第37話

 同時刻。

 茜は廃墟内で、一体の古参魔獣と戦っていた。


「はっ……!」


 彼女は気合と共に、右腕を振り回し、小型刃物を投げつける。

 以前とは比較にもならないほどの勢いだ。

 時速五百キロという猛烈なスピードで空間に直線を描き、正確に標的の額へ向かうが、当たらなかった。

 古参魔獣が真横へ動いて回避したからである。

 小型刃物は残像を突き破り、コンクリートの壁に刺さって止まった。

 

「ふっ……!」


 軽く息を吐いてから、小型刃物を次々と投げる茜。

 いずれも狙いは正確で、恐ろしく速い。

 猛烈な勢いで間断なく小型刃物を投げる技術は、凄まじいの一言だ。


「ぬぅっ……!」


 古参魔獣にとっても、時速五百キロで立て続けに小型刃物を投擲されることは脅威らしい。

 両腕を動かして弾き飛ばしながらも、表情に余裕はなく冷や汗まで流している。


(距離を詰める暇は与えません……!)


 そして茜の方も余裕などまったくない。

 小型刃物は一本も当たらず、弾かれているだけなのだから当然。


(この状況が続いたら……まずいですね)


 茜の方が不利だ。

 彼女が全身に隠し持っている小型刃物の数は、九十八本。

 それらを投げ尽くしてしまえば、古参魔獣の動きを止められなくなる。


(武器が尽きる前に、あの魔獣の体力が尽きてくれれば勝機はありますが、向こうも私の武器が尽きるのを待っているはず)


 尽きるのは、果たしてどちらが先か。

 冷や汗を流しつつも、茜は必死に投擲を続ける。

 やがて小型刃物が残り少なくなり、両腕を動かす力も尽きかけてきた頃。


「ぐぁっ……!」


 ただのまぐれ当たりか。

 それとも古参魔獣の体力が尽きて、動きが鈍くなったからか。

 原因は分からないが、彼の左肩に小型刃物が突き刺さった。


「ちぃっ……この場は撤退するしかないか……!」


 忌々しげな口調で言い放った瞬間。

 古参魔獣は小型刃物を引き抜いて、捨てると同時に駆け出した。

 追いかけようとする茜だが、途中で視界が揺れ、膝をついてしまう。

 頭を押さえ、呼吸を乱しながら彼女は思った。


(武器だけでなく体力も底を尽きかけていました……あのまま戦いが続いていたら)


 茜は負けていただろう。

 無論、武器が尽きただけで戦えなくわけではなく、彼女は格闘技や体術に関してもそれなりの腕前。

 しかし、古参魔獣と殴り合えるほどではないのだ。


(追いかけないと……いいえ、その前にみんなと合流しなければなりませんね)


 戦っている内に、いつの間にか他のガードメンバーとはぐれてしまった。

 単独で動き続けるのは非常に危険なので、合流を優先すべきだろう。


(圭介さん……みんな)


 茜は小型刃物を全て回収すると、周囲に視線を巡らせながら歩き始めた。

 仲間達の姿は見えないが、雄叫びや打撃音なら先ほどから何度も聞こえている。


(こっち……ですね)


 雄叫びと打撃音が聞こえる方向へ進みつつ、茜は思った。


(圭介さんの声が聞こえてこないのが……気がかりです)


 廃墟内へ突入したガードメンバーの声は、全て記憶している。

 雄叫びを注意深く聞き分けると、今のところは恭司も含め、ほぼ全員が生き残っているようだ。

 ところが今、圭介の安否だけが分からない。

 まったく彼の声が聞こえてこないのだ。


(まさか……?)


 殺されてしまったのだろうか。

 最悪の事態を思い浮かべて青ざめる茜だが、それを否定するように頭を振り、心の中で言った。


(いいえ、もしかすると地下で戦っているから、聞こえてこないだけかも……!)


 彼女は既に大きな穴を幾つも発見している。

 その下に部屋や通路があることも確認済みだ。


(可能性は……否定できません) 


 穴から地下へ行こうと思った瞬間。

 爆発のような轟音と共に廃墟全体が揺れ動き、壁や床の亀裂が広がり、破片が飛び散っていく。

 茜は驚異的なバランス感覚で、何とか転倒を避けると、周囲を見渡して思った。


(今の音は……!?)


 戦闘音だとしたら生半可な闘争ではないだろう。


(行ってみましょう)


 心の中で言ってから駆け出そうとすると、再び轟音が響き、廃墟全体が揺れた。

 それだけではない。

 ほとんど間を置かず、今度は何かが地面へ激突したような音が聞こえてきたのだ。

 直後に近くの壁が砕け散り、激しい爆風で吹っ飛ばされる茜。

 

「くっ……!」


 呻きつつも何とか彼女は空中で体勢を整え、着地。

 壁に開いた穴へ視線を向け、外を見る。


(あそこにいるのは南雲教官と、古参魔獣……?)


 数十メートル前方に、恭司の姿が見える。

 彼と向かい合っているのは、巨大な二足歩行の古参魔獣だ。

 額の紋章は菱形で、光り輝いている。


(菱形の紋章……するとあの古参魔獣がダズ……!?)


 日本支部最強の人間と魔獣達の王が、数メートルの距離を置いて対峙している。

 先ほどの揺れや轟音も、両者の戦闘によるものだったようだ。

 あまりに激し過ぎて外へ飛び出し、地面へ激突したということだろう。


(他のみんなは……戦いを中断したようですね)


 外ではガードメンバー達が、数百体の若手魔獣と戦っているはずだ。

 だが今、雄叫びや打撃音は少しも聞こえてこない。

 廃墟の外のみならず、中からもだ。


(誰もが南雲教官とダズの決闘に、注目しているということですか)


 そう思った瞬間。

 唐突に、背後から声が聞こえてきた。


「茜、無事だったか……!」

「!」


 圭介の声。

 茜は瞬時に振り向き、素早く確認する。

 数メートル前方に立っているのは、間違いなく圭介だ。


「圭介さん……!」


 大切な相棒が、ちゃんと生きている。

 思わず笑みを浮かべて駆け寄る茜だが、直後に表情が一変した。

 圭介の尋常でない怪我に気づいたからだ。

 脇腹と片足は特に酷く、適切に巻かれた包帯は鮮血で赤く染まっている。


「だ、大丈夫なんですか……!?」

「さすがにしばらくは戦えないけどな……命に別状はないさ」

 

 確かに、そうらしい。

 時々よろめき、片足も引きずっているが、出血は止まっているようだ。


「あいつは……シグは信じられないほど強かった……本気で死ぬかと思ったが、どうにか勝てたよ」

「シグ……!?」


 圭介が大変な名前を口にしたため、茜は驚いて表情を変えた。

 シグは魔獣の序列二位であり、ダズの側近。

 そんな凄まじい強豪相手に圭介は戦い、勝ったというのか。


(にわかには信じがたいですが……同時に誇らしくもあります)


 自分の大切な相棒は、決して志だけの弱者ではない。

 常々そう思っている茜には、圭介がシグに勝ったというのは望外の朗報である。

 しかし、ふと冷静になって言った。


「それにしても……手当ては誰が……?」


 重傷を負った状態の圭介がやったにしては、処置が完璧すぎる。

 第三者の仕業であることは明白。

 ガードメンバーの誰かが地下まで行って、手当てしたのだろうか。

 疑問に思って問いかけたのだが、圭介の答えは予想外のものであった。


「シグだ」

「えっ……?」


 驚きの表情で圭介を見る茜。


「つまり圭介さんにその重傷を負わせたのがシグで、手当てしたのもシグ……?」


 一体何があって、そんなことになったのか。

 困惑する茜に対し、圭介は静かに視線を向けて答えた。


「シグは認めてくれたんだ……俺の志と、強さをな」


 圭介の表情は非常に穏やかで、優しげですらある。 

 それを見て、茜は悟った。

 圭介とシグは何らかの形で和睦したのだと。


(他のガードメンバーや魔獣達がどう思うかは、別の話ですが)


 個体ごとに和睦できても、種族全体でそれができなければ無意味。

 しかし今回の場合、相手は魔獣の序列二位シグ。

 彼が人間と分かり合ったとなれば、全体に与える影響は決して小さくない。


(そして南雲教官がダズを倒すことができれば……良くも悪くも状況は変わる)


 魔獣王が人間に敗北し、序列二位が和睦に応じたなら、全体へ与える影響は絶大。

 このまま戦争でお互いに疲弊し続けるか、あるいは交渉するか、世界は選択を迫られるのだ。


(できれば……良い方向に変わってほしいですが)


 そう思ってから、茜は軽く頭を振った。

 全ては、戦いの結果次第だ。


「遂に始まりますね……圭介さん」

「ああ……最強の人間と最強の魔獣の決戦だ……!」


 会話を終えた直後。

 両者は恭司とダズの戦いを見届けるべく、壁の穴へ顔を向けた。

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