第34話

 廃墟の中は荒れ放題だ。

 どれだけ静かに歩いても埃が立ち、悪臭まで漂う有様。

 左手で鼻を押さえ、外の戦闘音を聞きながら圭介は思った。


(かなり古い廃墟だな……それに暗い)


 壁の亀裂から差し込む光のおかげで、まったく周囲が見えないわけでもない。

 しかし大小様々な瓦礫が無数に転がっているせいで、死角が多いことが問題だ。

 どこに誰が潜んでいるか、分かりにくいからである。


(おまけに外の戦闘音も激しい。近くに魔獣がいたとしても、感知できるかどうか)


 いつ奇襲を受けてもおかしくない。

 圭介は鋭い目つきで周囲を警戒しながら、静かな足取りで歩き続ける。

 他のガードメンバー達も同じだ。


(どこから……襲ってくる……?)


 そう思いつつ、圭介が右手で拳を作った瞬間。

 集団の先頭にいる恭司が、唐突に足を止めて呟いた。


「来た」


 何が、と問いかける必要などない。

 凄まじい感知技術を持つ恭司だけが、古参魔獣の接近に気づいたのだ。

 彼の一言を聞くなり、全員がその場で素早く円陣を組み、武器や両手を構えた。


「右斜め前方と左斜め前方から二体ずつ。左側通路奥の曲がり角から三体。そして正面から三体だ」


 全部で十体。

 少ないように思えるが、いずれも古参魔獣なので脅威だ。

 しかしこれで分かったこともある。


(本拠地の中まで侵入されたのに、迎撃に出てきたのは十体だけ……日本の古参魔獣は、思ったより数が少ないのか……?)


 考えてみれば、それも当然。

 あのザジよりも格段に強い古参魔獣が大勢いるなら、もっと凄まじい数の犠牲者が出ているはずだ。

 ところが、そうはなっていない。

 日本に滞在中の古参魔獣があまり多くない可能性は高いが、今そのようなことを考察している暇はない。

 恭司でなくとも気づけるほど、足音が近くまで迫ってきたからだ。


(来るなら……来い……!)


 いつでも迎え撃てるように拳を構え、五感を最大限に研ぎ澄ませて集中する圭介。

 それから何秒も経過しない内に、輝く紋章を持つ古参魔獣が次々と姿を見せた。

 全員が二足歩行形態である。


(凄いプレッシャーだ……これが古参魔獣か……!)


 圧倒的な威圧感。

 圭介が緊張し、真剣な表情で冷や汗を流した直後。

 古参魔獣の内の一体が力強く床を蹴り砕き、恐ろしい勢いで突っ込んできた。


(速い……!)

 

 ザジよりも少し速いが、今の圭介なら十二分に対応できる。

 彼は一瞬で腰と軸足を回転させ、右拳で古参魔獣の顔面を殴った。

 廃墟内に鳴り響く、凄絶な打撃音。


「ぐぁっ……!」


 古参魔獣は呻いて鼻血を出し、何本かの歯が折れ、勢いが落ちながらも止まらなかった。

 距離が近い上に攻撃直後なので、回避しようとしても間に合わない。

 圭介は十数メートルも吹っ飛ばされてしまい、超高速で廃墟の壁に激突。

 轟音と共に背中でコンクリートを砕き、隣の部屋の床に転がった。


「うぅっ……!」


 呻きながらも、圭介は立ち上がった。

 脇腹が痛むことから肋骨が折れたようだが、他の部分に大したダメージはない。

 体当たりを受ける寸前に両腕を交差させ、防御したからである。

 さらに、そのまま自分から後方へ跳躍することで衝撃を緩和。

 結果、致命的なダメージを負わずに済んだというわけだ。


(戦える……古参とも……!)


 勝負が成立しないほどの差はないと、確信できた。

 少なくとも、自分に体当たりしてきた今の古参魔獣は、ザジを少しだけ上回る程度の強さだ。

 そう思いつつ、圭介は壁の穴へ向かって駆け出した。

 ガードメンバー達が必死に戦う姿が見え、激しく争う音も聞こえてくる。


(みんな……!)


 こちらは精鋭数十人なので、数だけ見れば有利だが、相手は古参魔獣の集団。

 恭司が一緒ということを考慮しても、決して楽観視できない状況だ。

 

(俺も行くぞ……!) 


 心の中で叫びながら圭介は走り、壁の穴まで到達。

 急いで潜り抜けようとするが、寸前で斜め後方へ跳躍した。

 先ほど圭介を吹っ飛ばした古参魔獣が、穴の外から攻撃してきたのだ。

 鋭い爪が彼の横を凄まじい速さで通り過ぎ、風切り音が響き渡る。


「くっ……!」


 風圧が頬を切り裂き、わずかに出血しつつも、圭介は静かに着地して構える。

 ほとんど間を置かずに穴を通って部屋へ入ると、古参魔獣は口を開いた。


「あの突進をくらってまだ戦えるのか。大した奴だが、俺には勝てんぞ」


 言うや否や、古参魔獣は近くに転がる瓦礫を掴み、投げつけてきた。

 直径一メートルほどあるコンクリートの塊が、猛烈な勢いで圭介へ向かっていく。


(かわすしかない……!)


 重量がありすぎて、防御や迎撃は無理がある。

 圭介が素早く横へ跳躍した直後に、彼が一瞬前まで立っていた位置に瓦礫が激突。

 部屋全体を揺るがすほどの轟音と共に床が粉砕され、破片が無数に飛び散った。


「まだまだ行くぞ!」


 そう言って、古参魔獣は近くの瓦礫を次々と掴み、投げてきた。

 圭介は回避に徹するしかない。

 巨大な瓦礫が何度も壁や床に激突し、爆発のような轟音を立て続けに響かせる。

 

(どうにかしてあいつに近づかないと……!)


 回避しながら何とか距離を詰めようとする圭介だが、できなかった。

 部屋の床が衝撃に耐えられなくなり、亀裂が広がって崩壊し始めたからだ。

 対応する暇などない。

 床は重々しい音を立てて崩れ、圭介と古参魔獣も大量の瓦礫と共に落下した。

 

「うぉっ……!?」


 階下の床へ叩きつけられて呻き、顔をしかめる圭介。

 それでも何とか渾身の力で瓦礫を押しのけ、立ち上がった。

 鋭い目つきで素早く周囲を見渡すが、どこにも古参魔獣の姿はない。


(この廃墟には地下があったのか……それにしてもあいつは一体どこに……?)


 自分と一緒に落下していく姿を、圭介は確かに目撃した。

 瓦礫に押し潰されて死んだということは考えられないため、近くにはいるはずだ。


「……」


 油断なく構える圭介の耳に、背後から小さな物音が聞こえてきた。

 しかもかなり近い。

 圭介は顔色を変えて一瞬で振り向くが、直後に困惑した。


(誰だ、こいつは……?)


 視線の数メートル前方に、何者かが立っている。

 先ほどの古参魔獣ではない。

 仮面で顔を隠し、フードとマントで全身を覆う謎の存在。

 相当な長身であり、間違いなく二メートル以上ある。

 威圧感は、先ほどの古参魔獣よりも遥かに上だ。


(いや……待てよ)


 仮面をつけた謎の存在が、バルこと藤堂省吾の上司であり、魔獣の序列二位シグ。

 そんな話を、以前恭司から聞かされたことがある。


(まさかこいつが……?)


 シグ、なのだろうか。

 圭介が構えながら考え込んでいると、不意に謎の存在が呟いた。


「願ってもない幸運……どうやって会いに行こうかと思っていたが、まさかそっちの方から来てくれるとはな」


 仮面越しでも分かるほど嬉しそうに言うと、謎の存在は一歩前進して続けた。


「我が名はシグ。魔獣の序列二位にして、ダズ様の側近」

「!?」


 その言葉を聞いて、圭介の全身に緊張が走った。

 冷や汗が大量に流れ、心臓が鼓動を早める。


(やはり……こいつがシグ……!)


 果たして、自分一人で勝てる相手だろうか。

 そう思うと同時に、疑問も浮かんできた。


「会いに行こうと思っていただと……どういう意味だ……?」


 理由が不明である。

 スパイ達からの報告で、何か興味を引く情報でもあったのだろうか。


「そのままの意味だ。バル達が提出してきた報告書を読んでいる内に、お前に興味を持つようになったのでな。話をしてみたいと思った」

「話を……?」

「ああ」


 静かに頷くと、シグは天井に開いた穴を右手で示し、続ける。


「他の連中は上。お前と一緒に落ちてきた古参魔獣は、お前が瓦礫を押しのけて立ち上がる前に私が下がらせた。これで邪魔されずに話せる」

「話、か」


 和睦できるならしたい。

 そう考えている圭介にとって、これは実にありがたい申し出と言えよう。


「分かった……俺にとっても、願ってもない幸運だからな」

「そうか……良かった……!」


 言うなり、シグは左手で部屋の奥を示した。


「念のために向こうで話そう。ここでは、穴から誰が見聞きするとも限らんしな」


 シグの言葉に圭介が頷き、了承の意を示した瞬間。

 両者は部屋の奥へ向かって、同時に歩き出した。

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