米国陣地戦の世界観と半永久憎悪

 パルチザンの問題についてのわれわれの考察の出発点は、スペイン人民が一八〇八年から一八一三年までの間において外国の征服者の軍隊に対して行なったゲリラ戦争である。この戦争において、初めてその人民――市民以前の、工業化以前の、在来型の軍隊以前の人民――は、近代的な、フランス革命の経験から生まれた、よく組織された、正規の、軍隊と衝突した。それによって、戦争の新しい空間ラウム(Raum)が開かれ、戦争遂行の新しい概念が開発され、戦争と政治についての新しい理論が発生した。

‐カール・シュミット『パルチザンの理論』新田邦夫訳 ちくま学芸文庫より‐


:米国史における陣地戦前夜と陣地戦の始まり

 近年、政治分野における陣地戦という単語が用いられる場面がある。私自身、ここ半年ぐらいになって意識をするようになった概念で、この語彙がどこから持ち出されたものなのかイマイチ判別がついていない。

(追記:2024.07.01 どうもこの概念はアントニオ・グラムシの概念だったらしく、ヘゲモニー理論と重ねて語ることができるようである。グラムシのテキストを読み終わったらフォーディズム周辺も含めて複数の記事を書こうと思う)

反面、この語彙は基本的に軍事分野で用いられてきたもので、近年の思想分野で他の分野の語彙を持ち出すという一種の悪癖の延長線上にある語彙の使用であるとも言えるわけだが、他者にこの概念を説明する場面も増えてきた。その概念定義が間違っているか否かはともかく、他者にこれを説明するためにも一度テキストとして残しておこうと考えた次第である。

 エピグラフとして用いたカール・シュミット『パルチザンの理論』は今回解説する陣地戦的世界観の解説・解題にもっとも適したテキストのように思う。と言うのも、この陣地戦とはそもそも国家及び国民が持つ世界観とストーリー(最近ではナラティブという言い回しが用いられることが多い)に対し影響力を持つ、(シュミットの言い回しを借りるならば)戦争の新しい空間ラウム(Raum)に関する語彙だからだ。

 陣地戦概念それ自体に踏み込む前に、二度の大戦と冷戦を経験し、現在に到るまでの米国史をかいつまんで話す必要がある。

そもそも米国は新大陸の国家であり、英国から独立して以後、フランス革命に端を発するフランス革命戦争を経て、モンロー大統領が宣言したモンロー主義と言われる孤立主義政策を長きに渡って維持してきた。これは欧州大陸と新大陸の相互不干渉を唱えたものであり、米国は欧州大陸へ積極的な関与を行わないが、同時に南米を含む新大陸全体に介入を行なった。

 また米墨戦争や長く継続する対インディアン戦争など、新大陸……現在のアメリカ合衆国の領土を決定するに到るまでの領土を彼らは戦争や買収、弾圧政策等の様々な手段によって得てきた。いわゆるマニフェスト・デスティニーと言われるものだが、これもアメリカ合衆国の領土がちょうど最初期にあった北米十三植民地の反対側、太平洋に面する地域にまで達すると領土拡大は海を隔て太平洋にまで進む。ハワイの併合がその典型的事例だが、日本史にも関わる黒船の来航も、東南アジアにおいて欧州国家の進出が図られている中にあってまだ欧州の手が届いていない東アジアへ進出する意図があった。

 しかし、これもまた南北戦争の勃発によって中断を余儀なくされる。第一のポイントはこの南北戦争にある。そもそも南北戦争とは工業化され欧州産の工業製品との兼ね合いから米国工業保護を主張し関税をかける保護貿易を主張する北部に対し、綿花その他農作物を輸出するために自由貿易と関税撤廃を求めた南部の対立があり、北部は工場労働者として解放された奴隷を、南部は農場労働者として資産としての奴隷を求めた。ここで南北戦争の詳細であるとか、現代にまで続く黒人差別の問題について詳しく言及することは避けるが、問題となるのは州それ自体が一つの独立国として現在でも地位を持つ個別の州らが政治問題を契機として南と北に別れアメリカ合衆国単位での内戦を起こし、後のWW1やWW2と比較しても圧倒的に多数の犠牲者を出したという部分にこそある。第一次世界大戦時の米国の死者数は十一万人、第二次世界大戦は欧州とアジアの両方に戦域を伸ばしながら三十二万人の犠牲者を出したが、南北戦争は南北併せて六十二万人弱の戦死者を出している。加えて、人種差別それ自体が抜本的に解決されたわけでもない。南北戦争後、荒廃した南部は北部政府による救済政策を受け入れるが、その前提条件には黒人奴隷の解放があった。これら一連の施策も制度上の解放であって心理的なものではないし、南北戦争以後もインディアンとの戦争は継続され続けている。第一次世界大戦終結時にパリ講和会議で発表された人種差別撤廃案を廃案に追いやったのはアメリカ合衆国の歴史を考えれば示唆的である。と言うのも、米国内においてこの人種差別撤廃案は”内政干渉”であると受け取られたのである。この時点でアメリカ合衆国は二つの事実を実地で学んだことになる。即ち


:どのように高邁な理想であろうとも国家それ自体の枠組みを揺るがすようなイシューを持ち込んだ場合には最悪の場合、内戦に到る

:理想主義的なイシューにも利害関係が常に纏わりつき、それが国際的な枠組みで生じた場合には他国の制度や体制それ自体に影響を起こすことが可能である


 示唆的なのはFBIの基礎を作ったジョン・エドガー・フーバーと彼の登場前夜における米国内の政治運動(暴力的なものを含む)への対応である。

一八八六年五月に発生したヘイマーケット事件においては八時間労働制を求めるストライキとデモが、最終的には警官により労働者の射殺に結びつき、警官と労働者が衝突した。この際に検察側は九人のアナキストを起訴し、裁判においては彼らが共同謀議によって爆弾テロを起こしたという立証はできず、爆弾を投げた実行犯が誰であるかさえ特定できなかったが、陪審団は被告人七人に絞首刑、一人に対して懲役十五年を評決し、七人のうち一人は自殺。二人は無期懲役に減刑され、四人の死刑は執行された。この事件に刺激を受けた一人がフェミニズムの理論家でもあるアナキストのエマ・ゴールドマンであったが、彼女はアレクサンダー・バークマンと共に活動を行うが、一九一六年には投獄され、一九一九年にはジョン・エドガー・フーバーは彼女について

「アメリカでもっとも危険なアナキストだ」

とし、バークマンと共に国外追放とした。

 つまり、自由の国とされ、言論の自由と活動の自由が担保されているという米国においてでさえ、当時アナキズムはアメリカ国内で自由を許されるような運動ではなかったし、今後特定の運動がアメリカ合衆国において国外追放や身分剥奪に繋がる可能性があることを示唆したのだ。これの端的な事例として挙げられるのもまたジョン・エドガー・フーバーが関与したマッカーシズム(赤狩り)であり、下院非米活動委員会と協力の上で共産主義者のレッテルを貼られた人物を攻撃、免職するに至った。一九五四年には共産主義者取締法が成立し、アメリカ共産党が非合法化される。こうした態度(制限付きの自由と運動の追放)は米国における思想それ自体に強い影響を及ぼした。つまり、米国において生じる思想は原則をもって現状の体制にとって受容もしくは回収が可能なものに限られ、そうではない運動は米国内部において成立することは困難なのである。この境界線上の事例にあったのが東西冷戦期における黒人解放運動であり、先に出したジョン・エドガー・フーバーはマーティン・ルーサー・キング牧師に定期的に脅迫文を送りつけていたが、最終的にキング牧師は国外追放されることなく暗殺によってその生を終えている。これは黒人差別問題が南北戦争以来の米国のイシューであったことに要因を求めることが可能であり、FBIはキング牧師を共産主義者であると半ば確信していたが、それも結局黒人解放運動という米国内の問題に回収出来る範囲に収められた(回収された)のである。基本的に米国の政治問題というのはこのように、常にアメリカ合衆国の政治的枠組みの範囲で回収可能であることを求められ、無政府主義や共産主義のように、そもそもアメリカ合衆国の政治システムでは回収しきれないものが国外へと追放されるか、アメリカ合衆国のシステムへの順応を迫られるものとなっている。

 では、このアメリカ合衆国の政治システムとは何かと問われれば、民主党vs共和党の二大政党制であると解答が可能だ。つまり、進歩的な政策は公共性を持った範囲で民主党が回収し、保守的な政策は公共性を持った範囲で共和党が回収する。この二大政党制の枠組み=空間ラウム(Raum)における戦闘を、米国における思想論壇は常に強いられることとなり、この空間から逸脱する、大規模迂回とも言える機動戦は原則をもって禁じ手と見做され国外追放や身分剥奪に結びつく。その結果、米国における思想が提案する政治的イシューは、常に民主党か共和党のどちらかに属する・陣地に配置されることを要求される。もし仮に、政治運動における思想展開を軍隊の機動として捉えた時に、非常に広い範囲(それは時に国家や既存共同体の枠組みを超えて)移動し、思想上の目標を実現しようとする思想運動を”機動戦”だとするならば、特定の範囲(国家や既存共同体等の枠組み)の中で行われ、その内部で思想上の目標を実現しようとする場合、そうした思想運動は”陣地戦”と呼称することが可能であろう。


:陣地戦的世界観の普遍化及び世界進出

 陣地戦世界観。思想上の機動戦を制限し、既存の枠組みの中で運動を行わせ、これを常に対立的に(進歩vs保守)展開する考え方は、とくに東西冷戦の終焉と9.11テロの発生以後に世界へと広まっていった。これは陣地戦世界観それ自体が秀逸であったと言うよりも、アメリカ合衆国の疲弊と戦略転換に理由を求める方が合理的であろう。と言うのも、第二次世界大戦以後のアメリカ合衆国は世界の警察を自認し、西側陣営の盟主として動き、ソビエト連邦と冷戦を繰り広げ、疲弊したソビエト連邦は最後には崩壊したわけだが、疲弊していたのはソビエト連邦のみならず、アメリカ合衆国もまた同一である。とくに第二次世界大戦以後、アメリカ合衆国は荒廃した欧州及び東アジアに大規模な投資を行い、同時に自国の市場を解放し、同盟国にある程度占有させることで軍事的・政治的のみならず経済的にも依存関係を相互に強めたという背景を持つ。これは確かに東西冷戦における西側の勝利に結びついたが、一方で米国の市場は当然と言えば当然だが、西側の多数の国家に占有される結果を招いた。ソビエト連邦の崩壊後、ロシアを含む旧東側は強烈な混乱期を経験したが、これは米国においても(それは二度の大戦における旧世界と比べればソフトなものだったとは言え)規模は違えど同一の事情を持つ。ソビエト連邦が崩壊してから、米国はこの世界の警察としての負担を世界に分配しようとした。湾岸戦争はその典型的な事例と言え、朝鮮戦争やベトナム戦争では部分的に過ぎなかった同盟国の負担が、湾岸戦争においては英仏などといった主要同盟国家を主攻に据え、多国籍軍の枠組みを再定義した。ところがこれも結局、軍事的な共同作戦に過ぎなかったということを、とくに米国は9.11により痛感する。このテロリズムは冷戦期に西側で起きた様々な赤色テロ(それは安保闘争における日本で起きたものも含む)と違い、宗教的な目的をもって、米国本土に対して行われた。このテロ自体の是非はテキストの目的からは外れるため言及を避けるが、この事件は米国内における政治意識を強く変革した。今まで自己犠牲的に世界の警察を演じてきた米国が、自国主義に回帰するきっかけをこの事件は生み出したのだ。経済分野においてはこの傾向が顕著であり、ドナルド・トランプ大統領の誕生はこの風潮の最たるものと言えるが、政治思想の分野においては陣地戦世界観の、いわばこの塹壕線を国境を超えて展開することでアメリカ合衆国は文化における上部構造のヘゲモニーを握ろうと方針転換をしつつある。

 そもそも、先の黒人解放運動やインディアンに関する問題は(少なくともジェンダーに比較すれば)普遍性を持たないもので、例えば米国と同様に黒人奴隷が存在していた英仏や南米諸国であるならばともかく、日本を筆頭としたアジア国家には基本的に馴染みの薄いもので、これは移民に関する問題にも同一のことが言える。無論、日本という国家に宗教差別が存在しないとは言い難いが、移民の受け入れそれ自体の規模や宗教政策とはまさしくそれぞれの国家の独立したイシューである。しかし、アメリカ思想論壇における陣地戦世界観のイシューは、例えば”民主主義国家の”、”西側の”、”同盟国の”、”資本主義の”、”地球環境の”といった様々な前置詞を用いることで普遍性を付与している。これは過去にアメリカ合衆国が第一次世界大戦時のパリ講和会議で人種差別撤廃案を『内政干渉』と考えた問題を前提に置くと非常に示唆的である。つまり、陣地戦世界観におけるイシューは偽装された普遍性(それはアメリカ合衆国の経済的・政治的・文化的優越というプロパガンダに乗って)によって、世界単位の問題として諸外国に陣地戦を要求するという動きに結びついている。これは進歩的と称される立場のみならず、保守的な立場においても同一である。黒人を差別してはならない、という米国陣地戦における進歩的な世界観に反対する米国の保守派が時おりあからさまな黒人差別を打ち出そうとする時、陣地戦世界観に影響を受けた保守派が黒人差別を打ち出す、という場面が存在する時、これは陣地戦世界観の塹壕へと論者が踏み入ることで、必然としてその枠組みの前提となる、アメリカ合衆国中心のプロパガンダ的価値観に染まる(右派・左派の区別なく)のである。

 この論点はフランスの右派論者であるアラン・ド・ブノワが『人権を超えて——自由の擁護のために』(Au-delà des droits de l’homme: Pour defender les libertés,)においてテキストにも残している。

 ひとは時々にヨーロッパが世界にもたらしてきたもの、ヨーロッパをもともと特徴づけているものについて自問する。おそらくは最もよい答えは、それは客観性の観念である、というものである。以下の残りのすべてはそこから派生してきたものである。人格の理念と人格の自由、特殊な利益と区別されるものとしての共通善、公正さの探求としての正義(いわば報復とは真逆のものである)、科学の倫理と経験的所与への敬意、世界について思考し、自分自身で事物の意味を問いかける人間の能力を讃える、信仰から解放されたものとしての哲学、距離の精神と自己批判の可能性、対話の能力、真理の概念それ自体。

 普遍主義というのは、この客観性の堕落態である。客観性が特殊な事物を出発点にして獲得されるものであるのに対して、普遍主義は恣意的に措定された観念を出発点に特殊性を規定しようとする。存在から義務を演繹しようとするのではなく、反対の方向に進むのである。普遍主義は事物を客観的に取り扱うことを事とするものではない。奇矯な抽象から出発して、そこから帰結するのは、事物の自然本性に対する知である。それは主観性の形而上学による倒錯した体系の誤りを象徴するものである。

 陣地戦世界観とはアラン・ド・ブノワの言う普遍主義に該当するもので、陣地戦世界観とは「米国の政治的イシュー」という措定された観念を出発点に、「米国政治問題とその運動」という特殊性を規定する世界観・枠組みだと言える。


:陣地戦世界観の問題点

 無論、運動や思想が(とくに国家の統制が強い地域において)既存の枠組みの範囲で運動を規定されるという現象は決して珍しいものではない。現在なら例えば現在の中華人民共和国などでも同一の現象が起こっている。しかし、陣地戦世界観の問題点はそうした既存の国家における”よくある問題”とは一線を画す複数の問題が内在している。

 まず第一に、陣地戦世界観は進歩vs保守に別れ、既存の枠組みの範囲で長期間に渡って対立する。この状態に対する結論は、二大政党制における政権交代或いは維持によって一定期間限定で結論を得ることができる。そう、これは一定の結論でしかない。進歩勢力が勝利した場合にも、その改革は任期のうちにしか行うことができないし、全ての改革が成立するわけではない。それは保守勢力が勝利した場合にも同様であり、その上、双方が制度を変革していく毎に、二大勢力は反対勢力への憎悪を強めることとなる。題名にある『半永久憎悪』とは、陣地戦世界観における二大政党制と両派の感情に対してつけた一つの名称である。この構造によって社会全体で綱引きが生じ、改革の行き過ぎと改革の停滞の双方を防ぐことが可能になるが、その反面、政治意識を持つ市民は全員進歩派か、或いは保守派であるかの二択を迫られることとなり、両派は絶対に和解をすることができない。仮に個人的な領域(友人関係等)によって両者が互いを認めていても、政治領域においては常に対立を続けることになる。そして、そのような対立が人同士の関係性に影響を及ぼさない保証はどこにも存在しないのだ。こうした状況は最終的には人間同士の相互不理解に結びつき、関係性の不和、その先にある人心の荒廃を生み出すであろう。

 例えば、陣地戦世界観が強固である人間同士が出会い、相互に立場が違ったとする。そうなれば無論、陣地戦世界観を強く内面化していればいるほど、対立する相手から融和不可能な、異質な要素を先んじて見出すであろう。何故なら陣地戦世界観、思想の塹壕における敵・味方の識別は二大政党制をもって常に二元論的な進歩vs保守の世界観となるからだ。実際には政治の問題は多数の複合的な要素があるにも関わらず、陣地戦世界観はこれを無視する。どちらであるか、これが最重視される世界観なのである。果たして、このような永久的な対立を強いられ、抜本的な改革を常に否定されるような体制が、言論を含む自由が担保された世界だと言えるであろうか?


:結び

 この記事は、近年において米国の政治問題が日本含む民主主義国家に輸入され、いわば”作られた問題”として成立する過程を、陣地戦という概念で説明したものである。私自身は国家や共同体の枠組みの外にある機動戦的な政治理論を決して否定はしないという立場にあるものの、この記事においてはそうした思想を礼賛する意図を持ってはいない。ただ、政治的な問題に対し左右やその他何らかの色付けをもって結論とし、対立それ自体が或る種目的化された、転倒した状況を私は好まない。そうした観点から言えば、私は陣地戦世界観に否定的な立場を持つものである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

第四の文学 文乃綴 @AkitaModame

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ