博物学なる悪趣味に対する一人物の提言

博覧趣味とか博覧主義とか博物学とかいうものは悪趣味の一種である。

そうした事実を我々は再度認識した上で尚、博物学というものに当たらなければならない。

博物的趣味へのそうした前提、原罪的な意識を抱え込む必要性について私は述べていこうと思う。


無論、博物学的なものの見方。古くから存在するものを集め、分析し、記述するというのは古代から行われている営みであるというのは明確な事実である……が、それと同時に、こうした博物学が大航海時代とその先にある西欧の植民地主義から巨大化していったのもまた明確な事実である。

博物学的なるものはまず、そうした広い地域に渡る古いものを輸送し、保持し、一箇所に集めるだけの実際的な力が必要になるのである。

無論、それらが歴史学や古典研究という『人類全体の進歩』に役立ったのもまた事実であるが、そうした『世界の進展』によって生じた実際の当事者たちの苦痛についてもまた無視をするべきではない。


現にそうした博物学を代表する一機関として『大英博物館』が存在するが、これは一部の人が知る通り、それを所有していた国家からの返還要求が存在していながら、未だに所有されたままになっている貴重な文化財がいくつも存在している(代表格としてはエジプトのロゼッタストーンやギリシャのエルギン・マーブル等がある)


無論、一種の道理として

「そうした文化財が戦火によって破壊されることを免れる役割を博物館は担ってきた」

という主張も可能であるが、これ自体が博物学を優先することで歴史学……実際的な歴史のダイナミズムというものを無視した発想であると私は考える。

それはつまり、文化財というものが何に由来して存在しているかという疑問の提示に繋がるだろう。


文化財なるものは背景に存在する歴史的文脈を持つことで初めて成立するものである。例えば私が紙でもって実際の生活を三年ほど日記に記載し、街中の様子や当時起きた出来事を記述したものが五〇〇年後に何者かの手によって発見されれば、これは五〇〇年前の実際の生活を記述した風俗史・生活史的に見て非常に重要な文化財として保護されることになるだろう。

しかし現在の私がそれを三年間書き、そうした末に売りに出したところで文化財的な価値はつかない。オークションで買う奴は馬鹿だ。いるかもしれないが、大変低い文化財と言えば鼻で笑ってしまえそうな値段しかつかないであろうことは明白である。


ところで、歴史的な文脈とは何かと問われれば、年数が経ち、そうした現象が存在していたという証明になることである。

ここで私が言いたいのはつまり

『文化財が様々な事情から消失し、破壊されることもまた歴史的な文脈の一部を担う概念となるのではないか?』

ということである。

例えば有名なところでは、アフガニスタンのカブールにおいて遺されていた仏教建造物(『バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群』と呼称される)は実際にイスラム主義をとるターリバーン勢力によって破壊され、その”野蛮性”が先進各国によって報じられたのである。

また古くは現在のエジプトのアレクサンドリアに存在していたと言われるアレクサンドリア図書館が戦火によって失われたという”歴史的事実”が存在するのである。


要するに『世界人類の進歩』にとって必要なものであるという”人類的観点”から見た文化財の盗難とその保持(端的に言えば博物学と博物館そのものである!)とは、その国家や集団において生じる『文化財への迫害』という歴史的文脈を踏みにじっているのである。

これは逆を言えば『残らない遺産には意味がない』という先進諸国の一種のおごりにも通ずる観念である。


例えば日本においては伊勢神宮が、そもそも建造物の残りにくい日本的風土に適応して、概ね二十年毎に建て替えられる『式年遷宮』という文化が存在するわけだが、これは『先進的な博物学の観点』からは価値が生じ得ないのであろうか?


無論、伊勢神宮はその精神的連続性をもって文化財と成すという回答がまた可能であるが、それならば『文化財の破壊や損失』もまたその国家や集団の精神的連続性の営みの中に組み込まれるべきではないのだろうか?


その時代からの時間的経過を経て過去のものを我々が博覧しようとした時に、そこで重要なのは『何故これが重要なのであり』『何故これが存在するのか』という視点を常に持つことであろう。

人類史に残る文化財は後世に残るべきである、というのはあくまで一面的な見方であり、そうした見方が歴史的な人類の動作そのものを阻害するべきではないのである。


故に、博物主義とか博覧主義とかいうものは『一種の悪趣味』であり、そうした悪趣味に対して自覚的であるべきで、そこで

「重要な文化財は残されるべきである」

と語るのはあくまで一面的なものでしかなく、寧ろ

「何故これを破壊しようという勢力が存在しているのであろうか?」

というところまで想像を回し、自身がそれを入手し、閲覧する権利をもって他者が閲覧……ひいては破壊することで歴史的な文脈を構成しようという感情を持ち得ることに対する考察をするべきなのである。

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