第3話

 日本支部の訓練場。

 一度に大勢が走り回れるほど広い空間の南端で、圭介と茜が向かい合っていた。

 どちらも真剣な表情で、相手を見ている。


「圭介さん……本当に良いんですか……?」

「ああ」


 どこか心配そうな口調の茜に対して、圭介は平然と答えた。


「投げてくれ」

「……」


 静かに視線を下げてから、茜は黙り込んだ。

 彼女は投擲の達人。

 射程距離内なら、どんなに小さな標的でも決して狙いを外さない。

 隠し持った刃物を、超高速かつ正確に投げるのだ。

 鋼鉄にも深く刺さるほどの威力を持つため、回避が間に合わなければ確実に致命傷を負うことになる。

 茜は、それが心配でためらっているのだろう。


「これは実戦形式の訓練。お前もそれを承知で引き受けてくれたはずだ」


 二人で訓練場へ来てすぐ、圭介は茜に頼んだ。

 回避技術を鍛えたいので一定の距離から刃物を投げてくれ、と。

 これを茜は二つ返事で了承した。


「確かにその通りですけど……こんな近くから投げるとは思っていませんでした」


 二人の間にある距離は、六メートル前後。

 近い。

 茜の技術と投擲速度を考えれば、無謀と言うしかない距離だ。


「もっと遠くからの方が良いのでは……?」

「心配ない。大丈夫だ」

「……」

 

 圭介の言葉を聞き、下げていた視線を上げる茜。

 その両目に迷いはない。

 どうやら覚悟を決めたようだ。


「分かりました」


 静かに言うと、彼女は懐から右手で小型の刃物を取り出し、素早く投げた。

 狙いは顔面だ。

 疾風のような速さで正確に迫る刃物を、圭介は一瞬で上半身を横へ傾かせて回避。

 直後。

 刃物は彼に当たることなく、軌道上の壁へ深々と刺さった。


「さすがに……凄いな」


 元の体勢に戻ると、圭介は冷や汗を流して言った。

 紛れもない本心。

 驚異的な反応速度で刃物を回避した圭介だが、完璧ではなかった。

 左頬から流れる鮮血が証拠だ。

 一瞬回避が間に合わず、皮膚を浅く切り裂かれたのである。


「け……圭介さん……!」

「これで良いんだ」


 ほんのわずかでも気を抜けば、間違いなく当たる。

 そう確信できるほどに茜の技術は凄まじい。

 故に、回避の訓練相手として最適なのだ。


「こうでなければ、訓練にならない」


 左頬の鮮血を指で軽く拭い、続ける圭介。


「頼む、茜」

「……」


 茜は無言で頷くと、再び小型の刃物を取り出して投げた。

 圭介の腹部へ向かって、猛烈な勢いで正確に迫る。

 先ほどと同等か、それ以上に速い。

 冷や汗を流しながら、圭介は横へ動いて回避。

 刃物は超高速で彼の残像を貫き、コンクリートの壁に突き刺さった。


(何とか……うまく回避できたな)


 半ば反射的に腹部周辺をなでるが、出血している様子はない。

 無傷だ。

 皮膚をかすめたりはしなかったらしい。


「ためらうことはない。どんどん投げてくれ」

「……」


 不安そうに圭介を見つめ、無言で立ち尽くす茜。

 しかし、それも数秒だけだ。

 すぐに彼女は真剣な表情を浮かべ、懐から右手で数本の小型刃物を取り出した。


「圭介さんの実力を信じます。だから全力で、投げますね」


 宣言と同時に茜は右腕を素早く振り、刃物を投げた。

 合計三本の凶器が顔面、喉、胸部めがけて正確に飛んでくる。

 今までの投擲よりもさらに速いが、回避が間に合わないほどでもない。

 圭介は力強く床を蹴って、瞬時に真横へ跳躍。

 刃物が全て壁に突き刺さる音を聞きながら、着地した瞬間。


「!?」


 焦りの表情で、圭介は上半身を右へ傾けた。

 直後に、超高速で彼の首筋付近を通り過ぎ、壁へ刺さる刃物。

 圭介が着地すると同時に、茜が投げたのだ。

 十分の一秒でも反応が遅れていれば、確実に切っ先が喉へ刺さっただろう。

 まさしく命懸けの実戦形式訓練である。


「……」


 間を置かずに茜は無言で再び攻撃を仕掛けてきた。

 今まで投げていた刃物とは形が違い、円盤状だ。

 それが超高速で回転しながら大きく弧を描いて飛び、圭介の方へ向かってくる。

 狙いは首筋。

 恐ろしい勢いで横から迫る凶器を、圭介は瞬時に屈み込んで回避した。

 彼の頭上を風切り音と共に、円盤が通り過ぎていく。


「さすがです」


 ブーメランのように戻ってきた円盤を難なく掴み取り、懐に入れて呟く茜。


「私は本当に全力で投げたのに、無傷で回避するなんて」

「お前の技術もさすがだ。正直言って、鳥肌が立ったよ」


 嘘ではない。

 正面から神速で飛んでくる刃物を回避するだけでも、相当な集中力が必要だ。

 複数同時であったり、大きく弧を描きながら迫ってきたりすると、難易度は一気に跳ね上がる。

 余裕など微塵もなかった。


「続けますか?」

「もちろんだ。それにこれは、お前にとっても訓練になるはずだしな」

「確かに」


 圭介は回避、茜は投擲の技術に磨きをかけられる。

 双方に利益がある訓練だ。


「では、他の刃物も投げることにしましょう」


 彼女はナイフや円盤だけではなく、カミソリや手裏剣の類も使う。

 衣服に入れて持ち歩くという性質上、いずれもかなり小型だが、茜の技術で扱えば凄まじい威力の凶器と化すのだ。


「このままの距離で良いんですか?」

「ああ」


 即答する圭介。


「今の俺では、多分これが回避できる限界の距離だからな」


 圭介と茜の間にある距離は、約六メートルだ。

 これ以上接近した状態から神速で刃物を投げられると、回避する自信はない。


「いや」


 だが圭介は頭部を左右へ振り、考え直すように呟いた。


「それじゃ……駄目だな」


 いつか出会うであろう強大な古参魔獣に対抗するためにも、今より強くならねばいけない。

 できないことがあれば、少しずつでも克服していくべきだ。


「もっと、近づいてくれ」

「……」


 茜は言われた通りに、静かな足取りで歩み寄ってきた。

 やがて二人の距離が四メートルほどになった瞬間。


「そこだ。そこから投げてほしい」

「こんな距離から……ですか?」


 茜の問いに対して何も言わず、頷く圭介。

 実戦なら、この距離から跳びかかってくる魔獣も多いのだ。

 決して考えなしに近寄らせたわけではない。


「良いんだ。これぐらいの訓練を重ねていかないと、いつまで経っても教官に追いつけない」

「……」


 圭介の言葉を聞くと、茜は小さく頷いて呟いた。


「分かりました。私は貴方の実力を信じると言ったのですからね」


 懐から右手で刃物を取り出しつつ、彼女は続ける。


「では、投げますよ」

「ああ……お前の信頼に、応えてみせるさ」


 圭介が宣言した直後。

 茜は残像を伴うほどの速さで右腕を振り、刃物を投げた。

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