第6話

 その日の夕方。

 郊外の廃墟で魔獣が二体、静かに向かい合っていた。

 片方は、額に花びらの紋章が刻まれている。

 あまり大きくないが、宝石のように光沢を帯びているのが印象的だ。

 もう片方の額に刻まれた紋章は逆十字で、やはり輝いている。

 どちらも体長は二メートルに満たず、魔獣としては小さな部類に入るだろう。

 しかし貧弱そうな印象は皆無だ。

 むしろ並の魔獣よりも、遥かに強烈な威圧感を発している。


「エド。最近若手の連中が勝手に動いているようですね」


 苛立ち混じりの口調で言ったのは、花びらの紋章を持った魔獣。

 あまり機嫌が良くないらしい。


「そうだ、リゾ」


 逆十字の紋章を持ち、エドと呼ばれた魔獣が口を開いた。

 こちらも決して穏やかな口調ではない。


「慎重に動けと何度警告しようとも、大抵の若手は無視してしまうからな」


 古参の魔獣ほど、賢く慎重である。

 何も考えず派手に動くことがどれだけ危険か、長年の経験で知っているからだ。


「その結果、依頼を受けてやってきたガードのメンバーに倒されるという事態が頻発している……困ったものだ」

「まったくです」


 エドの言葉に同意すると、リゾは唸り声を上げて続けた。


「しかも昨日は肉体変形能力を使い、短時間で人間の姿に変身した馬鹿もいたとか」

「ああ……その話は俺の耳にも入っている」


 呆れた様子を隠そうともせず、エドは言った。


「四足歩行から二足歩行になる程度の変形ならともかく、全身を急激に大きく変形させて無事で済むわけがない。そんなことは少し考えれば分かりそうなものだがな」


 魔獣には肉体変形能力がある。

 ただし、無制限に使えるわけではない。

 変形の際は凄まじい痛みが走り、体力も相応に消耗してしまうからだ。


「痛みは変形部分が多ければ多いほど増す。だから人間の姿になりたいならば時間をかけ、少しずつ変形させていくべきなのだ」


 それなのに短時間で一気に全身を変形させれば、どうなるか。

 考えるまでもない。


「その馬鹿は痛みに耐えかね、狂人のような状態になっただろうな。もう正気には戻れまい」

「でしょうね。人間の姿に変身して日本支部基地へ侵入すれば、ガードの教官も簡単に不意討ちで殺せると思ったらしいですが、実に考えが甘い」


 ガードの教官は例外なく驚異的な強さを誇る。

 猛者ぞろいのメンバーを指導し、統率する立場なのだから当然だ。

 そう簡単に殺せるはずがない。


「昨夜に基地周辺まで同行した若手達から聞いた話では、侵入前に人間の姿へ変形してそのまま行ったそうです」

「そして、帰ってこなかった?」

「はい」


 即座に肯定するリゾ。


「日本支部に潜入している古参達がそいつを発見し、発狂した状態であることを確認すると、もはや正気に戻せないと判断。その後、監視カメラや赤外線センサーを全て一時的に停止させてから、そいつを二階へ誘導したそうです。教官の執務室がある二階へね」

「なるほど……日本支部の連携を乱すための捨て駒にしたわけか」


 エドは納得の表情で呟いた。

 若手の魔獣では教官と戦っても勝ち目などないが、それで良いのだ。

 負けて拘束された後に調べられれば、正体が魔獣ということは簡単に知られる。

 その情報が、どんな事態を招くか。

 日本支部のメンバーは間違いなく、自分達の中に魔獣が紛れ込んでいる可能性を疑うはずだ。

 次第に仲間への不信感が強まっていき、連携にも乱れが生じることだろう。


「まあ、古参達の活動で簡単にガードの情報を集めることができていたというメリットが、これで消えたわけだがな」


 人間に化けた魔獣が紛れ込んでいる可能性がある以上、警戒が一層厳重になることは確実。

 情報収集の難易度も大きく上がったに違いない。

 少なくとも、簡単ではなくなったはずだ。


「そのメリットを捨ててまでやる価値があったかどうかは、状況の変化次第だな」


 言い終えると、エドは目つきを鋭くして続けた。


「後は暴走しがちな若手達をどう抑えるかだ」

「再び今回のような件が起きないとも限りませんし、早急に対策を考えねばなりませんね」


 大抵の若手は向こう見ずで自信過剰だ。

 それ故に、古参達の厳重な警告にも耳を貸さないのである。


「奴らは口で言っても聞きはせん……乱暴な手を使うしかあるまい」


 恐ろしく低い声で静かに言うエド。


「殺さない程度に痛めつけ、無理やりにでも従わせるとしよう。それぐらいのことをしなければ、あの馬鹿共の暴走は止められん」


 つまり実力行使ということだ。

 異論はないのか、リゾは小さく頷いた。


「その役目、私に任せてください。生かさず殺さず、適度にぶちのめしてきますよ」

「ああ、任せる。お前なら大丈夫だろう」


 リゾは強い。

 古参の中では下位だが、それでも並の若手を遥かに上回る実力者だ。


「しかし油断だけはするなよ」


 エドの表情と口調は真剣である。

 自信過剰な若手の中にも、それに見合うほど強い者が稀にいるからだ。

 決して気は抜けない。


「分かっています。絶対にしくじらないよう、油断せず戦いますよ」

「そうか……なら良い」

「では、これからさっそく行ってきます。朗報を期待していてください、エド」


 言い終えると、リゾはエドに背中を向け、静かに去っていった。

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