第2話

 ガード日本支部の基地は広い。

 訓練場や医療機関、食堂、情報収集・処理のためのコンピュータ室など、様々な施設が無数に点在しているからだ。

 故に内部は複雑な構造で、慣れていない新人が単独で歩けば確実に迷ってしまう。


「ここは本当に広いですからね」


 歩きながら呟く茜の隣には、圭介がいる。

 二人は三十分ほど前に依頼達成報告を終えたのだが、直後に迷子の新人を発見。

 つい先ほどまで道案内をしていたのだ。


「私も、慣れるまで時間かかりましたもの」

「俺もだ」


 茜の言葉に同意すると、圭介は静かに周囲を見渡して続けた。


「試験に合格してここへ来たばかりの頃は、設置された案内地図を確認しながらでも迷ったよ」

「そうでしょうね」


 苦笑を浮かべて会話しつつ、廊下を歩く二人。

 しばらくして、外から何か聞こえてきた。

 話し声である。


「何だ?」


 呟き、茜と共に窓へ顔を向ける圭介。

 大勢の男女が、次々と巨大な建物へ入っていく光景が見えた。


「加入志願者か」

「今日は試験日ですから」


 加入志願者は常に多い。

 ガードの仕事は命の危険を伴うが、その分だけ報酬が極めて高額なためだ。

 正義感や義侠心からではなく、そういうことが目当ての志願者も少なくない。


「あの中の何人が合格できますかね」


 それほど期待していない口調で、茜が呟いた。

 加入試験は年に五回実行されているが、いずれの場合も志願者は数千人。

 無論、全員が合格できるはずもなく、ほとんどの人間は落ちてしまう。

 本当に『狭き門』なのだ。


「大半は落ちるだろう」


 圭介も茜も、合格してガードのメンバーになった人間だ。

 試験の難しさは身を持って知っている。


「できるだけ多くの志願者が合格してくれると嬉しいが……な」


 圭介が呟くように言った瞬間。

 唐突に、背後から声が聞こえてきた。


「同感だ」


 重々しい声。

 二人が窓へ視線を向けるまで、周辺には確かに誰もいなかった。

 気配や足音に敏感な圭介と茜が、まったく接近に気づかなかったことになる。

 かなりの猛者であることは確実。


「!?」


 驚愕の表情を浮かべ、素早く振り返る二人。

 すると、数メートル前方に男性が立っていた。

 外見年齢は五十代後半で、左頬に大きく刻まれた酷い傷が凄みを感じさせる。

 あまり背が高いわけではなく、目を見張るような筋肉質でもない。

 しかし全身にみなぎる覇気の凄まじさが、男性の実力を物語っている。

 右手首にはめているのは真紅の腕輪だ。


「教官……いつからそこに……!?」

「十秒ほど前からだ。試験場に行く途中だったが、お前達の会話が聞こえてきたので声をかけておこうと思ってな」


 言葉と共に男性は二人へ歩み寄り、目の前で立ち止まった。

 南雲恭司。

 ガード日本支部所属の人間で、試験進行やメンバーの訓練指導などを担当する教官の一員だ。

 若い頃から数え切れないほど戦ってきているため、経験は豊富。

 おまけに教官となった今でも魔獣討伐依頼に参加して前線に出続け、鍛錬も欠かしていない。

 さすがに全盛期よりは衰えているらしいが、それでも彼の強さは圭介や茜を遥かに上回っている。


「報告書は読ませてもらった。かなり腕を上げたようだな、圭介」

「教官のおかげですよ」


 本心から圭介は言った。

 恭司は教官達の中でも、特に優れた育成能力を持つことで有名だ。

 彼の指導を受けたメンバーは数々の功績を残し、多くの魔獣を倒している。

 圭介と茜も例外ではない。


「それに、まだまだ教官には及びません」

「私も簡単に追い抜かれるつもりはない」


 優しげな笑みを浮かべて呟く恭司。


「三十年以上も前からガードのメンバーとして働いている身だからな。そう簡単に追い抜かれたら沽券に関わる」


 全盛期の頃は日本支部最強とまで言われた人間だ。

 今でも、その自負があるのかもしれない。


「いつか追い抜かれたら本気で引退を考えねばなるまい。その時期が来るまでは、私はお前達の目標であり続けたいと思っている」


 言い終えると、恭司は腕時計に視線を向けて続けた。


「試験開始時間まで残り十五分か……そろそろ行かねばな」


 試験を滞りなく進行させることも、教官の仕事の一つだ。

 彼は二人に背中を向け、静かに歩き始めながら言った。


「では、これで失礼する。また後でな」


 去っていく恭司に言葉を返し、見送る二人。

 やがてその姿が視界から消えると、茜が不意に口を開いた。


「あれで全盛期よりも弱いと言うのですから、凄い方ですよね」

「まったくだ」


 圭介は苦笑しながら同意した。

 果たして恭司を追い抜ける日が、本当に来るだろうか。

 そんなことを考えていると、茜が深刻な表情を浮かべて呟いた。


「だからこそ恐ろしいのです」

「何が?」

「教官の顔に、あんな酷い傷をつけるほど強い魔獣がいたことが、ですよ」


 それは圭介も思っていたことだ。

 恭司の左頬に刻まれた、五筋の大きな傷。

 痕跡からして、魔獣の爪で引っかかれたものであることは間違いない。

 問題は、その傷が教官就任前からあったという事実。

 つまり全盛期の恭司と戦って、顔面に一生の傷をつけるほど強い魔獣がいたことになる。


「いつか私達も……そんな化け物と戦う日が来るかもしれません」


 冷や汗を流して軽く全身を震わせながら、茜は続ける。


「いいえ……きっと来るでしょう」

「その時に今と同じ程度の強さだったら確実に殺される……か」


 圭介は同じように冷や汗を流しつつ、右手で拳を作って言った。


「強く、ならなきゃな」


 ガードのメンバーなら実力の向上を望むのは当然だ。

 魔獣と戦い続ける以上、そうでなければ生き残れない。


「今よりも遥かに……教官ぐらいに強く」


 真剣な表情で言うと、圭介は少し間を置いて続けた。


「これから訓練場へ行こうと思うが、お前も来るか?」

「もちろん」


 茜は笑顔で即答した。

 強くなりたい、という気持ちは彼女も同じだ。

 断るはずがない。


「分かった。すぐ行こう」

「ええ」


 会話を終えるなり、二人は訓練場へ向かって歩き始めた。

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