神について、生と死について、とくにアーヘンでは、何のために、どうやって、なぜ? が、私の中でしばしば起こり、不安気に飛びかうのかという、宿命的な問題についてたくさん考えた。


 ……ただでさえ、そもそもがうつ病病みであるチャイコフスキーが友人の最期を看取ったのだから、彼に起こった心理状況は計り知れないものがある。

この楽曲は実際、かなり重々しい曲調となり、第一楽章はまるでコンドラーチェフの最期そのもののように暗い。しかし、ベートーヴェンの運命がそうであるように、最期には壮大な希望が待ち受けている……ようにも、思える。

 ところがこの楽曲は初演当時、観客からの評判こそ良かったものの、評論家等の評価は芳しく無く、かなり厳しいコメントを突きつけられたようで、三回目の公演時にはすっかりチャイコフスキー自身も凹んでいたのだと言う。


私の新しい交響曲をペテルブルグで二度、プラハで一度演奏した結果、この曲が不成功であるという確信に達しました。ここには何か余分で雑多なもの、不誠実でわざとらしいものがあります。


昨晩私達の〈交響曲第四番〉を再検討してみました。何という差があることでしょうか。なんと立派によく書けていることでしょうか。これは大層悲しいことなのです。


 しかしこの楽曲は、チャイコフスキー自身が”天才”と呼んだハンガリーの名指揮者アルトゥル・ニキシュの活躍によって有名になる。

チャイコフスキーに曰く、彼はこの交響曲第五番の第四楽章においてシンバルをffで一発鳴らすべきだったと語り、ニキシュはこれを追加して演奏したのである。

以後、チャイコフスキーの交響曲第五番はこの、ある意味では謎に満ちた第四楽章のシンバルを鳴らすか否かで派閥が別れたわけだが……実際には大半の指揮者はこれを鳴らすことをせず、前衛的な指揮者として持て囃された変わり者らが(勝手に二発を鳴らす等アレンジしつつ)シンバルを追加している。これを通称『ニキシュのシンバル』と言う。


 話は変わり、チャイコフスキーの最大の傑作と語る人も数多い有名な最後の交響曲が、交響曲第六番『悲愴』である。

この楽曲はうつ病病みで新曲を作っては(交響曲第五番の時のように)気に病むはずのチャイコフスキーが、その前衛的な構成故に賛否両論あったにも関わらず完成直後から

「この楽曲は私の人生の最高傑作だ」

と語ったのがこの”悲愴”なのであった。

 この楽曲は、チャイコフスキー自身の人生をテーマとして描かれたものと言われており、彼はこの曲が最高傑作であることを確信する初公演のわずか九日後に死去する。曰く、


「第1楽章は幼年時代と音楽への漠然とした欲求、第2楽章は青春時代と上流社会の楽しい生活、第3楽章は生活との闘いと名声の獲得、最終楽章は〈De profundis(深淵より)〉さ。人はこれで全てを終える。でも僕にとってはこれはまだ先のことだ。僕は身のうちに多くのエネルギー、多くの創造力を感じている。(中略)僕にはもっと良いものを創造できるのがわかる」


とのことで、あのうつ病病みのチャイコフスキーが珍しく気分良く作曲を行ったのが見て取れる。

 この楽曲は、大抵の場合最も派手なパートが第四楽章に配置される交響曲の構成にあって、第三楽章にいわば”サビ”が来る楽曲なのだが、その途上で、もっとも美しい、派手な場面で彼は”シンバル”を鳴らすのである。

 仮にこの悲愴を彼の人生になぞらえたものだと考えた場合、このシンバルは如何にも意味深長であるように私は思う。というより、彼は……ピョートル・イリイチは交響曲第五番『運命』の第四楽章に置き忘れてきたシンバルを、人生を暗示する交響曲第六番『悲愴』において取り戻しに来たのではあるまいか?

 そう、これこそが私の言いたい部分なのだ。つまり、悲愴の第三楽章にあるシンバルとは、チャイコフスキーの忘れ物なのである。

 創作者が人生の中で創作を行っていけば、全ての作品が完璧である、などと確信出来ることばかりではないと思うのだが、その中でチャイコフスキーは過去の作品を想起しながら、それを否定するのでもなく、ただ最後の作品で”取り返し”に来た。それを見るだけでも、私はこの『悲愴』を聴くと、まるでチャイコフスキー自身が最後に笑みを浮かべていたかのような錯覚を見出してしまうのである。


 ところで、私が『悲愴』の演奏でもっとも好きなのは、ハンガリー出身の完璧主義者であるフリッツ・ライナーの指揮によるものなのだが、彼はかのアルトゥル・ニキシュから「指揮にあたって眼をつかうというやりかたを学んだ」のだと言う。

そうなれば彼はニキシュの演奏をまず間違いなく聴いており、かのシンバルについても実地で体感していたのだろうと思うと、彼(フリッツ・ライナー)が演奏する『悲愴』におけるシンバルの高らかな響きにも何か、特別な意味を見出してしまいそうになる。

何であれ、クラシック音楽とは事実よりも、どのように感じ入るべきかというジャンルではないかと思う。これが単なる妄想であれ、実態をついた指摘であれ、どちらであっても意味は変わらない。ただそこには、チャイコフスキーの美しき交響曲の調べが残されているのみなのである……。

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