第30話

 ダズは自他共に認める最強の魔獣だ。

 力、技、速さを極めて高い水準でバランスよく備えているため、まったく隙がない万能型の存在。

 そんな彼と互角に渡り合った者は、後にも先にも一人しかいない。


「あの南雲恭司と、遂に再戦することになるかもしれんか」


 シグの提案を、ダズは二つ返事で承知した。

 日本支部基地へと乗り込むより、アジトで待ち受けた方が地の利を活かせるという打算も、無論ある。

 さらに万全を期して、各地の魔獣へ向けて召喚命令を出した。

 全員集合するためには、それなりの日数が必要なことを承知の上で、だ。

 ガードメンバー達に見つからないよう慎重に動けば、どうしても時間がかかってしまう。


「奴らが尋問でエド達からアジトの位置を吐かせるまで、どんなに早くとも一週間は必要だろう」


 エド、リゾ、そして基地へ潜入した八体は口が堅い。

 そう簡単に白状することはないはずだ。


「その間に、こちらは全戦力をアジトに集め、待ち構える」


 だから、戦力を無駄に失うことは避けなければならない。

 今アジトにいる魔獣達には待機を命じ、決して勝手な動きをするなと、釘を刺してある。


「日本の全魔獣が集まるのを待っている間、我は鍛え直すとしよう」


 南雲恭司との戦いは、今でも鮮明に思い出せる。

 自分が無敵の絶対王者と信じていたダズに、消えぬ傷と恐怖を刻み込んだ存在。

 あの時に感じた戦慄は決して忘れられない。


「自分で戦わなくなって久しい。鈍っている可能性は否定できぬ」


 魔獣は人間よりも遥かに寿命が長く、全盛期を保てる期間も比較にならない。

 数十年ほど実戦から遠ざかっていた程度で、腕が鈍る可能性は皆無だ。

 それでも、ダズは楽観視するつもりなどない。


「あの南雲恭司相手に、慎重になり過ぎるということはないからな」


 言い終えるなり、ダズは静かに立ち上がって周囲を見渡した。

 ここはアジトである廃墟の一角で、彼は今まで瓦礫の上に座っていたのだ。


「さて、と」


 呟きと共に視線を向けたのは、前方に転がる巨大な瓦礫。

 直径数メートルもあるコンクリートの塊なので、重さは計り知れない。


「あれで良いか」


 言って、ダズが神速で左拳を突き出した瞬間。

 十数メートル前方の巨大な瓦礫が轟音と共に木っ端微塵となり、無数の破片が周囲に飛び散った。

 常軌を逸した光景だ。

 しかしそれを見ながら、ダズはまったく表情を変えないまま口を開いた。


「威力も速さも鈍ってはいないな」


 拳圧。

 すなわち空気の塊を飛ばしただけだが、破壊力は凄まじい。

 何より相手が近くにいても遠くにいても、距離を気にせず攻撃できる点が大きいと言えよう。

 圧倒的な怪力の成せる技である。


「ふっ」


 軽く息を吐き、今度は右腕を斜め前方めがけて突き出し、拳圧を飛ばすダズ。

 空気の塊が神速で放たれ、軌道上の壁へ直撃。

 コンクリートが雷鳴のような轟音を立てて粉砕され、大小様々な破片が飛び散っていくのを見ながら、ダズは呟いた。


「今度こそ絶対に南雲恭司を仕留めてみせる……必勝を期すなら、もう少し技に磨きをかけておかねばな」


 恭司の姿を思い浮かべながら、ダズは三度目の拳圧を放った。



 ※※※



 同時刻。

 訓練室の片隅で、目の前の空間へ次々と左右の拳を突き出し、風切り音を鳴らす者がいた。

 圭介である。


「はぁぁぁっ……!」


 闇雲に放っているわけではない。

 目の前に相手の姿を思い浮かべながら、正確に狙い通りの位置めがけ、素早く力強いパンチを繰り出している。


(拳は軽く握って、打ち込む瞬間だけ握り込む)


 恭司から教えられた、パンチの基本。

 それを圭介は今でも忠実に守っているのだ。


(攻撃の訓練もしておかないとな)


 今は動体視力や反応速度、先読みの技術などを優先的に磨いているが、攻撃面の訓練をおろそかにしていいわけではない。

 故に、平行して鍛えているというわけだ。

 もちろん、少し離れた位置では茜も同じく攻撃の訓練をしている。

 雪彦は右肩の傷が痛み始めたとのことで、既に大部屋へ戻っており、今この場にはいない。

 茜の投擲の軌道上へ入ってしまわないよう注意しながら、圭介は思った。


(古参魔獣を倒すには、今のままのパンチでは駄目だ……!)


 ザジを倒してはいるが、無茶な方法で彼の動きを止めたからできたことだ。

 あんなことを何度も繰り返していては、命が幾つあっても足りない。

 だからパンチの速さ、重さ、正確さを向上させることは必須。

 それだけではない。

 パンチをどこに、どんな角度から、どんなタイミングで打ち込むのかを瞬時に判断して実行せねばならない。

 そのために、こうして鍛えているのだ。


(何としてでも……古参を倒せる強さを……!)


 少なくともザジを超えることが最低条件だ。

 そう思いつつ、左右の拳で立て続けに超高速のパンチを繰り出し、鋭い風切り音を何度も室内へ響かせる。

 順調に回数を重ね、全身から噴き出した汗が足元へたまっていく。


「はぁぁっ……!」


 棒立ちというわけではない。

 目まぐるしく立ち位置を変え、様々な角度から次々とパンチを放ち続けるが、次第にペースが落ちてきた。

 汗が大量に流れ落ち、呼吸も乱れてきている。

 ところが集中し過ぎているせいで、そのことに圭介自身は気づいておらず、足元の状態さえ分かっていない。


「あっ……!」


 彼は大量の汗により、水たまりと化した場所で激しく動いているのだ。

 転倒して当然。

 焦りの表情で足を滑らせ、声を発しながら体勢を崩す圭介。

 しかし、床の上へ倒れ込むことはなかった。

 その前に誰かの手が、後方から彼を受け止めたからだ。


「危ないですよ、圭介さん」


 茜の声だ。

 気づかない内に彼女が圭介の背後へと回り込み、両手で支えたということらしい。


「茜か……ありがとう」

「いえ、お気になさらず……ただ」


 茜は少し表情を曇らせ、続けた。


「あまり無茶は……しないでください」

「無茶?」


 圭介自身にそんな意識はない。

 だから困惑の表情で振り向いて茜を見るが、すぐに両目を見開いて驚いた。

 彼女が、心配そうに視線を向けていたのだ。


「はい。強くなりたいと思うのは当然ですし、そのために厳しい訓練を積むのも道理ですが、少しは自分の体調も気にするべきです。そうしないと強くなる前に倒れてしまいます」


 その通りだろう。

 圭介は怪我が完治していない状態なのだから、なおさらだ。


「適度に休憩することも必要です……分かってください、圭介さん……!」


 いつの間にか、茜は泣き出しそうな表情になっている。

 それを見て冷静になり、少し後悔する圭介。

 強くなろうと思う気持ちが強すぎて、焦っていたことを自覚したのだ。

 自分がどれだけ茜を心配させていたかも、分かった。


「分かったよ、茜」


 本音だ。

 ここまで心配してくれる仲間を見た上で、その気持ちを無視しようとするほど圭介は薄情ではない。


「良かった……!」


 圭介の返事を聞き、茜は嬉しそうに言った。


「それじゃあ、床の掃除は私がやっておきますから、圭介さんはシャワー浴びてきてください。それから休憩室へ行きましょう」


 言い終えるなり、茜は近くにあるドアを指で示した。

 シャワールームへの入口だ。


「ありがとう」


 礼を言うと、圭介は早足でそこへ向かった。

 尋常ならざる集中力故に、先ほどまで気になっていなかったが、今は汗で肌に付着した服の感触が気持ち悪い。

 すぐに着替えたいと思いつつ、ドアを開けて中へ入り、周囲を見渡した。

 曇りガラスの仕切りが幾つも存在し、一度に二十人以上が使用可能なほどの広さがある。

 どこからも水音は聞こえてこないため、今は無人のようだ。


「……」


 圭介は服を脱いで近くのかごへ放り込むと、シャワーで熱い湯を浴び始めた。

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