第25話

 同時刻。

 日本支部基地内の雰囲気は、凄まじく緊迫していた。

 原因は雪彦がもたらした情報だ。


「視線……か」


 医療用大部屋内のベッドに座り込み、呟いたのは圭介だ。

 彼の近くには茜と雪彦がいる。


「それが基地に潜入した魔獣という可能性は、高いな」

「今はメンバーの大半が動けないし、情報収集も暗殺もやり放題だからね」


 青ざめながら、雪彦は圭介の言葉に同意した。


「一人になった人間から狙おうと考える奴がいても、まったく不思議じゃない。中庭からここまでの距離が長かったら、僕は帰り着く前に殺されていたはずだ」


 確かにその通りだと、と圭介は思った。

 この大部屋は中庭の隣に存在し、隔てるものは薄い壁とドア一枚のみ。

 もちろん、行き来するのに必要な時間など極めて短い。

 中庭で何か起これば、即座に全員へ伝わるのだ。

 それが分かっていたから、魔獣は雪彦に手を出さなかったのだろう。


「単独行動は厳禁。出なければならない時は必ず数人で行こう。怪我が治るまで迂闊に動かないのが一番ではあるけど、な」


 今ここにいるのは圭介達だけではない。

 他の怪我人も大勢おり、全員が真剣な表情で冷や汗を流している。

 人間に化けた魔獣が、基地のどこに潜んでいるか分からないからだ。

 ならば、単独で動かずに大勢でかたまっていた方が安全と考えているが故に、誰も出ようとはしない。


「同感です」


 呟くように言ったのは茜だ。


「この状況で下手に動くと命取りになります。完治とまではいかずとも、戦える状態になるまでは待つべきでしょう」

「ああ。教官の方々も怪我の治療や、リハビリに専念しているぐらいだしな」


 基地防衛戦で重傷を負った教官の数は、全体の半分にも及ぶ。

 どれほどの激闘だったか、推して知るべしだ。


「結局そうするしかないよね……あれっ?」


 室内を見渡しつつ、雪彦は不思議そうに口を開いた。


「藤堂教官は?」

「えっ?」


 言われてから、圭介も周囲へ視線を巡らせた。


「確かに……いつの間にかいないな」


 省吾は車椅子に乗り、医薬品などを室内へ運んできていたが、今は姿が見えない。

 どこへ行ったのかと思っていると、不意に茜が呟いた。


「藤堂教官なら、十分ほど前に大部屋から出ていくのを見ましたけど……それっきり戻ってきませんね」

「変だな」


 内勤専門の省吾は、基地の構造にも極めて詳しい。

 まさか迷ったなどということはないはずだ。


「もしかして魔獣に……?」

「可能性は……ある」


 茜の呟きに、圭介は険しい表情で同意した。


「藤堂教官は片足が不具だから、魔獣にとっては殺しやすい相手。潜入している奴らの標的にされてもおかしくない」

「探しに行ってみるかい?」


 問いかけてくる雪彦に対し、圭介は半ば反射的に頷いた。

 ベッドから出て、床へ降りると同時に腹部へ痛みが走り、顔をしかめてしまう。

 

(痛むが……無理なく耐えられる範囲だな)


 あまり激しく動かなければ問題ないだろう。

 しかし茜は心配そうに圭介を見つめながら、口を開いた。


「大丈夫なんですか、圭介さん……?」

「ああ」


 決して嘘ではない。

 茜の不安を払拭しようと、圭介は口元に笑みを浮かべて続けた。


「動くと少し痛むがそれだけだ。普通に歩くだけなら問題ないさ」

「……」


 まだ心配そうな茜だが、少し間を置くと真剣な表情で言った。


「分かりました……ですが危険だと思ったら、すぐに捜索を中断してくださいね?」

「もちろんだ。無茶する気はない」


 圭介が茜の言葉に、そう返した瞬間。

 彼の肩を、雪彦が軽く叩いた。


「決まりだね。じゃ、行こうか」

「ああ」

「ええ。行きましょう」


 会話を終えると、三人は静かな足取りでドアへと向かい、大部屋から出ていった。



 ※※※



 基地から約二キロ離れた位置にある公園。

 規模が小さく、ベンチや遊具の類も一切設置されていないため、利用されることは滅多にない。

 しかし今そこに、シグと省吾がいた。


「まさか取り逃がしてしまうとは……な」


 忌々しげに呟くシグ。

 彼と省吾は恭司を追いかけていたのだが、途中で姿を見失ってしまったのだ。


「さすがは南雲恭司ですね」


 あまり悔しそうではない表情と口調で、省吾は言った。


「もう追いつくことは不可能です。ならば、基地に潜入している他の魔獣達へ無線で連絡し、早急に動いてもらいましょう」

「ああ……だが、その前に聞きたいことがある」


 シグは省吾の方へ静かに顔を向け、続けた。


「バル。なぜ本気で追いかけなかった?」


 シグが力自慢のパワーファイターであるのに対し、省吾は速さが武器のスピードタイプだ。

 素早さだけならダズにも匹敵する。

 省吾が全力で駆けていれば、恭司に追いつけたはずなのだ。


「答えろ」

「本気でしたよ。南雲恭司の能力が、我々の予想を超えていた。それだけのこ」


 省吾が言い終える前に、シグは彼の胸倉を乱暴に掴んで叫んだ。


「ふざけるな! 他の連中ならともかく、この私をごまかせると思っているのか!」

「シ……シグ様……!」


 冷や汗を流し、弱々しく呟く省吾。

 そんな彼を、仮面の奥の鋭い目で睨みながらシグは続けた。


「十年以上も一緒に働いていたせいで情がうつったか……?」

「……」

「我ら魔獣を……裏切ったのか……!?」

「違います、シグ様……!」


 そう叫ぶ省吾の顔は、死者のように青ざめている。


「私は裏切ってなどいません……!」

「証拠を見せろ」


 言うや否や、シグは省吾の胸倉から手を離し、彼の腹部を軽く叩いた。

 直後。

 呻き声と共に猛烈な勢いで大きく吹っ飛び、地面に落ちて転がる省吾。

 軽く叩いただけとは思えない威力だが、シグのパワーを持ってすれば簡単なことである。


「南雲恭司を殺し、その首を持ってこい」

「なっ……!?」

「もちろんお前だけでやれとは言わん。基地に潜入している魔獣達と協力し、暗殺を試みるのだ。正面対決では無理でも、暗殺狙いなら勝ち目はあるだろう」


 シグの言葉に、省吾は何も返事をしない。

 地面に座ったまま黙り込んでいたが、やがて覚悟を決めたかのように真剣な表情となり、小さく頷いた。

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