三島由紀夫の肉体改造……或いは蟹の話
三島由紀夫の晩年の戯曲作品に『癩王のテラス』というものがある。
この作品が世に出たのは一九六九年のことで、三島由紀夫が自決する前年に出た二つの戯曲のうちの一つとなる。(もう一つは『椿説弓張月』である)……『椿説弓張月』が曲亭馬琴の読本の歌舞伎化であることを考えれば、この『癩王のテラス』は三島由紀夫が書いた最後の三島オリジナルの戯曲であると言って間違いない。
三島文学を追いかける人間にとってかなり重要な表現が多数存在しているこの『癩王のテラス』という戯曲は、全体の出来で言えばとても面白く、しかしそこに込められた情念の奥深さを考えると単純に傑作とか、名作みたいな使い古された、何か汎用的な文言を使うことへの抵抗を覚える中身でもある……同じような印象を抱く作品として私は『英霊の聲』を挙げるが、この『癩王のテラス』の中身もかなり異様なものである。
あらすじや中身に関しての詳しい言及は避けるとして(Wikipediaに非常に詳細な記事があるので参照して欲しい)この戯曲のラストシーンと言うのが如何にも異様であり、私がこの『癩王のテラス』を名作・傑作とは呼ばず”怪作”と呼びたくなる気持ちがあるのは、このラストシーンゆえである。
戯曲『癩王のテラス』のラストシーンとはどのようなものなのかと言えば……バイヨンを建設せんと試みた国王にして主人公ジャヤーヴァルマン七世の精神と肉体の対話が始まり……
肉体:
おまへは死んでゆく。
精神:
おお……バイ……ヨ……ン。
肉体:
どうした?
精神:
…………。
肉体:
どうした? 答がない。死んだのか?
精神:
………。
肉体:
死んだのだな。
(鳥いっせいにさわぐ)
肉体:
(ほこらしげに片手をあげる)
見ろ。精神は死んだ。めくるめく青空よ。孔雀椰子よ。檳榔樹よ。美しい翼の鳥たちよ。これらに守られたバイヨンよ。俺はふたたびこの國をしろしめす。青春こそ不滅、肉体こそ不死なのだ。……俺は勝った。なぜなら俺こそがバイヨンだからだ。
と、精神が無言になり、肉体が残り、肉体の不死を叫ぶのが戯曲『癩王のテラス』のラストシーンである……。
とくに作家・三島由紀夫は美的建造物としての金閣寺とその炎上(崩壊)を小説に落とし込むことで大いに名を売った文学者であることを考えると、この”ライ王のテラス”を生み出しながら、同時にその膨大な量の建造事業のために国を傾け、クメール王朝そのものの衰退期の突端にもなった人物を題材に取りながら、最後この建造物であるバイヨンの永劫の美しさを語るでもなければ、それを完成させた一代の人物であるジャヤーヴァルマン七世の精神の勝利を叫ぶのでもなく……あくまでこの戯曲『癩王のテラス』においては抽象的極まりない肉体が勝利するのである――。
……非常に残念なことであるが『癩王のテラス』は単行本を何とかして入手するか、戯曲全集、或いは全集それ自体を購入しないと読むことが出来ない作品で、三島文学における重要性と比較するとあまりに知名度がない。そもそも復刊されないのだからどうしようもない。
気になる人は図書館で探してみると良いかもしれない。一応、過去に文庫本の形で出版されたこともあるので、図書館には存外置いてある気がするし、最悪全集を借りてくるという手もあるだろう。
と、ここまでが今回の記事『三島由紀夫の”肉体”解釈……或いは蟹の話』の”肉体”部分の前置きとなる。
三島由紀夫がとかく肉体というものにこだわったのは読者諸兄もご存知のことであろうが、では三島由紀夫の言う”肉体”とは果たしてどのようなものであっただろうか?……というのが、今回の記事の主題である。
三島は肉体と青春の不滅を常に声高に叫び続けてきた人間であり、挙句の果てにこの戯曲では精神と肉体の対話が起こり、しかも精神が死んで肉体のみが残るというのだから、驚きである。
というのも、普通肉体と精神と言えば、後に残るのは精神であると定義するのが自然なことで、西欧哲学においてはルネ・デカルトのコギト・エルゴ・スムがあり、そしてジャヤーヴァルマン七世が熱心に信仰する仏教においても肉体ではなく精神が繰り返し現世に出て繰り返しの生を受けるというモデルが構築されている。しかし三島という人間はあくまでこの『癩王のテラス』において、後に残るのは肉体であり、精神は死ぬのだという一つのテーゼを示してみせたのだ。
ここで一つまた前置きとして語らねばならない事項が生じる。
今回の記事のタイトルは『三島由紀夫の肉体改造……或いは蟹の話』となるが、現段階で明示されたのは三島由紀夫の肉体の話である。となればもう一つの前置きの主題というのも自ずと浮かび上がってくる――そう、蟹だ。私は読者諸兄に向かって蟹の話をしなければならない身の上にある。
これは全くの笑い話である(何せそれを語っている本人が笑い話として取り上げているほどである)が、三島由紀夫はとにかく蟹が嫌いだったそうである。
この嫌い方というのが面白くて、彼はまず”蟹”という漢字が嫌いであり、また蟹の見た目そのものも大嫌いである。……しかしどうやら『蟹の身』は好きらしく、例えば蟹のカンヅメなんぞがあれば、表面に描かれた蟹の写真を見ると嫌でたまらなくなるが、それを見ずに開けてしまえばどうということはなく、美味しく頂けてしまえるのだと言う。
誰でも一つはコワイものがあるらしいが、これを近ごろはヨワイという。こんなことを白状するのはバカの骨頂ですが、何を隠そう、私はカニに弱い。私はカニという漢字ぐらいは知っているが、わざわざ片仮名で書いたのは、カニという漢字を見ただけで、その形を如実に思い出して、卒倒しそうになるからです。
(中略)
それでも私はカニの肉は大好物で、むしったカニや缶詰のカニなら喜んでたべる。だが、缶詰に貼ってあるレッテルのカニの絵を見たら、もういけない。あのいかにも食欲をそそるかの如く描かれている、青い海の上に真赤なタラバガニが、足をひろげている姿……、あれを見たら、顔面蒼白になることはわかりきっているので、いそいでレッテルをはがして、破いて捨てて、カンヅメの中身だけ食べるのである。
さらにおかしいのは、カニとよく似ている海老は大好物で、鬼ガラ焼きでも何でも喰べるが、生作りだけは気味がわるいと言った程度だ。
(中略)
カタツムリやカニなど、とるに足らないものへの恐怖は、他人のマネではなくて、全く自分だけの個性的な恐怖でありますから、むしろそこには自由の意識が秘められている。
(中略)
カニやクモや鼠や油虫に対するわれわれの恐怖は、むしろ積極的なものだ。われわれはそれらを、進んで怖がるのです。
つらつら自己分析をしてみるのに、カニにヨワイ、カニがこわい、という私の心理は、自分の自由の意識に対する代償を支払っている心理のように考えられる。
―三島由紀夫『不道徳教育講座』自由と恐怖 より―
随分と長々と、三島がカニ(片仮名なのが大事らしい!)が嫌いであることについて述べており、読んでいると確かに面白い。多分、本人も面白がっているんだろうと思われる。実際、他人に対してもこのカニ(以下略)の恐怖についてつらつらつらと語るのを十八番にしていたらしいことが、他の人物の話からも明らかになっている。
さて、面白いのは、三島由紀夫が死んでから書かれた寺田透の「豊饒の海」(昭和四十七年)という文章である。そのなかで、寺田氏は或る雑誌の座談会で、武田泰淳氏や三島氏と同席した時のエピソードを語っているのである。その席に蟹が出た。それは「甲羅が饅頭形にふくらんだ、一口で食べられる位の小さな蟹で、一皿に二匹ずつ、から揚げにしたのが添え物として載っていた」。寺田氏はその蟹を食ってしまった。たぶん、三島氏の皿にまで手をのばして食ったのであろう。これは私の想像である。
「僕が食べちゃったのは気を利かしたからではなく、蟹を見るのがいやだとか好きだとか、愚にもつかない煩瑣なことで時間が失われるのを嫌ったまでである。大体蟹という字を見るさえぞっとするという三島氏の蟹ぎらいはどの位深刻なものだったのか。(中略)父君もいうように、見えなければそれですむ視覚の問題だったのだ。」
この文章を初めて読んだとき、私は思わず腹をかかえて笑ったものだが、やがて笑いがおさまると、三島氏がいくらか気の毒になった。
―澁澤龍彦『三島由紀夫おぼえがき』三島由紀夫覚書 より―
……つまりこの文章を読むに、当時の三島由紀夫の周辺人物においては三島由紀夫がカニ(敢えてこう書いてやろうと思う)をとにかく嫌っていて、それも見た目が嫌いなので食うぶんには一向に構わないという特殊な条件までを滔々と――おそらくは時間をかけてゆっくりと、かつ大げさに!――語るというのは有名な話で、この寺田透氏はカニが『揚げられた蟹』として出てきたのを見るだに、即座にその語り全てをシャットアウトしてしまったということになる。
澁澤龍彦は三島由紀夫の当時の姿をよくよく知っている人物であろうから、その場面を想像するとおかしくて仕方がなかったであろうと思う。三島由紀夫というのはこういう不意の一撃に強い人間とはとても思えない(これは三島の一読者としての直感である)ので、恐らくきょとんとした顔をして、アア成程と合点が行って、しかし普段のカニに対する一連の所作を思い出し、恥ずかしいやら青ざめるやら、或いは赤く頬を紅潮させるかするような、絶妙な位置に追いやられてしまったのではないかと思われる。
澁澤龍彦が書いたこの『三島由紀夫おぼえがき』は何を隠そう、今回の記事の種本と言っても良い中身で、実は三島由紀夫の考える”肉体”に関する重要なヒントを与える本でもある。
澁澤龍彦は先の逸話に加えて、三島由紀夫が「蟹を恐怖する」という一連の現象について考察を行い始める。
私がここで言う蟹とは、もちろん比喩的表現より以外のものではないが、たしかに三島氏には一生涯、蟹にこだわりつづけたと思われる節がなくもない。たぶん、三島氏は現実を総括的に正確に眺めようなどとは、一度として考えたことがなかったにちがいないのである。いわば蟹を通してしか、彼は現実と係り合おうとしなかった。その現実と係り合う接点は、感情的お芝居をはじめとして、あらゆるナルシシズム的陶酔を成り立たしめる領域だった。というのは、彼は死ぬまで、自分が現実に存在しているとは感じられず、自分の肉体的な存在感を目ざめさせてくれるもののみを、ひたすら求めたらしいからである。三島氏の小説が観念小説である所以であり、その観念の窓から現実を眺めれば、論理的な正確や認識の真偽といった、一般世界の価値が犠牲にされざるを得なかった所以である。正不正や真偽の原理ではなく、どちらかと言えば快不快の原理の支配する世界に、三島氏は住んでいたと考えるべきではないだろうか。三島氏のお気に入りの表現の一つに、「ぞっとする」というのがあったことを思い出してもよい。
この点で、三島氏が死んだ直後に書かれた河野多恵子氏の「択びすぎた作家」という文章は、私にとって多くの示唆をあたえてくれるものだ。「実際、三島氏は何ものに対しても、択ばずにはいられなかった人のようである」と河野氏は鋭いことを言う。真偽や正不正は択ぶことができないが、快不快は選ばずにはいられないものだ。どうしてもそれは現実の総体ではなく、一個の蟹になってしまうのである。(少年時代、あまりにも彼は特殊な環境にいて、選ぶということを抑圧されていたから、成人して後、いつも少しばかり早く選んでしまうことになったのかもしれない。)
観念小説の傑作である『金閣寺』の主人公にとっての金閣寺も、一種の蟹ではなかったろうかと私は考えたい。小説の作者と作中人物とを混同するのは慎まねばなるまいが、三島氏の場合、とくに『金閣寺』のようなモノローグ体の哲学小説の場合には、それが許されるのではないかと思う。
―澁澤龍彦『三島由紀夫おぼえがき』三島由紀夫覚書 より―
事実、三島由紀夫の少年時代というのは、(過去の記事『三島由紀夫とそのご先祖様、系譜について』にて詳細を記述している)まず平岡家における絶対的権力者である祖母の下に置かれ、神経症を患う祖母に配慮せねばならない少年時代をおくり、祖母の手を離れたかと思えば今度は父による「男性的であれ」という教育を受けさせられ、貴族ではないにも関わらず学習院への通学を強要され、小説を書くという道筋を父に否定されながら、帝国大学法学部へ通い、これまた父の人生の復讐から大蔵省に勤めるよう強要される……線路の上に敷かれたような人生と言う使い古された言い回しがあるが、これは線路の上というより、線路上の車両に付随する車輪のような、有無を言わさずにただ車両と線路の間に挟まれるような、尋常でない”選択肢のなさ”が感じ取られるのが彼の幼少から青年期であることを考えれば、確かに……と頷ける話ではある。
(そう考えてみると恐らく澁澤龍彦はこの三島由紀夫の幼年期の話を完全とは言わないにせよ、かなりの部分把握していたということになる)
……話はまだまだ続く。次は三島由紀夫の肉体についての論説である。
いくら三島由紀夫に義理を立てるためとはいえ、もうこれ以上、蟹とつき合うのは私としても馬鹿馬鹿しいような気がしないでもなく、読者もさぞやうんざりであろうが、いましばらく、これを食わずして皿に載せていただきたいと思う。
ボディ・ビルで堅牢な筋肉の鎧をつくりあげたところは、三島氏のいくらか蟹に見習おうとした点の認められるところだが、しかし両者のあいだの決定的な違いは、上田秋成の俳号を思い出すまでもなく(無腸公子の異名が端的に示すごとく)、蟹には腸がないということだった。血がないということだった。ここで精神分析の理論をふりまわすつもりは毛頭ないが、この違いは重大だと私は思う。
私は読んでいないが、三島氏の死後、或る心理学者が「巨大なるスカラベの死」という論文を発表し、徹底的な自己隠蔽を試みて厚い人工の鎧をまとった三島氏を、甲虫にたとえたそうである。しかし私には、こういう種類の論文は読まなくても大体の内容が分るような気がして、どうにも索漠たる思いがするばかりである。私が言わんとしているのは、そんなような心理学の領域に属することではないのである。
三島由紀夫の肉体概念には、いわば外部と内部の弁証法があったように思われる。この点を少し詳しく検討してみよう。
彼が昭和三十年以後、あれほどの努力をもって鍛えあげた筋肉の鎧も、終局的には日本刀の一閃によって毀損され、破壊され、その内部を外部にさらけ出さなければならない運命のものだったとすれば、それは甲殻類や甲虫の鎧とは、シンボリックに言っても明らかに異質なものと見なすべきではないかと思うのだ。甲虫や甲殻類の鎧の堅牢さ、その無感覚は、彼の最も忌み嫌ったものだった。ちなみに言えば、彼は人体で最も無防備な、最も弱い部分である腹の筋肉、つまり腹筋を鍛えることにとりわけ熱心だったのであり、つねづね冗談半分に、「おれはミスター腹筋というのだ」などと豪語していたのである。ということは、あらかじめ刀を突き立てることを予想して、内部と外部を流通させることを無意識裡に計算して、筋肉を鍛えていたのではなかった、ということになる。
―澁澤龍彦『三島由紀夫おぼえがき』三島由紀夫覚書 より―
この三島由紀夫が嫌う概念としての蟹と甲虫の関係から、三島由紀夫の考える肉体観念へと話は進んでいく。
私は前に、三島氏が死ぬまで、肉体的な存在感をひたすら求めつづけたと書いた。袋のようなもの、膜のようなものの内部に閉じこめられている限り、三島氏にとって、人間は現実に存在しているという感覚を容易につかめず、苛立たしい焦燥のなかで、永久にじたばたしていなければならないもののごとくであった。肉体は即自的に肉体なのではなく、肉体を傷つけ否定することによって肉体になるのである。否定の契機によって、外部と内部が逆転することによって、肉体は初めて存在感をもった肉体になるのである。蟹の堅牢な外皮、硬化した無感覚の外皮は、このような否定の契機を最初から含まない肉体のシンボルであろう。斬っても血が出ないような肉体が、破っても腸が飛び出さないような肉体が、どうして肉体の名に値しようか。「自己証明が必ず自己破壊にゆきつくところの筋肉の特質」と三島氏は『太陽と鉄』のなかで、この肉体の外部と内部の弁証法を簡潔に要約している。
―澁澤龍彦『三島由紀夫おぼえがき』三島由紀夫覚書 より―
この、自己破壊・崩壊可能な概念としての肉体という三島由紀夫の肉体解釈は、たちまち蟹という生き物の成り立ちと矛盾するというのが澁澤龍彦の語りであり、それを考えると三島の「エビは大丈夫」という感覚にも少し発想が繋がるように感じ取られる。つまり、エビというのは中にぎっしりと肉が詰まっており、内臓(背わた)があり、そして何よりその外骨格は経年劣化で消滅することが可能な”肉体”を有している生き物なのである。
それに対し蟹とは、中身がスカスカになってもそのまま(それこそ、死後にさえ!)外骨格のまま存在することが可能な存在となる。
澁澤龍彦が言うように、石や甲虫に近い存在がこの蟹という生き物であり、また三島由紀夫が執拗に海と潮を流転する存在として美的に捉えていたのを考えれば、この蟹という生き物は流転する海という空間において物が消え、流転していくことに逆らう存在にもなり、やはり三島由紀夫という人間が持つ美的概念に反する生き物だということになる。
このように、三島由紀夫という文学者にして一人物を考察していくと、何やら蟹という生き物は確かに許されざる生き物であると言うことが徐々に分かってくるのがとても面白い話なのだ。……恐らく、蟹の生態を三島も(そして澁澤龍彦も)正確には知らなかったのではないかと思うのだが、これを詳細に書くと、三島という作家の美学において、どれだけ蟹という生き物が悍ましい(それこそ「ぞっとする」)生き物であるかが理解可能である。
蟹はまず腹筋がない。というのも、ふんどしと呼ばれるパーツがあって防御されているし、動かす部位もないので腹筋が要らないのだ。
次に蟹は死骸を食べる生き物であり、一般にこれはスカベンジャーと呼ばれる食性なのだが、つまるところが掃除屋であり、死骸を食べて消滅させる存在である。
そして何より蟹は食べ物にありつけないとどうなっていくかと言うと、身体の中にある筋肉を消化し始める。挙げ句の果てに蟹は死後も冷凍したままにしていくと身が焼けてパサパサになっていく。……恐らくだが、このへんのことを真面目に三島先生に解説すると、途中から本気で青ざめて
「ぞっとする」
以外、何も言えなくなってしまうのではないかと思われる。……私が蟹の生態を知るたびに、何故このように三島先生が嫌いそうな要素だけをかき集めたような生き物がいるのか? と不思議に思えてならない。
あまりに蟹と三島由紀夫の関係性が面白いため、蟹の話を脱線して続けてしまったが、話を戻そうと思う。
まず三島由紀夫の幼少から青年期における彼自身の立場から言及すれば、彼は病弱で今にも死にそうな少年期を送ってきたことが『仮面の告白』から読み取れる要素である。……『仮面の告白』の記述を信じ過ぎるな、というのは三島研究者の定説であるが、この病弱部分は間違いないであろう。何せ、文学者として歩み始めた初期の三島由紀夫の写真というのは全く彼が『仮面の告白』で述べた通りの”アオジロ”であり、見ていて不安になるほど病弱の影が見えるものだからだ。
そして彼の幼少期の特徴とは、祖父の失敗に端を発する没落と病的な虚栄こそが平岡家の特徴であり、そうした中で少年・平岡公威は祖母の住む空間に閉じ込められていた。祖母の次は学習院であり、父の軛の中にあり、それをようやく脱することが出来たのは彼が大蔵省をやめて『仮面の告白』を大ヒット作として売り出した頃のことであった。
澁澤龍彦が金閣寺を蟹と表現したのは実に面白い話で、強固な外骨格の中にやせ衰えていく血と内臓を欠いた低い位置で安定している状態とは、平岡家=蟹であったと言うことすら可能になる。
何であれ三島由紀夫という人物は平岡家や人道主義、戦後社会、筋肉質な肉体、美的存在と言った一連の外骨格の中に閉じ込められながら、自己の存在を主張し続けた人物である。何より、彼自身の存在の曖昧さとは、相対化する外部存在の欠如と捉えることも可能であり、彼自身が病弱かつ不幸な立ち位置に追いやられながら、外向きには元樺太庁長官の父方の祖父に学校の校長先生の母方の祖父に、官庁勤めの父を持ち、自身も学習院で勉強する、やんごとなき貴族的一家であった……これは内部から見た三島由紀夫の考える家庭内部事情と外骨格たる平岡家の矛盾であり、この外骨格のイメージは今も現代人の間に流通しているものである。
他でもない三島自身が自分の貴族的血筋というのを内外に語り続けてきたのもあり、三島は貴族的家庭に生まれたボンボンであり、それが一九七〇年十一月二十五日に世間様に迷惑をかけた、こりゃトンデモナイ奴だ……というのが世間的なイメージなのだが、実際には没落した平民の家柄である。これは確かに”蟹”の構造を取る家庭環境のように思えてくる。
そう考えた時に、彼は『癩王のテラス』の中で精神と肉体の対話を起こした上で、最後には肉体が生き残り、美しく勝利していくというビジョンを提示したのも非常に示唆的で、彼は平岡家という蟹から外に出て、自己という存在を認めて欲しい(=相対化して欲しい)と感じていたのではないだろうか?
下手をすればこの平岡家という外骨格の中で病んで死ぬ可能性も大いにあった三島少年はしかし、外に出て自己を顕示するには外に見える形で死んで見せる他なかった……という、非常にアンビバレンツな、矛盾した状態を保持したことになる。そう考えると、彼が夭逝に憧れレイモン・ラディゲを青年期の最大の美的存在として崇めたことや、夭逝した東文彦に対する情念というのも理解が可能になる。
その上、荒御魂そのもののように思われた蓮田善明が激烈な死を迎えながら、夭逝も激烈なる死も迎えることがなかった三島由紀夫の若年期を思えば、原則として彼の周囲には死のイメージが付いて纏わり続けてきた上に、そこには夭逝という静かなる死と、自決という激烈な死の矛盾した美的観念が染み渡っていたと言うことができる。
つまり……三島由紀夫にとっての肉体とはあくまで手段であって、目的ではなかったのではないだろうか?
自己が死ぬのであればそれは相対化(=他者の視線)が必要不可欠であり、相対化のためには鍛え上げられた肉体が必要であった。これを前提としておけば、三島由紀夫がスポーツによる自然な肉体ではなく、ボディビルによる美的な、非実用的な肉体の構築に走ったのも大いに頷ける話だ。つまり、見せるための筋肉であり、その筋肉は相対化の道具に過ぎないのだから、実用に耐える必要などこれっぽっちもないのである。
ここまで考えてようやく『癩王のテラス』のラストシーンも説明がつけられる。
三島由紀夫が精神と肉体とを対話させた時、精神は既に相対化から逃れており、相対的でない精神は続かず死亡するが、他者の眼に焼き付いた(=相対化された)肉体は他者の美的イメージの中で永久に生き続けることができる……。
三島にとっては絶対的精神なるものは存在せず、あくまで他者の目と記憶の中に生きる自己こそが本来の自分なのであった。故に、死後に精神と肉体の対話があったときには、肉体が(相対化されているが故に)永久に生き続ける。
これは彼自身が語った伊勢神宮の遷宮にも繋がる話であり、石造りの廃墟を美的イメージとして掲げる西欧に対し、作り壊され直される概念……伊勢神宮的なものこそが彼の考える東洋的美だったのだ。
すると、彼自身はこのように考えていたのかもしれない。
「日本社会に美的イメージとして焼き付いた私の肉体が、続く日本美を愛する人間が再度”三島由紀夫”を上演することによって、文学者・三島由紀夫の相対化は完成する」
そう考えると、三島由紀夫の肉体解釈とは悍ましいほどに美的で、かつ東洋的な概念だったと言うことが可能になる。彼は他でもない自身の肉体改造と、それを破壊して見せるデモンストレーションをもって、後続の人間が永久に三島由紀夫というイメージを継承していくことを、日本人全てに求めたのであるから。……もっともそれを理解するには、蟹と三島という、コメディじみた概念を通過する必要があるのは、全くの事実ではあるのだが。
@参考書籍
三島由紀夫『癩王のテラス』中央公論社
三島由紀夫『不道徳教育講座』角川文庫
澁澤龍彦『三島由紀夫おぼえがき』中公文庫
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