第18話

 風切り音が響き渡った。

 圭介が超高速で突き出した左拳を、ザジが上半身を傾けて回避したのだ。

 直後。

 素早く左手を引き戻すと、圭介は少しも間を置かずに右拳で殴りかかった。

 狙いは下顎だ。

 猛烈な勢いで空間に流麗な軌道を描く右拳だが、それをザジは一歩後退するだけで難なく回避。

 再び風切り音が鳴ると同時に、彼めがけて何かが凄まじい速さで飛来した。

 茜が投げた小型刃物だ。


「ふっ」


 不敵な笑みを浮かべるなり、ザジは左手で簡単に叩き落とした。

 半ばから折れ、地面に転がる小型刃物。

 しかし、茜の投擲は決して無意味ではなかった。

 ザジがそれに対応している間に、圭介が殴りかかっていたからだ。

 全身を素早くしならせながら、右拳にしっかりと体重を乗せて放った打撃。

 それは神速でザジの顔面へと向かうが、彼は即座に上半身を横へ傾け、簡単に回避してしまう。

 響き渡る風切り音。


「良いパンチではあるがな」


 棒立ちで呟くザジに対し、左拳で小刻みにパンチを繰り出していく圭介。

 一撃の重さよりも、速さと手数を優先することにしたのだ。

 ところが、やはり当たらない。

 十分の一秒間隔で放たれる連撃は、全て最小限の動きで回避され、立て続けに風切り音を響かせるのみ。


「俺を倒せる領域には程遠い」


 そう呟くなり、ザジは圭介めがけて右手の爪を一直線に突き出した。

 速い。

 圭介は咄嗟に真横へ動こうとするが、間に合わない。


(くっ……!)


 死を覚悟した瞬間。

 甲高い金属音が鳴り響き、激しく火花が散った。

 両者の間に雪彦が割り込み、刀で爪を受け止めたのだ。


「雪彦……!」


 圭介が叫ぶと同時に金属音が連続で鳴り、雪彦とザジの間で次々と火花が散った。

 刀と爪で、両者が激しく打ち合っているからだ。

 しかも尋常な速さではなく、圭介にも彼らの腕が霞んで見えるほど。

 両者が武器を振るうたびに凄まじいまでの風圧が発生し、荒れ狂い、周囲の草や土を吹き飛ばしていく。

 壮絶な戦いである。 


「うっ……!」


 右腕を顔の前まで上げ、風圧を防ぎながら、圭介は少しずつ後退し始めた。

 他のガードメンバー達や、魔獣の群れさえも、同じように雪彦とザジの打ち合いを見守っている。

 援護するにしても、風圧が荒れ狂う今の状況では迂闊に近づけず、飛び道具も吹き飛ばされるだけだ。

 戦いの均衡が崩れるまで待つしか、手はない。


(あの打ち合いは……長く続かないはずだ)


 二十メートルほど離れた位置で観戦しつつ、圭介は思った。

 両者の顔を見れば一目瞭然。

 雪彦が必死の表情で大量に冷や汗を流しているのに対し、ザジは余裕の笑みを浮かべてすらいるのだ。

 どちらが優勢なのかは、誰が見ても明白。

 そもそも、圭介とほとんど変わらない実力の雪彦が、ザジと互角に打ち合えているということ自体が奇妙なのだ。

 理由は簡単。

 ザジが手を抜いて遊んでいるからであり、彼が本気を出せば一瞬で均衡は崩れる。

 圭介も茜も、他のメンバー達も、雪彦自身もそれが分かっているから表情が険しいのだ。


(均衡が崩れたら……すぐ加勢に入る!)


 圭介が決意して、左右の拳を構えた直後。

 ザジは雪彦と超高速の打ち合いを続けながら、言った。


「良い腕だが、俺を倒せるほどではないな」


 ザジが断言すると同時に、雪彦の右肩が鋭い爪で切り裂かれ、鮮血が噴き出した。

 遂に均衡が崩れたのだ。

 激しい打ち合いが終わったことで、荒れ狂う風圧も急激に弱まり、消失する。


「がぁっ……!」


 雪彦は呻いてよろめき、刀を落として膝をついた。

 右肩の傷は決して浅くない。

 切り裂かれた鎖骨が見えるほどで、出血量も凄まじいのだ。

 赤い液体が傷口から流れ落ち、地面を真紅に染めていく。

 誰が見ても一目で重傷だと分かる。

 これでは、刀を握り続けることができなくなっても仕方ないだろう。


「雪彦……!」


 冷や汗を流し、悲痛な叫びを上げながら駆け出そうとする圭介。

 しかし、その前に誰かが動いていた。

 圭介の隣に立っていた、茜だ。

 彼女は数枚の手裏剣を素早く取り出し、ザジへ向けて投げたのである。

 いずれも狙いは正確だったが、当たらなかった。

 手裏剣は全てザジに掴み止められ、軽々と握り潰されてしまう。


「駄目だな」


 言うなり、ザジは動いた。

 地面を力強く蹴り飛ばし、土砂を大量に巻き上げ、突進。

 これまで以上の恐ろしい速さで瞬時に距離を詰め、茜めがけて右手の爪を突き出すザジ。

 だが、その行動は途中で中断された。

 圭介が必死の表情で殴りかかり、それをザジが右掌で受け止めたからだ。

 響き渡る打撃音。


「お前達では俺に勝てん」


 そう言われて、素直に納得できるはずがない。

 圭介は少しも諦めようとは思わず、右拳でザジの顔面を狙った。

 ほぼ同時に茜も動き、左胸へ向かって小型刃物を投げる。

 どちらも速い上に正確だが、当たらなかった。

 ザジが圭介と茜の攻撃を難なく見切り、大きく横へ動くだけで回避したのだ。

 拳も小型刃物も、彼の残像を突き破るのみ。

 風切り音が鳴り終わった瞬間に、背後から声が聞こえてきた。


「こっちだ」


 ザジの声だ。

 それと同時に、隣から呻き声も聞こえてきた。

 反射的にそちらへ顔を向けると、茜が左脇腹から大量に出血している姿が見えた。

 おそらくザジが、回避行動しながら背後へ回り込み、爪で深く抉ったのだろう。


「茜……!」


 圭介は青ざめた顔で叫び、よろめく茜を支えようとしたが、できなかった。

 その前にザジの爪が腹部へ叩き込まれ、深く突き刺さったからだ。

 閉じた口の中に鮮血が溢れ、隙間からこぼれ落ちていく。


「終わりだな」


 言ってザジが爪を引き抜こうとした直後。

 圭介は左腕を伸ばし、彼の右手首を掴んで動きを封じた。

 それから少しも間を置かずに全力でザジの胸部を殴り、強烈な打撃音を響かせる。


「がっ……はぁっ……!」


 苦悶の声を上げ、吐血してよろめくザジ。

 もしかすると、今の一撃で骨が砕けたのかもしれない。

 しかしダメージは圭介の方が深刻だ。

 腹部からの出血量は多く、確実に重傷であるはずだが、まったく痛みを感じないのは一体なぜなのか。


(まさか……?)


 圭介の脳裏に、ある考えが浮かんできた。

 急激な疲労回復や自然治癒力の真相は、単純に痛みを感じなくなったが故の錯覚であり、ダメージの蓄積に気づかなくなっていただけではないか、と。

 だが考察は後回しにすべきであろう。

 今の圭介は痛みこそ感じないが、目が霞んで意識が遠のき、倒れる寸前なのだ。


(何とか……倒れる前にザジを……!)


 気力で強引に意識を保ちながら、圭介は再び拳で殴りかかった。

 骨が砕けたせいか、ザジの動きや反応が妙に鈍い。

 拳は回避されることもなく再び胸部に当たり、打撃音を鳴らした。


「ぐぁっ……!」


 さすがに、骨折した部分への強烈な打撃はダメージが大きいようだ。

 ザジは先ほどよりも多くの鮮血を吐き出した。


(どうか……これで……!)


 心の中で叫びながら、圭介は三度目のパンチを胸部に叩き込んだ。

 同時に視界が揺れ、意識が急速に遠のいていく。

 限界だ。

 もはや圭介はザジの右手首を掴む力も失い、仰向けに倒れ始める。

 そんな彼の耳に聞こえてきたのは、無数の金属音や雄叫びだ。

 どうやら今まで静観していた魔獣の群れが動き出し、それにガードのメンバー達が対応している、ということらしい。

 だがその戦いに加わる力など、今の圭介には残されていない。

 ザジの生死を確認することもできないまま、彼は意識を失った。

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