第35話

 部屋の奥には、八十平方メートルほどの空間が広がっていた。

 天井を支える柱が点在し、床に瓦礫が転がっていない。

 壁に亀裂も入っていないため、上階とは印象が大きく異なる。


「ここは建物の中核になる予定の場所だったらしいぞ。だから年月が経過しても劣化しにくいよう、頑丈な構造にしたのだろうな」


 言いながらシグは歩を進め、空間の中央で足を止めた。

 そして静かに振り返り、圭介へ視線を向けて続ける。


「さあ、話そうか。お前には聞きたいことがある」

「具体的には……何だ?」 

「まだ魔獣との和睦を諦めていないのかどうか、だ」


 核心を突いた言葉。

 一瞬圭介は表情を変えるが、最初から返事は決まっている。


「もちろん」


 即答だ。


「今はお互いに憎み合っていても、時間をかけて交流を重ねていけば、分かり合って和睦できる日が来る。実際に南雲教官と藤堂教官は絆を結ぶことができた……!」

「だが、最終的に殺し合うことになったな?」


 シグの鋭い指摘に、圭介は返す言葉がない。

 事実だからだ。


「確かに人間と魔獣が絆を結べるということは、南雲恭司とバルが証明した。しかしそれも結局は個体ごとの話であって、種族全体で和睦できることを証明したわけではない」

「……」

「だからこそ、南雲恭司とバルは殺し合わねばならなかった」


 その通りであろう。

 個々で分かり合うことができようと、種族全体となれば話は別。

 様々な事情が積み重なり、戦いたくなくとも争わねばならない、という状況が発生してしまうのだ。


「そして人間も魔獣も、お互いの種族を憎んでいる者達の方が圧倒的に多い。和睦を説いたところで、大抵の者は聞く耳など持つまい。逆に裏切り者扱いされ、爪弾きにされる可能性が高いだろう」

「ああ……言われずとも分かっているさ」


 圭介は現実が見えている。

 だから、もう分かっているのだ。

 全世界の人間と魔獣が和睦できる可能性など、皆無に等しい、と。


「それでもまったく可能性がないわけじゃない……だったら……!」

「和睦を説いていくことに意味はある、か?」


 シグの問いかけに対し、圭介は小さく頷いた。


「もう戦争が勃発してから数十年だぞ。これほど長引けば、いつ終わるとも知れぬ戦いにうんざりして、和睦を考える者が出てきてもおかしくない」

「確かに」


 どこか達観したように、シグは続ける。


「それはありえるかもな……私もバルと南雲恭司があんなことになって以来、本当にこのまま人間と争い続けるべきか否か……時々考えている」

「シグ……それじゃあ……!」


 和睦、あるいは休戦に同意してくれるのかと、圭介が続けようとした瞬間。

 シグは右掌を突き出し、彼を制した。


「そのように考える者が出てきてもおかしくないことは事実だが、決して多くはなかろう……なぜなら」

「魔獣は人間を『食料』にしているから……か……?」

「そうだ」


 圭介の言葉を、シグは即座に肯定した。


「人間が生きるために動物を食うように、我らも生きるために人間を食う。まったく同じ行為だが、そう言っても大多数の人間は納得しまい」

「……」

「そして人間が動物しか口にできないわけではないように、我らも人間しか口にできないわけではない。やろうと思えば野菜だけ食べて生きていくこともできる。これはほとんどの人間が知らないことだろうがな」


 確かにそれは初耳だが、極めて重要な情報である。

 今まで和睦という選択肢がなかった最大の原因は、魔獣が人間しか食わないと思われていたが故だ。

 しかし違うなら、話は大きく変わってくる。


「だったら、どうしてそのことを……!」

「教えても信じる人間など少ない。お前のような人間こそが少数派なのだ」


 少し間を置いてから、シグは静かに続けた。


「仮に信じる人間が多かったとしても、まだ問題は残っている。我ら魔獣が基本的に強き者を尊ぶという点だ。若手が暴走しがちなのも、ダズ様が南雲恭司と引き分けてしまい、魔獣王の威光が地に落ちたことが原因の一つだしな」

「……」


 彼の言葉を聞きつつ、圭介は半ば反射的に右手で拳を作っていた。

 これからシグが何をしようとしているのか、察したからだ。

 

「強き者にこそ魔獣は従う。どうしても魔獣との和睦を成立させたいなら、己の志と強さを示すことが前提だ」


 そう言って、シグは右手で拳を作った。


「圭介。お前の志は十二分に示してもらった。後は強さを示せ……!」


 力強く叫ぶなり、前進してくるシグ。

 巨体からは想像もできない勢いで距離を詰め、圭介の頭部めがけて右拳を振り下ろした。

 身長差があるので、パンチは斜め上から迫ってくる。


「!?」


 それを圭介は咄嗟に左へ跳躍して回避。

 直後に、シグの右拳はコンクリートの床を殴りつけ、轟音を響かせた。

 恐ろしい衝撃で廃墟全体が揺れ動き、無数の破片が飛び散っていく。


「うぅっ……!」


 冷や汗を流しつつ、少し離れた位置へ着地すると、圭介は前方に視線を向けた。

 シグがパンチを打ち込んだ部分が、巨大なクレーターと化している。

 少なくとも直径二十メートルはあるだろう。


(何て怪力だ……!)


 想像を絶するシグのパワーに、圭介は戦慄した。

 あのザジをも遥かに上回る圧倒的破壊力は、脅威以外の何物でもない。


(だが、俺は何としてでも勝たなきゃいけない……!)


 勝ち目は薄いが、諦めるという選択肢は最初から存在しない。

 闘志を奮い立たせ、左右の拳を静かに構える圭介。

 そんな彼に向かって、シグは満足そうに呟いた。


「素晴らしい闘志だ……気に入ったぞ」


 言うなり、シグは仮面を外した。

 隠されていた素顔は精悍そのものであり、歴戦の風格を漂わせている。

 続けてフード付きマントも脱ぎ、仮面と共に捨ててから拳を構えた。

 魔獣としての姿ではなく、人間形態で戦うつもりのようだ。


「では始めよう。私を打ち倒し、己の強さを証明してみせろ……!」


 言い終えた瞬間。

 シグは先ほど以上の凄まじい勢いで、殴りかかってきた。

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