第8話

 この森は非常に歩きにくい。

 樹木の枝がどれも大きく張り出して見通しが悪い上に、鋭く尖った小石が地面に点在しているからだ。

 それ故に地元の人間でさえ、積極的に足を踏み入れようとはしない。

 だが圭介と茜は木々や枝にぶつかることなく、尖った小石も巧みな動きで回避しながら、超高速で縦横無尽に駆け回っている。

 凄まじい身体能力と言えよう。


「こっちの方角……だな」

「ええ……間違いありません」


 二人は小声で会話しながら、素早く走り続ける。

 向かう先は、雄叫びと打撃音の発生源。

 方角は北東。

 奥へ進むにつれて、聞こえる音が大きくなっていく。

 発生源に近づいている証拠だ。


(近い……もうすぐだ……!)


 圭介がそう思いながら走っていると、やがて少し開けた場所に出た。

 直径十五メートル程度の円形空間になっていて、樹木は一本も立っておらず、草も少ない。

 その中央に、二体の魔獣がいた。

 片方は額に三日月の紋章があり、相当な巨体で筋肉質。

 隣にいるのは、額に球形の紋章が刻まれた魔獣。

 体長こそほとんど変わらないものの、こちらは細身で身軽な印象だ。

 どちらも息を乱し、呼吸を整えている。

 激しく動いたばかりで休憩しているのだろう。

 まだ圭介と茜の存在には気づいていないようだ。


(こいつらも、討伐対象の魔獣だな)


 二体の紋章を確認してから、圭介は自分の右隣を見る。

 その視線を浴びると茜は真剣な表情で小さく頷き、懐から小型刃物を取り出した。

 直後に左右の拳を構える圭介。

 間を置かず、二人は魔獣達に歩み寄り始めた。

 恐ろしく静かな足取りだ。

 ほとんど音を立てることなく、慎重に近寄っていく。

 しかし、魔獣達は気づいた。

 圭介と茜が数メートルも進まない内に顔を上げ、二人を見たのだ。

 並の感知技術ではない。


「おのれ……こんな時にガードのメンバーが来るとは……!」


 球形の紋章を持つ魔獣が、忌々しげに言った。


「しかしリゾを相手にするよりはマシだ。すぐにこいつらを殺して逃げよう、レツ」

「ああ。女は俺がやるから男の方はお前に任せるぞ、ドル」

「分かった」


 両者の会話を聞き、圭介は思った。


(リゾって誰だ……?)


 会話内容と状況から察するに、この二体はリゾという存在に目をつけられて急いで逃亡、あるいは戦ったが到底かなわず撤退を選択したということらしい。

 おそらく入口へ吹っ飛ばされていた魔獣も同じだろう。


(少なくとも、魔獣三体を単独で撤退に追い込むほど強いということは確か、か)


 リゾという名前のメンバーは日本支部に存在しない。

 海外のガードから派遣されてきたのだとしても、連絡が来ないのは奇妙だ。

 一体何者なのか。

 だが今は考え込んでいる場合ではなく、目の前の二体に集中するべきであろう。

 ドルと呼ばれた細身の魔獣が近寄ってくるのを見ながら、圭介は言った。


「茜、絶対に勝つぞ……!」

「ええ、圭介さんも負けないでください……!」


 そう言葉を返すと、茜はレツと呼ばれた筋肉質の魔獣めがけ、小型刃物を投げた。

 恐ろしい速さと正確さを兼ね備えた一撃。

 しかしレツは右前足を素早く振り、簡単に小型刃物を叩き落とした。

 並外れた動体視力と反応速度である。

 それを横目で見てから、すぐにドルへ視線を向ける圭介。


「俺達も始めようか、ドルとやら」

「ああ。始めよう……!」


 会話を終えると同時に、ドルは正面から突っ込んできた。

 一瞬で距離を詰め、素早く右前足の爪で攻撃してくる魔獣。

 狙いは脇腹だ。

 咄嗟に後退する圭介だが、完全には回避できなかった。

 鋭い爪が超高速で腹部をかすめ、服とその下の皮膚を切り裂いたのだ。


「くっ……!」


 痛みで顔をしかめると、圭介は呻きながら大きく後退した。

 傷自体は浅い。

 今の一撃が、茜の投擲よりも速かったことの方が遥かに衝撃的だ。


(こいつ、並の魔獣じゃないな……!)


 圭介が内心警戒を強めた直後。

 彼の視界から、ドルの姿が消えた。

 それと同時に周囲の地面が次々と陥没し、凄まじい轟音が連続で響き渡る。


(速い……!)


 ドルは圭介の周囲を、素早く動き回っているのだ。

 単にそれだけのことだが尋常な速さではない。

 常人を遥かに超える五感を持つ圭介でも、目で追うだけで精一杯。

 彼の動きも決して遅くないが、ドルと速さ比べしてもかなわないだろう。


「っ……!」


 左肩から出血してよろめく圭介。

 ドルが超高速ですれ違いながら、爪で切り裂いたのである。

 やはり傷は浅いが、このままでは殺されるのも時間の問題だ。


「……」


 左肩と腹部の痛みに耐えつつ、圭介は拳を構え直した。

 もはや、陥没していく地面は見ていない。

 目で動きを追えても、肉体の反応が間に合わないからだ。

 それでも対処方法がないわけではない。


「そこだ……!」


 言いながら圭介は右拳を前方へ突き出した。

 直後。

 打撃音と共にドルが殴り飛ばされ、宙を舞い、地面へと落下して転がった。

 起き上がる様子はなく、完全に白目を剥いている。

 ドルの肉体が急激に溶けていくのを見ながら、圭介は思った。


(何とか……うまくいったな)


 目で見てから対処しても間に合わない。

 故に彼は耳へ意識を集中させ、音と気配で動きを先読みすることにしたのだ。

 いかに速かろうとも、どの方向から来るか事前に分かっていれば話は別である。

 だが無論、簡単なことではない。

 もし先読みに失敗していたら一体どうなったか。

 パンチが空振りして致命的な隙をさらすことになり、殺されていただろう。

 結果的に一撃で倒せたのは運の要素も大きいと言える。


(茜は……無事か……?)


 ドルがこれほど強いならば、あのレツという魔獣も並の相手ではあるまい。

 茜の実力は信じているが、心配にならないと言えば嘘になる。

 冷や汗を流して周囲を見渡す圭介。

 ところが、茜とレツの姿はない。

 戦いながら動き回り、ここから離れていったようだ。


(茜……!)


 圭介は心の中で叫ぶと、必死に茜を探し始めた。

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