第9話

 圭介が戦っている場所から、二十メートルほど離れた地点。

 そこで甲高い金属音が鳴った。

 茜が素早く投げた小型刃物を、レツが右前足で叩き落としたのだ。


「……」


 ほとんど間を置かずに茜は円盤状の刃物を取り出し、投げた。

 速い。

 疾風に等しい勢いで流麗な軌跡を描き、レツの首筋めがけて正確に飛んでいく。

 腕だけでなく、全身の筋力を余さず使った結果だ。

 並の魔獣なら回避が間に合わず、斬首されるだろう。

 だがレツは、そうではなかった。

 即座に反応して、左前足を凄まじい速さで振り回したのだ。

 円盤状の刃物は簡単に弾き飛ばされてしまい、金属音と共に地面へ転がった。


「大した投擲だが、俺には通じない」


 呟き、口元に笑みを浮かべるレツ。

 うぬぼれた発言ではない。

 今の見事な防御がそれを証明している。


(このまま普通に投げていても、当てられませんね)


 レツの動体視力と反応速度は驚異的だ。

 正面から投擲を続けているだけでは、勝てない。


(死角へ入り込んで投げれば何とかなるかもしれませんが……それはレツも予想しているはず)


 少なくとも、相手が死角を狙ってくる可能性を考えないほど馬鹿ではないだろう。

 茜がそんなことを考えながら構えていると、レツは静かに口を開いた。


「お前では俺に勝てん」


 言うなり、レツは地面が揺れるほどの勢いで突進してきた。

 筋肉質の重い巨体に似合わぬ速さで、距離を詰めてくる。

 もちろんこんな攻撃を受け止められるはずがなく、茜は慌てて横へ跳躍した。

 次の瞬間。

 進路上の巨大な樹木が、レツの体当たりで轟音と共に粉砕され、無数の破片が飛び散った。


(何て破壊力……!)


 地面へ着地しながら、茜は戦慄した。

 直径数メートルの太い樹木を難なく粉々にするとは、恐ろしい突進だ。

 巨体と重量を最大限に活かした、効果的な攻撃と言える。


「かわしたか」


 感心するように呟いて茜の方へ向き直ると、レツは巨大な口を開け、地面を力強く蹴って跳躍した。

 足元の土砂を大量に巻き上げ、先ほどの突進よりも速く迫ってくる。

 どうやら体当たりで粉砕するのではなく、牙で噛み殺すことにしたようだ。

 速い上に距離も近いため、回避を試みても間に合わない。

 首筋へ迫る巨大な口に対し、茜は半ば反射的に左腕を差し出して噛ませた。

 直後。

 鋭い牙が筋肉と骨を軽々と噛み砕き、傷口から鮮血が流れ出した。


「うぅっ……!」


 痛みで呻きつつも茜は右手で小型刃物を取り出し、投げようとするが遅かった。

 その前にレツが首を超高速で振り、口を開けたからだ。

 噛み付かれたままだった茜は宙を舞い、近くの巨木に激突した。

 あまりの衝撃で息が詰まり、地面へ落下。

 鎖骨が砕け散ったらしく、左肩に凄まじい痛みが走った。


「っ……!」


 顔をしかめて冷や汗を大量に流しながらも、茜は立ち上がった。

 ところが、直後によろめいてしまう。

 左腕や肩の痛みが動きを阻害し、激突の衝撃で全身に痺れが残ったままだ。

 こんな状態で、レツの突進や噛み付きを回避できるだろうか。

 答えは否だ。

 このままでは体当たりで粉砕されるか、鋭い牙で噛み殺されるか、どちらかを選ぶしかなくなる。


(もう回避できないなら……迎撃します……!)


 茜は心の中で呟き、小型刃物を取り出した。

 現状を引っくり返して勝つ手段は、ある。

 危険な方法だが迷っている時間はない。

 レツが口を大きく開け、地面を揺らす勢いで突っ込んできたのだ。

 噛み殺すつもりらしい。


「……」


 だが茜は回避しようともせずに待ち受ける。

 巨大な口が猛烈な勢いで目の前まで迫り、噛み殺される寸前になって彼女は動き出した。

 右腕を下から上へ全力で振り、小型刃物を投げたのである。

 それは超高速で正確にレツの口内を突き破り、後頭部から飛び出した。

 即死だ。

 地面に倒れ、急激に溶けていくレツの巨体を見ながら、茜は呟いた。


「何とか……勝てましたか」


 安堵のため息をつくと、その場で彼女は座り込んだ。

 噛み殺される寸前という超至近距離で投げれば、さすがのレツも防御は不可能だと思って待ち受けたわけだが、恐ろしく危険な作戦であった。

 十分の一秒でも投擲が遅れていれば、確実に死んでいたからだ。

 まさに薄氷の勝利と言えるだろう。


「圭介さんは……大丈夫なんでしょうか……?」


 左腕の出血を右手で抑え、肩の痛みに耐えながら呟いた直後。

 声が聞こえた。


(圭介さん……?)


 それほど遠くではない。

 顔を上げて周囲へ視線を巡らせると、少し離れた位置に圭介の姿が見えた。

 どうやら茜を探しているらしく、彼女の名前を叫んでいる。


(圭介さんも、勝ったんですね……!)


 茜は心底安心し、笑みを浮かべた。

 レツがこれほどの猛者ならドルも相当な強豪のはずだが、無事に勝てたようだ。


(良かった……!)


 大切な相棒が無事だったことに喜びながら、茜は静かに立ち上がり、位置を知らせるために叫んだ。



 ※※※



 その光景を遠くから見ている魔獣がいた。

 リゾだ。

 彼は巧みに木陰へ隠れ、物音をまったく立てておらず、呼吸音も極めて小さい。

 完璧な隠密行動だ。

 圭介も茜も、リゾの存在に気づいていない。


(やはりガードのメンバーは侮れません……まさかドルとレツが負けるとはね)


 ドルとレツは、若手の中でも上位の実力者達だ。

 自信に見合うだけの強さを備えている。

 だからこそ、暴走しがちな若手を力づくで抑えるためには、まず彼らを叩きのめすことが得策。

 そう判断したから、リゾは最初にドル達と接触したのだ。

 適度に痛め付けてわざと逃がしたのだが、その直後にガードのメンバーと遭遇してしまうとは思わなかった。


(多少疲労していてもドル達なら負けないと考えていましたが、甘かったようです)


 リゾが、ドルとレツに加勢しなかった理由もそれだ。

 ところがまさかの敗北。

 自分の見通しが甘かったことを、リゾは認めざるを得なかった。


「……」


 教官以外のメンバーも強く、一対一で正面から戦えば手こずる相手。

 そう若手に認識させ、慎重かつ油断せず動くように教育せねばならない。

 でなければ、ドルとレツの二の舞は避けられないだろう。


(早急に若手の魔獣達の意識を変えなくてはいけませんね)


 心の中で言い終えるなり、リゾは少しも足音を立てることなく、その場から去っていった。

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