第26話

 冷たい空気を肌に感じつつ、圭介達は基地一階の西側通路を歩いていた。

 廊下は長く道幅に余裕があり、左右には休憩所や食堂などが存在している。

 普段ならこの辺りは大勢のメンバーが行き来しているが、今は人影が少しもない。

 恐ろしく静かだ。


「ガードメンバーの大半が治療中……軽傷で済んだ奴らもほとんどが依頼で出払っているから、あまり人がいないね」

「ああ……だから藤堂教官を見つけることも難しくない、と考えていたんだけどな」


 圭介は雪彦の言葉に同意すると、視線を周囲へ巡らせて続けた。


「医薬品が保管してある倉庫にはいなかった……本当にどこへ行ったんだ」

「二階や三階にいる可能性は、ないでしょうか?」


 と、茜。

 しかし圭介は首を横に振って、否定する。


「上の階は個室や執務室ばかりだ。先ほどまで薬を大部屋へ持ってきていた藤堂教官が今、上階に用があるとは思えない」

「確かに」


 茜が納得したように呟くのを聞くと、圭介は改めて周囲を見渡した。

 会話しながらも足は止めなかったので、既に三人は西側通路の突き当たりまで到達している。

 ここで道は左右に分かれており、正面には壁しかない。


「さて、どっちに行く?」


 圭介の方へ顔を向け、雪彦が問いかけてきた。

 右は総務部が使う区画で、左は基地の西側入口に通じている。


「そう……だな」


 呟いて、何気なく左側を見た直後。

 圭介は両目を見開き、叫んだ。


「おい、あれ……!」


 その言葉と共に、彼が指差したのは左の道。

 ここから数十メートル前方の物陰に、不自然なほど巧妙に隠された車椅子だ。


「あれは藤堂教官の……!」

「何であそこに……!?」


 驚きの声を上げて車椅子へと近寄り、確認する三人。

 省吾が使っていた物と、同一だ。

 背もたれに彼の名前も刻まれているため、間違いない。


「隠されていたのがおかしい、ですね」


 茜の呟きに、圭介は半ば反射的に頷いた。

 省吾が車椅子生活であることは誰でも知っているため、わざわざ隠す理由がない。

 違和感を覚えて当然と言えよう。


「藤堂教官が自分で置いていったわけないし、何なんだ一体……?」


 あまりに不可解。

 困惑していると、不意に西側入口のドアが開かれ、外の空気が入り込んできた。


「!」


 圭介と雪彦が同時に、少し遅れて茜も鋭い目つきで顔を向ける。

 視線の先には、恭司がいた。

 激しく息切れして、冷や汗を大量に流す姿から、かなり急いだことは容易に想像できる。


「ど……どうしたんですか……?」


 そう言う圭介の声には、明確に動揺の感情が込められている。

 恭司のこんな姿は、今まで一度も見たことがない。

 ガードメンバーのほとんどは、絶対的強者としての彼しか知らないからだ。


「お前達か……ちょうど良かった」


 肩で息をしながら三人に歩み寄りつつ、恭司は言った。

 表情は焦りと怒り、そして悲しみが入り混じっており、複雑を極める。

 何か重大な事件が起こったと考えて、まず間違いないだろう。


「藤堂が……藤堂教官が裏切った……!」

「えっ!?」


 一瞬理解できず、圭介は耳を疑った。

 茜と雪彦も同じなのか、困惑の表情を浮かべている。


「いや、違うか……彼の正体は魔獣で、人間に化けて日本支部基地に潜入し、魔獣達に情報を流していたんだ」

「裏切ったのではなく、最初から裏切っていたと……?」


 困惑したまま問いかける圭介に対し、恭司は頷いた。


「そうだ。しかもあいつは序列三位という高位の魔獣。序列二位のシグとかいう魔獣と、当たり前のように会話している姿を私は確かに見た」


 一体どういう経緯で目撃することになったのか。

 それも気になったが、問いかけるのは最後まで話を聞いてからにしようと、圭介は思った。

 茜と雪彦も同じ考えなのか、恭司の言葉を遮ろうとはしない。


「片足が不具というのも……嘘だった」


 そこで物陰の車椅子へ視線を向ける恭司。


「車椅子を隠して外へ出たことを考えても、まだまだスパイ活動を続けるつもりだったようだな。お前達に車椅子を発見されてしまうことは計算外だったんだろう。私に尾行され、シグと会話する姿を見られたことも、な」

「すると南雲教官は……!?」


 そのシグと省吾両名から追われている、ということだ。

 ならば、あれほど疲れていたことも道理。

 さすがの恭司も、魔獣のトップクラス二体に追われては余裕がなかったのだろう。


「ああ。もうすぐ私を追ってシグか藤堂、あるいは双方がこの基地まで来るかもしれない。お前達は今すぐ他のメンバーにこのことを知らせてくれ!」

「わ、分かりました……!」


 まだ完全に事態を把握できたわけではないが、何をせねばならぬかは分かる。

 聞きたいこともおるが、それは今すべきというわけではない。

 圭介は恭司からの情報を皆に伝えるため、茜や雪彦と共に早足で引き返した。



 ※※※



 三人が立ち去ってからしばらくすると、恭司は西側入口の方へ静かに顔を向け、口を開いた。


「出てこい……今そこにいるんだろう、藤堂」


 言い終えた瞬間。

 ドアの裏から、まったく音を立てずに男性が姿を見せた。

 省吾だ。

 恭司と同じように複雑な表情を浮かべ、沈黙したまま動かない。


(藤堂)


 彼の表情を見ると、恭司は少し安心した。

 なぜだろうか。

 省吾にとってガードが、そして恭司が、何の思い入れもない存在ではなかったのだと分かったから、かもしれない。


(決して……無慈悲に裏切られていたわけではなかったんだな)

 

 そう思いながら、恭司は一歩前進して言った。


「うまく逃げ切れたと思ったんだが……こんな短時間で追いつかれるとはな」

「俺は魔獣の中でも特に素早い。速さだけなら、ダズ様に匹敵するんだ」


 つまり、省吾の速さは恭司とも同等というわけだ。


「南雲……俺が一体どういうつもりでここへ来たかは、分かるな……?」


 悲しげな口調。

 できれば戦いたくない、という気持ちが自然と伝わってくる。

 恭司も思うところは同じだ。


「ああ……もちろん」


 しかし、こう返すしかない。

 考え直してくれとも、また仲間として一緒にやっていこうとも、言えない。

 お互いの立場を考えれば、絶対にできないことなのだ。

 省吾は十年以上の長きに渡ってスパイ活動を続け、魔獣に情報を流し続けてきた。

 やり直せる範囲を、逸脱してしまっている。

 それに彼を処断しなければ、他のガードメンバー達も決して納得すまい。

 今この場で、倒すしかないのだ。


「もう……戦うしかないな」

「そうだ……俺達がお互いをどう思っていようと、戦わずして解決することはお互いの立場が許さない」


 何も好きこのんで戦うわけではない。

 他に、どうしようもないだけだ。


「行くぞ、南雲……!」


 力強く宣言し、構える省吾。

 どうやら魔獣としての姿ではなく、人間形態のまま戦うつもりらしい。

 それを見て、恭司も静かに構えた。


「ああ、藤堂……!」


 短く会話を交わした直後。

 両者はお互いに向かって、同時に神速で突進した。

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