【作品寸評】

『この世界の片隅に』は戦時への賛歌なのだろうか?

 タイトルで既に落ちている。

 というわけで、片渕須直監督作品

『この世界の片隅に』

が”戦時体制の賛美歌”であるのか否かについてここで個人的な考察と見解を述べておきたいのです。



第一;そもそも戦時とは何か?

 戦時、というものの定義についての言及がまず第一に必要であろうと思われる。

映画『この世界の片隅に』は、概ね第二次世界大戦前夜から第二次世界大戦終戦までの大日本帝国の中国地方(日本国内を指し、例えば満州や中華民国内部を指さない)に生まれ育つ女性・すずを主観者として展開される物語である。

 三島由紀夫や大江健三郎、石原慎太郎や……或いは漫画家であれば手塚治虫や松本零士はいわゆる”戦中派”と呼称される、この第二次世界大戦下における大日本帝国において生まれ育った人々である。

 少なくとも『この世界の片隅に』という作品を論ずるに辺り、戦時という呼称の時代区分を定義するのであればそれは、日華事変~太平洋戦争終結までの帰還であろうと考察することが出来る。

 この作品の主人公・すずは作中の開始時点で少女であり、少女時代における年号は西暦で言えば1934年頃であり、概ねこの”戦中派”であると言える。

この論においては、戦時をあくまで日華事変~太平洋戦争終結までと定義した上で話を続けようと思う。



第二;日本人にとっての戦時

 少なくとも、世界に砲火が満ち溢れていたWWⅡ当時は、戦火に直接的に巻き込まれなかった南米国家等の人々を除けば、いわば『人類的不幸』の只中にあったということは断言出来る。これは無論、『戦争という不幸』という人道主義的価値観を前提としたものである。

 さて、当時の日本は明治維新から続く西洋化と富国強兵政策を続行し、同時に欧米先進国から求められていた『アジアの憲兵』という、彼等の想像した役割からの逸脱が生じつつあったのが少なくとも連合国的史観を前提とすれば事実である。

 ここで難しくなるのが、当事者としての日本人と戦時を俯瞰的に見る現代人の視点の無意識的或いは意図的な混同にある。

無論、当事者であったいわゆる”戦中派”の人々からすればそれは様々な視点が生じるのは全くの事実であるわけだが、少なくとも言葉の世界において当事者の目線と意識というのは強力なものであり、言うなれば刑事事件における自白にも近い。

ここで私が『自白』という文言を使用したのには無論、理由が存在する。



第三;我々は何処まで当事者の告白を重視すべきなのであろうか

 自白とは強要と同調圧力が生じうるものである。ソビエト連邦におけるスターリン体制下におけるモスクワ裁判において、粛清の対象となった人々に肉体的・精神的な暴力を加えることでなされた自白に対し、当時のソ連の法律家アンドレイ・ヴィシンスキーはこう述べた。

「刑法は階級闘争の手段である」

「自白は、すべての証拠を上回る、いわば女王である」

 無論、当事者の告白の全てがそうした”自白の強要”によって発言されたものであるというような乱暴な話法を使うつもりは、少なくとも私の中にはないということをここで明記したい。

 問題は、実際の感情として不幸な当事者が多数存在していたという事実から、二元論的な”戦時体制は良かったのか、悪かったのか”という議論に導引がなされることにあり、そもそも歴史において

「現代人に比べて戦時体制下の人々は間違いなく不幸であった」

というのは歴史を後世の目線から見た人々の一種の傲り(つまり、より大枠で言えば進歩した我々がかつての原始人に対し見下しを持つような感情)が存在しているのではないか、それを完全に否定するには多少の理論的武装を要するのではないか? という疑義の提起を私は行いたい。

 ここで事実を一つ述べるわけであるが、歴史的事象と時代の当事者とは常に減っていくのである。

北方戦線を防衛し、シベリアに抑留された私の父方の祖父が既に亡くなっているのを例に取るが、実際に当時を知る人々は死につつあるのである。

 先程私はスターリン体制を引用し、当事者の告白というものに対して全幅の信頼を置くことの危険性……及び、時代や歴史を良し悪しと言った観点から”断罪”、”称賛”することはどちらも等しく歴史と時代に対する中立的視点を欠いているということを私はここで主張する。



第四;後世に残された我々の歴史に対する考察の視点問題

 無論、大多数の人々にとって戦争と戦時とは不幸であった。少なくとも我々が生きている時代に、空から爆弾が落ちて家が焼かれるようなことはなかったのである。

しかし、そうした事実が『我々の時代=現代』を幸福として定義することの証左になりえるかと言われれば、それは逆に”現代に存在する不幸な当事者への考察と視点”を欠如していると、あえて私はここで断罪しようと思う。

戦時及び大戦下の国民は確かに理不尽な暴力と不幸の嵐に見舞われて大変な思いをした、というのが事実として提示可能であるのと同様に、現代人が理不尽な暴力と不幸の嵐に見舞われている、というのも『不幸な当事者からの告白』を重視し、前提とするのであればそれは事実なのである。

 無論これは不幸でない現代人からすれば

「私は不幸ではない」

と主張が可能であるが、それは『戦時においても同様のことが言える』のである。

 例えば、大日本帝国海軍のエースパイロットの一人に、岩本徹三という人物が居る。彼は戦闘機操縦の天才であり、第二次世界大戦時における日本人の最多撃墜数ホルダーは彼であろうとも言われている。

 さて、彼が戦後。

つまり、戦時という『大多数の人々にとって不幸な時代』を終えた先でどうなったかと言えば……彼は戦後の日本の中で居場所を見失い、職を転々とした末に感染症で亡くなるのである。

彼は病床の最中にあって

「元気になったらまた飛行機に乗りたい」

と語り、死んでいった。

 さてつまり、少なくとも彼にとって人生を全的に生き得た時代とは、大多数の人々にとって不幸であった時代をこそ幸福に生きた、と言い得るのである。



第四;歴史を学ぶこととは我々の地続きの過去を参照することである。

 これら、中立的・俯瞰的視点を欠いた歴史に対する偏見的な物の見方は、日本という国家が戦時と戦前の立場と行動とを連合国らによって否定され、それをレジームの中に組み込まれ(国連における敵国条項を見よ!)たことに端を発する、戦時体制への考察のメスを躊躇う態度から生じたものであるように私は思う。

それは我々日本国民に、戦時という歴史的事実に対する考察をしなくても良いことにする、いわば思考停止を容認する、楽をさせてきたのであるが、それによって我々は戦時という時代を真っ直ぐに見据えることをタブーとして認識するようになった。

しかし、戦時も戦前も同様に日本という国家の歴史であり、歴史というのはつまり我々の生きる時代の地続きに存在するものなのである。当事者の不幸もまた事実であれば、その中を生き抜いた人々の先に我々が居るのも事実なのであり、歴史への学び・考察は我々に課せられた課題なのである。

私は戦時(上述した定義によるもの)に対し常に良し悪し、断罪もしくは称賛をし、断定することはどちらも同じく、歴史への中立的な視点と真面目な考察を放棄した行為であるように思えてならないのである。



第五:『この世界の片隅に』は戦時への賛歌なのだろうか?

 ここで私は断言するのであるが、『この世界の片隅に』という作品は戦中派の女性・すずの日常を描いた映像作品であり、そこには称賛も断罪も存在しないということをここに明言したい。

戦時について常に『反省の意識の付随』を要求するのは、国家への原罪を定着させようという試みであり、無論『歴史に詳しい進歩的諸兄らがよくご存知の通り』国家に原罪など存在しないし、あってはならないのである。

故に、戦中派の女性・すずはたんに戦中派の女性・すずでしかなく、そして我々はたんに現代人であり、戦中派の女性・すずの歩みの先に居るのである。

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