三島由紀夫と私の出会い
来年は三島由紀夫(本名:平岡公威)の生誕百周年だと言うので一部で話題である。一時は評論や批評でやたらめったら三島由紀夫に対し攻撃的であったというのにここ最近は随分と態度が軟化したようで出版社側も『仮面の告白』の初版復刻本を出す、などと言っている――ところで、ほぼ同じものを
さて。とは言え、私が憂国忌に毎回何らかのテキストを出しているのは数年前からのお約束で、去年は墓参りに加えて『先生の庭』という小説を一つ書き上げた。今年は三島の周縁部とも言える思想の翻訳作業を中心とした思想活動が主で、三島研究は少しおざなりになった部分がある。そこで今年は一つ、私(文乃綴)と三島由紀夫という一文学者との出会いについて述べることでお茶を濁したいと思う。そのような文章にはなるのだけれど、お付き合い頂ければ幸いである。……それに、半ば私小説じみた話になる。私は『先生の庭』において
「仮にあなたに運命があるとすれば、それは、本音を隠すことができない。自身の恥部をエロチックに開陳しようとする、その性癖にこそあるのですから」
などと訳知り顔な台詞を書いたわけだが、何のことはない。私は『仮面の告白』式の自己開陳が得意ではなく、私小説的なものを書いたとしても『金閣寺』や『午後の曳航』や『禁色』、『鏡子の家』方式の、自己とモチーフを半ば重ねながらグラデーション状に記述する、あのやり方ばかり取っている。そういう意味ではこの文章が『仮面の告白』式で記載される初めての私小説的な文章だ、ということにもなる。とは言え、それほど大仰なものでもないだろう。
私がチャレンジスクール出身であることは親しい範囲の人々によく知られている。不登校経験者が通う高校の出身で、入学直前の自分は本当に荒れていて……結局、義務教育時代のトラウマと呼べるものが弱まって昇華されるまでにおおよそ十五年程度の時間が必要になった。そう考えると随分時間がかかったものだなと思うが、今にして思えばその頃の自分も愛おしいような気がしてくる――そう、つまりこのように「その頃の自分も愛おしい」と思えるようになるまで、それぐらいの時間がかかったのだ、と言える。
私の世代はちょうど、オタクであることに負い目を持つか否かの境界線にあたる年代で、多感な十代半ばの頃にオタクカルチャーと呼び得る物が徐々に市民権を得始め、かつては自分たちを教室の角に追いやっていく元凶として扱われてきたコンテンツらを、本来であればそれらを攻撃材料に教室内のカーストを構築しようとしていた人々が触れ始めて臆面もなく楽しむような時代が来て……座りが悪かった。結局、メインカルチャー的な世界観に対する反抗、プロテスト的な精神でもって一種依怙地になってコンテンツに触れていたのに、彼らは自分たちが感じた負い目も抵抗も圧力も感じないままに、気ままで自由な気持ちでGod knowsの話なんかをしていた。結局、自分たち(とその世代)が変だったのであって、現代っ子が彼らと同じように臆面もなくそれらカルチャーに触れていることを認めてあげられるようになったのもここ五年ぐらいの話だった。
この頃のインターネットというのはSNSというのが流行し始める一歩手前の時代で、国産SNS『mixi』が幅を利かせるものの、これも圧倒的多数派とはならず、大抵のネットユーザーは2ちゃんねる(現:5ちゃん)で匿名者として発言するか、何らかのコンテンツに紐づけられたHPにある掲示板やチャットなどで交流をするのが大半だった。……Twitter(現:X)もDiscordもGitHubもなかった時代の交流とは現代っ子には想像し難いものなのではないか、と私は思うし、他でもない私自身そうやって口に出してみると
「そんな時代あったのか」
と一つ馬鹿みたいなことを(お前は経験者ではないか!)言いたくなってしまう。ようは、そういう時代に十代半ばの多感な時期を過ごした、義務教育を真っ直ぐに終えることができなかった、中途半端で、グズで、デブで、猫背な、古風なオタクを気取りたがる――当時のよくいるオタクというのが、当時の私だったのである。
ここまで自己卑下出来るのも、その頃の自分というものを拒絶なく受け入れることができるようになった現在ゆえではあるが、冷静に考察をすればするほど、当時の私はやはりそういう卑屈な学生だったのだと言いたくなる。
――いつ死んでやったっていい。無駄死にじゃないのであれば何でも。
これが当時の私の嘘偽りない心境だった。
中学生時代に『ゼロの使い魔』や『灼眼のシャナ』のようなファンタジーを摂取し、『涼宮ハルヒの憂鬱』以上に『Dクラッカーズ』や『
ちょうど私の世代はネトウヨブーム真っ盛りで、Twitterなどもない時代に良くもまあデモが出来るぐらい勢力を構築出来たものだなと現在の私はあの運動について感心してしまうばかりだ。実際、自分と同世代のネットユーザーに話を聞けばやはりその頃の政治運動の記憶というのが出てくる。私の世代の政治と思想の原風景には間違いなくネトウヨブームがあったように思う。靖国神社の成り立ちについて知ったのも丁度その頃だった。
このように話をすると私がそもそも右翼的傾向から三島由紀夫を読み始めたのではないか、などと勘違いをする人が居るかもしれない。だからこそ言っておきたいのだが、私が三島由紀夫という作家を読むにあたって、その導入となったのは彼の政治思想では断じて、ない。
そもそも、当時の私が三島由紀夫という作家に抱くイメージは、現代の一般人が抱くそれと全く変わらなかった。「切腹をした異常な文学者」というもので、それ以上に何か彼という文学者に価値を見出すような側面は殆どなかった。当時の私は先述のようにネトウヨブーム直撃世代の一人で、現代の日本の一般的な右翼のかなりの割合がそうであるように、ネトウヨというのは基本的に親米主義者が多い。当時の私も(現在、反米主義者として発言しているのを考えれば信じられないが)ネトウヨの例に漏れず親米主義者であった。そして三島由紀夫というのは反米保守のイデオローグ的な人物でもあったわけで、政治的にはだいぶ立場が違ったし、そもそも三島由紀夫が反米主義者だったのだということ自体、当時の私は一切、知らなかった。
このように書いてみると、寧ろ逆に、三島由紀夫という私の人生を規定せしめた一人の文学者と、卑屈な元不登校児の典型的かつ古典的なオタクである青年と私とが出会うきっかけなど生まれ得ないのではないか、と言う直感を抱く方がどちらかと言えば正しく、今になってみるとこの”三島由紀夫に出会っていない私”というのが全く想像できないぐらい、私という人間の人生に三島由紀夫という文学者が必要不可欠になってしまったのが、あまりにも偶然の積み重ねの先にある奇跡的な現在のように思えてならず、もし宿命というものが私にあるのだとすれば、それはきっと三島由紀夫と私との関係性を指すのだ……とすら、思う。
高校に入った私が、チャレンジスクールの雰囲気に完璧に馴染めたかと言われれば……これもやはり、十全にとは行かなかったというのが本当のところだった。先のように私は古典的な、”オタクであることに誇りを持つような”青年であり、当時はまだTwitterのようなものもなく、ネットの人間の醜さは何か一部の狂人(チャットに現れる荒らしのような)に特有のものであって、大半のインターネットユーザーに対しては何か薄い、薄い、その目には映らぬような連帯感のようなものがあると信じていた。今にして思えば若かった、の一言ではあるのだが……チャレンジスクールという空間には、そういう連帯感を共有出来る相手が沢山いて、彼らはそうしたカルチャーへの信仰故に爪弾きにされた人々なのだと思いたがった。――分かると思うが、こんな連帯感などというのは幻想に過ぎなかったし、ただの妄想でしかなかった。
授業はついていけるが面白みはなく、彼らは不登校を経験していて不真面目ではあったが、同時にオタクカルチャーやコンテンツに対してさえも不真面目であった。そんな彼らに共感できるはずもなく、当時の私はもっぱらゲームセンターでシューティングゲームをやるか、学校の図書室で本を読み、行き帰りには借りた図書室の本を読むような生活を続けていた私は、ある時ふとこのように考えたのである。
「私が名前を知っている作家の、興味を抱けそうな作品を一つずつ読んでみるのはどうだろうか?」
と。普通、ここで学識ある人間であれば
「知っている作家なんて無限にあるんだから、全てを読むことなんて出来るわけがない」
と思うであろうし、仮に今の私が同じことをやろうとしてもそれは絶対に達成困難であっただろう。ところが、当時の私は義務教育をドロップアウトし、チャレンジスクールに流れ着いた身の上で、学識などというものがあろうはずもなく、せいぜいが
「国語だけなら進学塾でも通用する程度の頭」
がある程度でしかなかった。……私がトラウマを持つ義務教育時代は無論、チャレンジスクールにおいても大半の国語教師が私に対してだけは優しかったことを今になって思い出すのだが、それは恐らく私が「国語だけはできる学生」で、そして数多の人格破綻者たる文学者や詩人の像を知っていた彼らが「多分コイツは文系に進む典型的な
そんな状態だったから、知っている作家などと言っても大した数ではなかった。それに優先されたのは作家名だけではなく、タイトルも含まれていた。その後の私の人生の転換点となる読書の始まりはそんな、無知と無気力が混合された捻じくれた、中途半端な精神でもって行われたものだったのだ。
その時に思い浮かべた作家を私は今も覚えている。
村上春樹、太宰治、星新一、筒井康隆、ロバート・A・ハインライン、アイザック・アシモフ、アーサー・C・クラーク、西尾維新……そして三島由紀夫。
SF作家が多いのは当時私がハマっていたアーケードSTGの世界観の源流にあるからで、WikipediaにあったハードSFの記事で挙げられた作家を手当たり次第に手を付けたのに理由がある。またハインラインはライトノベル『Dクラッカーズ』で引用があったのが理由だ。
タイトルだけ知っているということを理由に読んだのが『ブギーポップ』シリーズで、作家のそれぞれの作品も聞いたことのあるタイトルばかりを摘んで読んだ覚えがある。……しかし、そのセレクトを見てみると実に法則性がないものばかりで、尚のこと私がここから三島由紀夫に至るまでの経緯が不思議なもののように思えてくる。
この時に私が「タイトルが格好良いから」などという如何にも頭の悪い青年が考えそうな理由で『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を読んだがために、かなり長いあいだ私は村上春樹が嫌いになってしまった。他には彼の翻訳したサリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』もその嫌悪感の一因になったのだが、そもそもこのサリンジャーの作品自体が悪文で知られる作品であることを知るのも、村上春樹の面白さを理解出来るようになるのも随分後の話となる。
一方で、星新一や筒井康隆はかなり気に入り、とくに筒井康隆は現在に至るまで収集を続ける作家の一人となった。アシモフの推理小説的な明快さも好きだったし、クラークの壮大さも悪くなかった。ハインラインは『月は無慈悲な夜の女王』をかなり気に入り、『夏への扉』も悪くないと思った。一方でガンダムなどの元ネタと目される『宇宙の戦士』はあまりピンと来なかった覚えがある。
ライトノベルでは『ブギーポップ』シリーズに熱狂した。現在では社会人特有の金の融通が効く状態を利用して上遠野浩平作品自体を買い漁るようにまでなった。
普通、頭の悪いチャレンジスクールのオタク青年は
「このへんでいいかな」
なんて思うような気がしないでもなかったのだが、現在に至るまで
「やるならば最後まで」
という妄執的な拘りがある私は、やはり純文学的なものにも手を伸ばしたがった。そこでようやく出てくるのが三島由紀夫……ではなかった。
太宰治だったのである。
そう、この時に私が最初に手を伸ばしたのは他でもない。太宰治『人間失格』だったのである。
今でも信じられない。やはり子供だったのだ……『人間失格』という如何にもなタイトルが、きっと今の自分という青年の心を癒やしてくれるのだ、などと妄想をしていたのである。
果たして、その妄想は裏切られた。
『人間失格』の主人公・葉蔵というのはモテる奴である。人におべっかを使うということを知る男で、その癖なぜかいじいじしていて、最後には精神病院に幽閉される。勿論、思春期の間にモテるという経験を一度もしたことがないどころか、基本的にありとあらゆる恋に敗れていた青年こと私は憤慨したのだ。……こんなのが『人間失格』であってたまるか! と。この太宰治に対して抱いた憤慨もまたかなり長いあいだ引きずることとなり、これもまたここ五年になってようやく、徐々に、少しずつ治り始めた。
そうして憤慨する過程を経て初めて私は、運命の相手となる三島由紀夫の、その文学へと手を伸ばしたのである。
繰り返すように、当時の私は今の、色々あって無駄に知識を蓄えた人間とは全く違う、よくいる、ネトウヨカルチャーにどっぷり浸かった古典的オタクの青年でしかなかった。『金閣寺』や『禁色』のように、とにかく沢山の代表作を持つ彼の作品のうち『仮面の告白』を選んだ理由は、たんに私が読めそうな簡易な文体と中身の作品が『仮面の告白』ぐらいしかなかったのだ……この時点で、当時の私が本当に頭の悪い学生であったことが理解出来ると思うし、それでも勉強を続ければ、半端者とは言え今の私のような人間程度にはなれるということの証左にもなる。
さて、『仮面の告白』は思春期の青年・文乃綴にどのような影響を与えたのか?
一言で言えば――絶大に、であった。
当時の私は、死を前提としたロマンティックな世界観全般への憧れがあり、その源流には先に述べたように、父方の実家の神棚に飾られていた戦死した先祖の”若いままの姿”があった。そして何より、父方の祖父。父の父にあたる人もまたソ連抑留の帰還者であった。
私が当時考えていた思念、想念、思想全てがそこにはあった。
彼の職業に対して、私は何か鋭い悲哀、身を撚るような悲哀へのあこがれのようなものを感じたのである。きわめて感覚的な意味での「悲劇的なもの」を、私は彼の職業から感じた。彼の職業から、或る「身を挺している」と謂った感じ、或る投げやりな感じ、或る危険に対する親近の感じ、虚無と活力とのめざましい混合と謂った感じ、そういうものが溢れ出て五歳の私に迫り私をとりこにした。
私はねじれた恰好をして倒れている自分の姿を想像することに喜びをおぼえた。自分が撃たれて死んでゆくという状態にえもいわれぬ快さがあった。例え本当に
どちらもこれは『仮面の告白』の文章だったが、私はこの”悲劇的なものへの羨望”、”死にひた走る美的な存在”へのコンプレックスにも似た憧れの感情に強く、強く共感した。……もっとも、三島は美しい青年にその像を見出したが、私は美しい少女にその像を見出したという違いはある。しかし、性別の境目を超えて共感するのは私には全く容易であったし、それどころか三島が抱く青年への情念さえ、転びかけてしまいそうなほどに共感してしまったのだ。――しかし、当時の私はやはり読解力のない人間で『金閣寺』や『花ざかりの森』を読むことはできず、ただ『仮面の告白』が熱狂的に好きな青年として、高校四年間(定時制は四年卒が基本なのだ)を過ごしていた。
その後、専門学校に入学した私は簿記の勉強でとにかく忙しく、本を読む時間がなくなってしまった。
私が再度三島由紀夫を読み始めたのは、新卒で就職をした後のことだった。新人がプレゼンの練習も兼ねて愛読書を発表する会があった時には、私は堂々と恥ずかしげもなく『仮面の告白』のプレゼンをし、それ以降も会社の帰り道には三島由紀夫の小説を少しずつ読んでいった。
結局、この会社は半年で休職。一年で退職に至ってしまうのだが……その後も三島由紀夫という存在に恋い焦がれた私は、とにかく三島由紀夫という作家の文体を模倣するような作品を延々と、延々と書き続けていった。
そして『豊饒の海』に出会うのだが……この話は、来年まで取っておきたいと思う。
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