第28話

 魔獣が悪で、何の知性もない存在だったら、どれほど良かったであろうか。

 遠慮なく戦えたし、殺すことに迷ったりもしなかったはずだ。

 しかし現実は違う。

 彼らとの戦いは生存競争に他ならず、どちらが正しいか否かという問題ではない。

 加えて魔獣は高い知性を持ち、人間と言葉を交わし、意志疎通もできる。

 それでも共に生きていくことは、できないのだ。

 彼らが食人獣である以上、何とか和睦しようと考える者は決して多くない。

 いても、その案が了承された例は皆無。

 魔獣に家族や友を食い殺され、激烈な恨みを抱く人間が世界中に存在するからだ。

 ガードの歴史は、そんな者達の怒りや憎しみが原点なのである。

 故に人間や魔獣の中に和睦派がいようとも、その意見が受け入れられることは絶対にないのだ。


「だから……あのような悲劇も起こりえる」


 大部屋のベッドに座り込み、悲しげな表情で呟く圭介。

 茜や雪彦と共に皆へ情報を伝え、再び恭司の元へと戻った時には、全てが終わっていた。


「南雲教官……一体どんな気持ちで藤堂教官を討ったんだろうな……?」


 床に両膝をつき、省吾の名前を呼びながら涙を流す恭司を見れば、何があったのは簡単に分かる。

 だから彼が自力で泣き止み、立ち上がるまで、誰一人として声をかけることができなかった。


「あの人があそこまで悲しみに暮れている姿なんて……初めて見た」


 今も昔も日本支部最強の人間と呼ばれ、事実その通りの活躍をしてきた南雲恭司。

 多かれ少なかれ、誰もが彼を尊敬している。

 絶対的な覇者であると、信じて疑っていなかった。

 故に、気づかなかったのだ。

 恭司とて、苦しみもすれば悲しみもする普通の人間なのだと、知ろうともしていなかった。


「俺達は馬鹿だった……のみならず、弱かった」


 最強である恭司に、無自覚に依存してはいなかったか。

 そういう気持ちがまったくなかったと、言い切れるのか。


「南雲教官に藤堂教官の命を背負わせることになってしまったのは、俺達が弱かったからだ……!」


 省吾を倒せるほどの実力者は恭司しかいなかった。

 裏を返せば、他の日本支部所属メンバーがそれだけ頼りないということでもある。

 省吾どころか、若手最強のザジを倒すのが精一杯で、古参の相手などできようはずがない。

 そんな彼らの弱さが、恭司一人に背負わせる結果となってしまったのだ。

 圭介が無意識に噛み締めた唇からは、鮮血がにじみ出ていた。


「圭介……さん」


 近くに立つ茜が軽く彼の肩を叩き、呟いた。


「貴方だけのせいでは……ありません」


 誰に責任があるかという話なら、答えは全員。

 最強である恭司に過分な期待を寄せ、頼る気持ちが強くなっていた。

 結果が、これだ。

 なら責任は全員にあり、圭介だけが悪いわけではないという茜の気持ちは伝わっている。

 その優しさに甘えるつもりはないが、必要以上に悔やんでいても無意味。

 恭司に省吾の命を背負わせてしまった事実は、変えようがない。


「全員の責任だから、全員が強くなるための努力をしなければいけない……か」

「はい」


 圭介の言葉を、茜は即座に肯定した。


「悔やむだけでなく、二度と同じ過ちを繰り返さないようにせねばなりません。犠牲になった命のためにも」

「ああ……そうだな」


 言いつつ、圭介は立ち上がった。

 恭司と省吾の戦いから、既に十日ほど経過している。

 大怪我もある程度は治ったため、少しばかり激しく動いても傷が痛んだりすることはない。


「これからのことを……考えなきゃな」

「基地へ潜入していた魔獣達の正体も、分かったことですしね」


 省吾が教官として働いていたことから、同じ役職の者達に対する疑惑が強まった。

 立ち振る舞いや書類をごまかすことができても、血液は別。

 人間と根本的に違う構成なので、調べれば簡単に分かる。

 しかし魔獣側も馬鹿ではない。

 検査用機械を破壊するなどの対策を試み、正体が発覚しないようにしていた。

 だから同じ徹を踏まないようにと、教官達以外のメンバーが極秘に調査したのだ。

 かなり慎重に事を進めたため十日もかかってしまったが、結果として八体の魔獣が紛れ込んでいたことが判明。

 決して少ない数とは言えず、誰もが戦慄した。


「八体も潜り込んでいたなんてな……今まで誰にも気づかれずにいたとは、大したもんだ」

「例の狂った魔獣が南雲教官を襲わなければ、考えもしませんでしたからね」

「そして魔獣の肉体変形能力について知ることもできなかったし、魔獣が基地に潜り込んでいるなんてことは、可能性すら考えなかっただろうな。あの出来事は、間違いなく魔獣にとって大きな痛手のはずだ」

「ええ。おかげで私達はスパイの存在に気づけましたし、尋問もできる」


 別に圭介と茜が、エド達や八体を尋問するわけではない。

 ガードメンバーの中には元警察官もおり、彼らに一任されているのだ。


「それで奴らはダズの居場所とか、魔獣の本拠地とかについて喋ったのか?」

「いいえ」


 圭介の問いかけに対し、即答して両腕を組む茜。


「口を割る様子はないそうです。しかし尋問の得意な人達が相手ですから、そう長くは持たないかと」

「だと良いがな」


 スパイ活動を任された連中が、そう簡単に白状するとは思えない。

 かと言って、尋問の素人である圭介に手伝えることは何もないのだ。


「その間、俺達は訓練で実力の底上げに努めるとしよう」


 最近魔獣は積極的に動いておらず、人的な被害が一件も報告されていない。

 樹海での敗戦やエド達の捕縛、そして序列三位である省吾の死がよほど痛手だったのだろうか。

 真相は分からないが、時間ができたなら有効に使うべきだ。


「そうと決まれば、さっそく訓練場に行くか。少々派手に動いても問題ない程度には回復したしな」

「ええ」


 と、圭介の発言に同意する茜だが、直後に真剣な表情で呟いた。


「重点的に鍛えるべきは動体視力と反応速度……ですね」

「ああ。今の俺達に、特に足りていない要素だからな」


 ザジに追い詰められたのも、彼の動きが見えてすらいなかったことが大きい。

 あの神速を捉え、反応できてさえいれば、あれほどの大苦戦は避けられたはずだ。


「茜。また訓練に付き合ってくれるか?」

「はい!」


 言って、茜は静かに圭介の方へ顔を向けた。


「私も、投擲の速さと正確さに磨きをかけたいですからね」


 彼女の攻撃速度は、ザジどころかドルにさえ劣っている。

 それが実際に両者と戦った圭介の感想で、茜にもそのことは伝えた。

 加えて樹海での苦戦や今回の件も重なり、彼女の訓練意欲は凄まじいものになったようだ。

 良い傾向と言えるだろう。


「よし……行くか」


 圭介が呟き、茜と共に大部屋から出ようとした瞬間。

 入口のドアが開き、誰かが静かな足取りで入ってきた。

 雪彦だ。


「悪いとは思ったんだけど、今の会話は聞かせてもらったよ」


 それを聞くなり、圭介は気にするなと言うように微笑を浮かべながら、右手を軽く振った。

 会話に集中し過ぎて、誰かが室外に立っていることを察知できなかったとは、戦う者としてあまりに迂闊。

 これは圭介と茜の失態であって、雪彦が悪いわけではない。


(集中力と警戒心も鍛え直さなきゃ……な)


 圭介がそんなことを考えていると、雪彦は一歩前進して言った。


「僕も、君達の訓練に協力させてくれないか?」

「もちろん、良いに決まっているさ。むしろこっちから頼みたいぐらいだ」


 雪彦は圭介や茜と並ぶ実力者だ。

 そもそも三人で組んでいるのだから、断る理由など少しもない。


「茜。雪彦。訓練相手、よろしく頼む」

「こちらこそ」

「よろしく、圭介」


 会話を終えると、三人は大部屋から去り、訓練場へと向かった。

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