第27話

 先に攻撃を仕掛けたのは、省吾。

 コンクリートの床が砕けるほど力強く踏み込み、左拳で殴りかかってきた。

 速いだけでなく、十二分に体重を乗せた強烈なパンチだ。

 疾風を遥かに凌ぐ勢いで側頭部へ迫る左拳を、恭司は一歩後退して回避。

 鳴り響く風切り音。

 間を置かず前進し、今度は右拳を恭司の顎めがけて突き上げる省吾。

 先ほどの左フックに匹敵する速さだが、当たらなかった。 

 恭司が側面へ回り込むように動き、回避したからだ。

 省吾の右拳は空振りしてしまい、風切り音を鳴らすのみ。

 直後。

 省吾は腰と軸足を素早く回転させ、超高速で正確な回し蹴りを繰り出した。

 恭司の右脇腹めがけ、恐ろしい勢いで迫る一撃。

 しかしこれも当たらず、三度目の風切り音を響かせただけだ。

 恭司が瞬時に一歩後退することで、省吾の蹴りを回避したのである。


「くっ……!」


 このまま攻撃を続けても、決定打は与えられないと判断したのだろう。

 省吾は左足を下ろすと同時に素早く数メートル後退し、構え直した。

 だが恭司は距離を詰めようとせずに、彼から視線を外さないまま心の中で呟いた。


(速さだけならダズに匹敵するというのは、本当らしいな)


 省吾は確かに恐ろしく速い。

 数十年前に戦ったダズと比較しても、まったく見劣りしないと断言できる。

 しかし、力や技術などの面は別だ。


(力はダズに遠く及ばない。技術も同じ)


 圧倒的破壊力の攻撃を、巧みに神速の動きで繰り出していた魔獣王。

 全盛期の頃の恭司ですら、寒気を感じるほどに脅威であった。

 だが省吾の攻撃に、そこまでの圧力はない。

 総合的に評価すれば、間違いなくダズよりも遥かに弱い。


(かと言って……油断は絶対にできない)


 実力差に驕って気を抜けば殺される。

 逆に言えば、油断しない限り問題なく勝てる、ということでもあるのだ。

 それは恭司がダズと互角に渡り合った事実を考えれば、当然と言える。

 全盛期ほどの実力はなくとも、大幅に弱体化したわけではない。

 だから本気で戦えば、恭司は難なく省吾を倒せるはずだ。


「……」


 しかし彼は省吾を殺すべきか否か、迷っている。

 その葛藤が、本来なら早々と終わるはずの戦いを長引かせているのだ。


「南雲……迷っているようだな」


 恭司の迷いを、省吾は見抜いているようだ。

 彼は複雑な表情を浮かべ、両腕を下ろして続けた。


「俺も同じだ……それでも魔獣を裏切ることなどできない」

「藤堂……!」

「お前も人間を裏切ることなどできまい。俺達は殺し合うしかないんだよ……!」


 血を吐くような叫び声を上げると同時に、省吾は突進して蹴りを繰り出した。

 十二分に体重を乗せた一撃が、斜め下から恐ろしい勢いで恭司の左脇腹へ迫る。

 しかし当たらなかった。

 恭司が瞬時に少し後退することで、難なく回避したからだ。

 風切り音が響いた直後に省吾は右足を下ろし、すかさず追いかけた。

 次の瞬間。

 今度は左足で蹴りを放ち、恭司の右膝上を狙った。

 いわゆるローキックだ。

 軌道が低い上に速く、体重も乗っているが、恭司は当たる寸前に右足を後退させて回避。

 直後に風切り音が鳴るなり、省吾は素早く踏み込んできた。


「本気で戦え、南雲……!」


 叫びながら打撃を繰り出す省吾。

 単発ではない。

 短い間隔で立て続けに繰り出される、神速連撃。

 いずれも決して闇雲ではなく脇腹や左胸、側頭部などの急所を極めて正確に狙っているが、当たらない。

 恭司は全ての打撃を見切り、回避し続けている。

 省吾の拳や足は、彼にかすりもしないのだ。


「日本支部所属メンバーの中で、俺を倒せるのはお前だけなんだぞ……!」


 打撃が一発も当たらずに空振りし続け、何度も風切り音が響く中で省吾は叫んだ。


「お前だけが俺を殺せる……俺は……お前になら……!」


 いつの間にか、彼は涙を流し始めている。

 神速連撃を回避しながらそれを見て、恭司は省吾の本心を悟った。


「藤堂……お前は……!」


 最初から、死ぬつもりだったのだ。

 魔獣を裏切れず、かと言ってガード日本支部の仲間として戻ることもできない省吾が出した結論が、それだったというのか。


「頼む……本気で戦って、俺を……!」


 殺してくれ。

 言外にそう告げられ、思わず絶句して動きを止めてしまう恭司。

 もちろん隙だらけだ。

 そこへ襲いかかる省吾の右拳を、恭司は回避しようとしなかった。

 直後。

 周囲に壮絶な打撃音が響き、空気が震えた。

 省吾のパンチを、恭司が左掌で受け止めたのだ。


「藤堂」


 震える声で、今にも泣き出しそうな表情で、恭司は言った。


「分かった……よ……!」


 遂に覚悟を決めたのだ。

 かつての友を殺し、その命を背負っていくことを、恭司は心の中で誓った。


「全力で、お前を倒す……!」


 泣きながら叫んだ瞬間。

 恭司は力強く踏み込んでから、腰と軸足を猛烈な勢いで回転させ、全体重を乗せた右拳を神速で突き出した。



 ※※※



 日本支部近辺に存在する建物。

 その屋上から、恭司と省吾の戦いを眺めている者がいた。

 シグだ。


「やはり……こうなってしまったか」


 彼の目は魔獣の中でも特に優れ、遠くからの監視や偵察に向いている。

 恭司にさえ気づかれないほど離れた位置に立ち、様子を見続けることも簡単だ。


「バル……それがお前の選んだ道なのだな」


 基地西側通路の窓ガラスを通し、恭司と省吾を眺めながらシグは悲しげに呟いた。

 予想の範囲内ではある。

 長年一緒に働いていた影響で、省吾が日本支部の仲間達に対して情がうつったことは明白。

 故に暗殺狙いで恭司を仕留めるなどできず、正面から戦うとは思っていた。

 基地に潜入した魔獣達と共闘せずに、単独で恭司に挑むという行動も予想通りだ。


「死ぬ気か、バル……!」


 省吾がダズに匹敵するほど素早くとも、それだけで恭司を倒せるなら苦労はない。

 単独で戦っても勝ち目がないことは、考えるまでもなく分かるはずだ。

 ならば省吾が何のつもりでこのような行動に出たかは、容易に推測できる。


「我らを裏切れず、人間の元にも戻れなくなったから、自分が認めた相手に殺されようと思ったわけか」


 省吾なりの誠意かもしれない。

 魔獣も人間も、彼にとっては長年一緒に働いてきた仲間。

 故にどちらか一方を切り捨てるということができなくなり、中途半端な自分を裁いてほしいと思ったのだろう。


「だが……なぜ私に頼まなかった……?」


 それがシグには苛立たしく、悲しくもある。

 省吾にとって魔獣と共に過ごしてきた日々よりも、恭司達と一緒にいた十年の方が重いと言われたも同然だからだ。


「……」


 シグの心中は複雑だが、すぐに気持ちを切り替えた。

 考えなければならないことが他にあるからだ。


(バルは終わりだ……そしてバルがスパイだと知られた以上、当然ながら日本支部の警戒は格段に高まる)


 省吾は教官だった。

 今後、同じ役職だった者達への疑惑が強まることは確実。


(日本支部へ潜入した八体の魔獣が全員、人間に化けて教官達の中に紛れ込んでいるという事実が知られるのも時間の問題)


 エドやリゾの救出どころか、スパイ活動自体が極めて難しくなる。

 いや、それだけならまだマシだ。

 本当に問題なのは、エド達が尋問で口を割り、本拠地の位置を喋るかもしれないという点である。


(いっそ、このまま放置して本拠地で待ち構えるという手もあり……だな)


 情報がもれることを防ぐのは難しい。

 ならそれを前提に行動し、魔獣の本拠地に全戦力を配置してガードメンバーを待ち受けるという作戦も悪くないだろう。


(ダズ様と話し合ってみるか。作戦の許可が下りたら、潜入したメンバー全員を撤退させ、生き残った他の魔獣達と共に本拠地で待ち受ける。これでいこう)


 結論を出すと、シグは背中を向け、歩き出そうとする。

 だがすぐに動きを止め、肩越しに再び基地を見た。

 正確には省吾の姿を、だ。


「……」


 しばらく無言で立っていたシグだが、やがて未練を振り払うように頭を振り、その場から去っていった。

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