『命令力』メモ

 ロバート・A・ハインラインのSF小説に『月は無慈悲な夜の女王』というものがある。

ハインラインと言えば大抵『夏への扉』が引用されるし、言ってしまえば、いわゆる三大SF作家の中でもハインラインというのは今一歩劣っているようなイメージがあるように思う。(これは仕方のない話で、アシモフは純粋に話を作るのが上手い作家だし、クラークは純文学への影響があるし、存在感で言えば三大SF作家と呼ばれないP・K・ディックの方が上だ、とも言える)

この『月は無慈悲な夜の女王』は傑作で、私は今も他人にこの作品の話をしたくなる瞬間があるぐらいなので、適当なところで読んでみて欲しいと思う。

 この作品は、月に入植を始めた時代に、植民地として搾取される月が独立しようと試みるもので、その話の大筋は引用が必要な部分にはなく、ここで引用したいのは、この作品における月独立勢力が構築した組織図である。

革命組織としての月独立勢力は、トップをAとし、その下に三つのB階級があり、このそれぞれのBの下にまた三つのC階級があるという組織図を取る。


 つまり、Aは

A>B1、B2、B3

を持ち、Bはそれぞれ

B1>C1、C2、C3

B2>C4、C5、C6

B3>C7、C8、C9

をそれぞれ持ち、これが広がっていく。

端的に言えばねずみ算の計算である。

そして仮に、B3が裏切った(組織図の上位過ぎるので話として成立しなくなると思うかもしれないが、例え話として)場合、このB3を含むB3以下の系統を切り捨てることになる。

私がこの組織図を知ったのは『月は無慈悲な夜の女王』を通じて直接……ではなく、あざの耕平のライトノベル『Dクラッカーズ』でこの『月は無慈悲な夜の女王』を引用しながら解説するシーンを見て、である。

『Dクラッカーズ』では、この組織図を”セル”という組織が使用しており、それぞれの階級を細胞と呼称していた。


 さて。

 何故私がこのA>B>Cと続く組織図を解説したのかと言えば、これは組織というものを表現する上で非常に分かりやすいモデルのように感じ取れたからである。

もっと具体的に言おう。

この組織図は『トップダウン方式』の、つまり独裁的な組織図を非常に端的に表現したものとなる。

仮にこの組織図を、~Dぐらいまでが存在する組織と仮定して運用する場合、40名ぐらいがA~Dに参加していることになる。これは企業で言えば中小企業の規模感なので、世間にもそれなりに存在する組織形態と考えることが可能だろう。


 この組織図を引用して、今回の記事で出てくる概念”命令力”について解説をしたい。

仮にこの組織図のうち、C2が何らかの命令を発したとしよう。

この場合

C2>D4、D5、D6

の範囲にC2の命令が行き渡ることになる。

だが仮に、C2のこの命令がC1とその部下や、C3とその部下にも動いて貰わなければ実現しない命令だったとした場合、障害が起こることになる。

つまり命令系統の優越の問題であり、C2の部下であるD4~6にはC2の命令に従う表向きの建前としての義務があるが、D1~D3。D6~D~9にはその義務がなく、そうした命令を発する権限はD1~D3にはC1に。D6~D9にはC3に存在する。

仮にC2の命令によってC1やC3の部下が動いた場合、これはC1やC3の命令権限が侵害されていることになる。

ではこの、C1やC3の部下に行き渡らせなければ達成出来ないC2の命令はどのように処理されるのか。

この場合、上位層つまりB1へと届けられることになる。

無論、普通の場合B1は総合的に考えてC1~C3に

「C2の命令を実行せよ」

と命令するし、もしB1が全体の利益にならないと判断すれば、今度は逆に

「C2の提案は却下される」

とするかもしれない。

どちらにせよ、地位上位にあるB1はその命令によってC1~C3の部下を動かす権限を持っている。


 ここで問題になるのは、このC2の提案が非常にスケールの大きい話で、例えばC1~C~3どころか、B1の命令系統の内側に入っていないB2やB3の命令系統に位置する人間の協力が必要だったとしよう。

そうなった場合、これは一大プロジェクトとなり、B2やB3と議論をし、検討する。そして、常識的な組織であれば、そうした巨大なプロジェクトの裁可を下す権利は、つまり命令権限はAにあるということになる。

ここで理解して欲しいのは、部下の提案やプロジェクトが縦割りのこうした組織においては権限を遡る必要があるということであり、その命令は上位者が発さなければ他の命令権限を持つ人間の権利を侵害する可能性があるということである。


 ここまでの話は、あくまで40名程度(~D)の組織図であったが、規模が膨れ上がればこうもいかない。

仮にこのAから続く組織系図を国家に適用する場合、例えば典型的な独裁国家として挙げられ得るナチス・ドイツは人口69,314,000人(Wikipedia)だそうであるから、この組織図で言えばQぐらいまで発達した一つの組織と定義することが可能である。

(Q=64,570,081)

(無論、人間全てがこの命令系統に属しているわけではないし、ナチス・ドイツにしたって反対者は居ただろうという話は可能だが、当記事はあくまで独裁の命令系統を解説するものであるため、それは別個の議論として置くものである)


 仮に、このAから始まる組織図がQまで進展していった場合。

もしその国家の国民が、階級で言えばMやN辺りが国家の生産事業に与することをしないと考えた場合、国家はその叛乱指導者としてのMやNの階級や、或いはそれを支援するより上位の階級の人間を処罰する。

しかし、そうした処罰は処罰される人間よりも上位の命令権限を持っている必要がある。つまり、C以下を罰するにはB以上の権限が必要になるのだ。


 仮にこれを国家とした場合、最末端のQは無論のこと、OやNレベルで『言語や文化の異なる集団』が存在する可能性がある。

これは我が国(つまり日本人)であれば近年になるまで想像がつかない状態であったが、欧州国家や中国であれば、かなり昔から成立した条件となる。

その民族多様性で知られたオーストリア帝国は無論として、現代のロシアや中国でも成立するであろうし、世界的に見れば大国とは言わないトルコ共和国でも同様に、言語や文化の異なる集団は存在し得る。


 こうした言語や文化の異なる集団に対し、明確に命令を下す場合、このようなAから始まる組織図を持った主体(集団より上位の総体、国家や企業が代入可能)はどのように命令を下達しなければならないのか?

無論、命令の単純化や或いは彼らの言語に訳すことは必要になるであろうが、もっとも重要なのは、この”命令系統それ自体への畏敬の念を持たせなければならない”のである。

仮に命令を下したとして、その命令を実行することによってそれら言語や文化の異なる集団が、自分たちの利益になる(或いは、そうすれば損失が起きない)と理解しなければ、命令は実行されず、彼らは異なる集団として、Aから始まる組織図から離れ、Aなる命令系統を無視するようになる。

端的に言えば、この言語や文化によって領土区分を分けるべきだ、という一つの発想こそが民族主義であり、民族自決という第一次世界大戦後の世界を区分する基準となった概念である。


 しかし、思わないだろうか?

「本当に民族や文化でハッキリと明確に国境が定められる地域が世界の多数派を占めるのであろうか?」

と。

これこそが民族自決という一種の呪い・問題の本質であり、現代でもトランシルヴァニア地方はルーマニア系とハンガリー系で争いがあり、ウクライナ・ロシア戦争におけるロシア側の主張となる「ロシア系住民の境遇」にも繋がる。


 つまり、民族や言語、文化的コラージュとなっている地域が存在する場合、それらの集団は集団としてAから始まる組織図のうちのどれかに帰属を決定する必要性が出てくる。

こうなると何が起こるのかと言えば、N・O・P・Qのような階級の人間が、成り上がりによってDやCといった上位地位に食い込むために、Aから始まる組織図の主要言語を学ぶようになる。

そのため、地位向上の意志を持つ異なる言語と文化を持つ集団は、ある組織図を肯定した時、必然としてその異なる言語を捨て去るか、主要言語として数えないようになるのである。

これは、異民族異文化集団がAから始まる組織図に成り上がりをする可能性を否定しないものだが、成り上がりは必然として異言語の権威を落とす状態と必要とする。

そして何より、成り上がる異民族からすれば、この組織図それ自体を肯定しなければ、成り上がることはできない。


 では、帰属するそのAから始まる組織図の権威とは何処から生じるのであろうか?

 無論、成り上がりを企図する一種のインテリであれば、その組織図から得ている利益を計算として理解するであろうが、末端のN・O・P・Qの低教育層(言語や文化が異なり、主要文化への理解を示さない)集団は何故Aから始まる組織図に権威を覚えるのか?

それは端的に言えば、Aそれ自体が尊い(ということになるから)である。

これはどういうことかと言えば、Aが発する一つの命令・事案・プロジェクトによってAから始まる組織図全体が動く、その命令系統の絶対性に権威が生じるのである。

そして、Aの権威それ自体を保障するために、Aから始まる組織図はAの権威を補強するようなストーリーを流布する。

それは例えば、ある種の貧民を救ったことといった小さな話もあれば、ある種の宗教の権威から権力者としてのお墨付きを貰ったとか、或いはその血筋としての系統が一万年以上昔から続いている……といったストーリーをAに付随させることによって、教育を受けていない異文化集団であっても、AとAの命令は絶対であるという前提を崩さないようにする、そのストーリーである。


これは恐らく構造主義人類学の範囲であろうが、王権それ自体が何故必要とされ、成立するのかと言えば、そうしたAから始まる組織図における最末端まで、Aの命令であるという前提さえあれば、命令を行き渡らせる効果を持つからであろう。

そのために王権は神授されるであるとか、その血筋は神の子孫であるといったストーリーがついて回ってくる。


これらの前提を加味した上で理解できるのは、そもそも「主要文化とは異なる文化や言語を持つ集団」を内包する国家は、AやBの持つ命令権限を強め、その組織図のストーリーを強化しなければ、たちまちその集団は別個に分裂してしまう可能性を内包することになるということである。

つまり”命令力”とは

「Aから始まる組織図を母体とした、その組織図の中で発せられる命令権限の強さ」

を指す言葉であり、そして命令力とは

「同一の文化を共有しない(できない)集団に命令を下すために必要な力である」

と結論付けることが可能である。

そのため、独裁体制とは

「中央の命令力が非常に強い組織」

を指すものであり、その根幹には

「最末端の自発的な行動を期待できない」

「最末端における文化の差異が覆しようのない世界」

「文化それ自体が脆弱で共有するだけの力を持たない」

等、中央の命令力が弱ければたちまち霧散するか、或いは併呑されてしまうという状況に適した体制であると言え、大陸に属する途上国で独裁かプレ独裁の政治体制が肯定されるのは、命令力を国家が保有する必要があるからである。

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