第38話

 数メートルの距離を置き、無言で睨み合う両者。

 先に攻撃を仕掛けたのはダズ。

 その場から一歩も動かずに、左拳を突き出したのだ。

 いかに腕が長くともパンチが届く距離ではないが、恭司は敏感に危険を察知。

 彼が素早く真横へ動いた直後。

 恭司の後方にあった瓦礫が、轟音と共に木っ端微塵となり、破片が飛び散った。


(拳圧)


 魔術や超能力の類とは違う。

 凄まじい速さでパンチを繰り出し、その風圧を飛ばしたのである。

 破壊力のみならず、多少距離があっても届く点が脅威だ。


「数十年前の戦いでも同じ技を使っていたが……まったく鈍っていないようだな」

「当然だ!」


 叫ぶなり、ダズは右拳を突き出してきた。

 先ほどのパンチよりも速い。

 どうやら距離を詰めず、遠距離攻撃に徹するつもりらしい。

 しかし同時に、恭司もダズに匹敵する速さでパンチを繰り出した。

 次の瞬間。

 拳圧が両者の間で真正面から激突し、雷鳴のような轟音を響かせながら周囲の地面をクレーター状に抉り、大量の土砂を飛び散らせた。

 恐ろしい光景。

 拳圧を遠くまで飛ばす技は圧倒的な怪力が必須だが、別にダズしか使えないわけではない。

 同格の恭司にも、同じことができるのだ。


「お前の拳圧も鈍っていないな……さすがだ……!」


 言い終えるや否や、今度は右足で前蹴りを繰り出すダズ。

 パンチに比べれば少し遅いが、それでも驚異的な速さである。

 それを見ると恭司は半ば反射的に、左へ跳躍。

 直後。

 地面が抉られ、軌道上の瓦礫が粉砕され、破片が散乱した。


(思った通り……蹴りでも風圧を飛ばせるようになっていたか)


 数十年前の戦いにおいては、ダズはパンチでしか空気の塊を飛ばせていなかった。


(鈍っていないどころか、上達している……!)


 内心警戒を強め、静かに着地する恭司。

 そんな彼に対して、ダズは真剣な表情で言った。


「お前ほどの猛者が相手では、遠距離から風圧を飛ばすだけでは駄目のようだな」


 両腕を下ろし、眼光を鋭くしながらダズは続ける。


「やはり肉弾戦か」

「ああ」


 短い会話を終えると、両者は数メートルの距離を一瞬で詰めて、同時に右拳を突き出した。

 どちらも腰を素早く回転させ、体重を十二分に乗せた神速のパンチだ。

 熟練のガードメンバーや古参魔獣であっても、これを捉えられる者は皆無に等しいだろう。

 恭司とダズの右拳は時速千キロ前後のスピードで空間に一直線を描き、真正面から激突。

 鳴り響く、雷鳴の如き轟音。

 激烈な衝撃で両者は体勢を崩し、風圧で数メートル後退する。

 

「くっ……!」

「ぬぅっ……!」


 呻きながら恭司とダズは瞬時に構え直した。

 あれほどの勢いで激突したというのに、どちらの拳も無傷だ。

 皮膚は少しも裂けておらず、僅かな出血さえない。

 恐るべき頑丈さと言えよう。


「良いパンチだ、南雲恭司……!」

「お前もな……!」


 再び言葉を交わした瞬間。

 ダズは一瞬で数メートルの距離を詰め、前蹴りを放ってきた。

 体重の乗った爪先が正確に、恭司のみぞおちへと向かう。 

 これも恐ろしく速いが、恭司は素早く横へ動いて難なく回避。

 風圧が地面を削る音を聞きながら踏み込み、左拳で殴りかかった。

 しっかりと体重を乗せて、軸足と腰の回転も加えたパンチだ。

 攻撃直後のダズでは対処できるはずもない。


「ぐぅぁっ……!」


 ダズは腹部に直撃を受けてしまい、呻き声と凄絶な打撃音が同時に響き渡った。

 彼は吐血しながら数十メートルも吹っ飛び、廃墟の外壁に激突。

 次の瞬間。

 圧倒的な衝撃で外壁は砕け散り、無数の破片と瓦礫が次々と降りそそぎ、廃墟内に埋まったダズの巨体を覆い隠していく。


「……」


 恭司は真剣な表情を浮かべ、何も言わずに廃墟へ歩み寄った。

 ダズの生存を確信しているからだ。


(この程度で致命傷を負うわけがない)


 魔獣王の強さを知っているが故の慎重さである。

 いつでも攻撃できるように身構え、静かな足取りで前進していく恭司。

 やがて、廃墟まで約十メートルの地点へ到達した瞬間。

 破片と瓦礫が揺れ動き、それらを押しのけてダズが姿を見せた。


「相変わらず、大した奴だ」


 側頭部の裂傷から流れる鮮血を拭いつつ、ダズは言った。

 決して軽い怪我ではない。

 特に腹部は、拳の形の陥没が悪化したため、内臓に損傷を与えているはずだ。

 実際、ダズの口の端から静かに鮮血が流れ出ている。

 それでも重傷には程遠いようだ。


「数十年と比べて衰えている部分は確かにあるが、力と技はキレを増している。あれから実戦と鍛錬は欠かしていなかったと見えるな」

「当然だ」


 一歩前進してから、恭司は続けた。


「私はガードメンバーだ。人々を守るために、相応の強さを身につけておかねばならない」

「違うな」

「何?」

「お前が守ろうとしているのは……そして助けようとしているのは……人間だけではない」


 ダズの言葉を聞いて、恭司は動きを止めた。

 図星だからだ。

 そんな彼に対し、ダズは鋭い眼光を浴びせつつ、再び口を開いた。


「バルとの無残な別離を経て、人間と魔獣の和睦を考えるようになっただろう。そうでなくとも、元々魔獣殲滅などは考えていなかったらしいしな」


 否定はしない。

 元より、恭司は魔獣を皆殺しにすれば良いとは思っていない。

 もっと言うなら、主義主張以前に現実的な観点から考えてみても、殲滅など不可能である。

 人間と魔獣の戦争は全世界規模で展開され、数十年も継続。

 それほど長引いているのに、どちらか一方が優勢という状況になったことはない。

 このままでは消耗戦が延々と続き、人間も魔獣も共倒れで終わるは明白。

 もはや和平に至るしか、道はないのだ。


「和睦するなら自分達の強さと志を示し、なおかつ魔獣を皆殺しにする意図がないことを示さねばならん」


 そこまで言ってから少し間を置くと、ダズは左右の手で拳を作り、構えた。


「つまりお前達は、我やシグを殺さずに倒さねばならんわけだ。できるのか?」

「できる」


 即座に断言してから、恭司は再び一歩前進した。


「そうでなければ……魔獣との和睦を成立させることなどできようか」


 紛れもない、恭司の本心だ。

 

「そしてダズ。私が勝ったら、お前に魔獣側の和睦派代表となってもらう。承知してくれるか?」

「何……?」


 恭司の言葉に両目を見開き、驚くダズ。

 しかし、すぐに壮絶なまでの笑みを浮かべた。


「ああ、約束しよう……我に勝ったらの話だがな……!」


 力強く叫ぶと、ダズは約十メートルの距離を瞬時に詰め、殴りかかってきた。

 今まで見せてきた動きよりも、さらに俊敏だ。

 時速千キロ以上という圧倒的なスピードで迫る右拳を、恭司は何とか回避しようとするが、間に合わなかった。

 強烈なパンチが左脇腹にめり込み、鳴り響く轟音と呻き声。

 恭司の肋骨が何本も砕け散り、拳圧が臓器まで浸透し、想像を絶する激痛が体内を駆け巡った。


「がぁっ……!」


 一瞬だけ意識が遠のき、呻いて吐血しつつも、恭司は吹っ飛ばされることなく踏みとどまった。

 そこへダズの右拳が神速で迫る。

 狙いは、またもや左脇腹。

 今その部分を殴られれば、肋骨の破片と拳圧で内臓が破壊されてしまい、今度こそ確実に死ぬだろう。

 しかも踏ん張った直後なので、回避などできるはずもない。


「!」


 次の瞬間。

 派手な打撃音が、鳴った。

 左脇腹を殴られたためではなく、ダズのパンチを恭司が受け止めたからだ。


「大した奴……!」


 感心するように呟いてから、左拳で殴りかかるダズ。

 そのパンチを、恭司が右掌で半ば反射的に受け止めた直後。

 どちらもその場で力強く踏ん張り、両手で組み合った。


「ぬうぅっ……!」

「うぉぉっ……!」


 気合を入れ、冷や汗を流す両者。

 力比べは互角であり、お互いの腕が激しく揺れ動き、筋肉と骨格がきしんでいる。

 彼らが限界に達するのも時間の問題だろう。

 この状態で迂闊に蹴りを繰り出せば、一気に体勢が崩れて不利になるため、それもできない。


(力で押し返すしかないか……!)


 恭司は結論を出すと同時に、両腕へさらに力を込めていく。

 しかし直後に、均衡は崩れた。

 ダズが口を大きく開け、左肩に噛みついたからだ。


「ぐぅっ……!?」 


 驚きと激痛で顔色を変え、呻く恭司。

 鋭い牙が強靭な皮膚と筋肉を骨ごと噛み砕き、傷口から次々と鮮血が流れていくのが分かる。


(だ……だが……!)


 諦めるわけにはいかない。

 その一念で恭司は最後の力を振り絞り、ダズの巨体を押し倒し、猛烈な勢いで地面に叩きつけた。


「うおっ……!」


 地面が揺れ、呻き声と轟音が同時に鳴り響き、大量の土砂が巻き上がる。

 牙が左肩から外れたことを悟ると、間を置かずに恭司は殴りかかった。

 残された全ての力を右拳に込め、渾身のパンチを放つ。

 それはダズの胸部に直撃し、爆発のような打撃音を周囲に響かせた。


「ぐっ……がはっ……!」


 地面に横たわった仰向けの体勢で、無防備に恭司渾身のパンチを受けたのだ。

 さすがのダズも、呻きながら大量の鮮血を吐き出した。

 今の一撃で胸骨が全て折れ、拳圧で内臓も激しく痛めたはずだ。

 先ほど腹部に打ち込んだ分も合わせると、ダメージは甚大だろう。

 そして両者の体勢も考えれば、勝敗は決したも同然である。


「南雲……恭司……!」


 ダズは凄まじい形相で叫び、起き上がろうとする。

 しかし、もうその力は残っていないようだ。

 上半身を起こそうとして失敗し、再び仰向けに倒れると、彼は呟いた。


「力が入らん……もはや負けを認めるしか……あるまいな」


 その言葉にも、表情にも、偽りを感じない。

 本当に、負けを認めたということか。

 ならば先ほどの口約束も守ってもらわねば、ならない。


「ダズ……!」

「心配するな。約束なら覚えている」


 恭司の心中を見抜いたように、ダズは言った。


「我は約束を反故にしたりせん……口にしたことは守る……絶対に、な」


 震える右手を突き上げ、続けるダズ。


「魔獣王の……誇りにかけて……!」

「……」


 その言葉を噛み締めるように黙り込むと、恭司は静かにダズの両目を見た。

 強い信念の宿った眼光からは、謀略の気配を少しも感じない。


「ああ……お前の言葉、信じよう……!」


 言って、恭司は優しい笑みを浮かべた。

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