第14話

 まだ薄暗く、肌寒い空気の早朝。

 静まり返った町中で、凄まじい数の人影が樹海周辺を取り囲んでいた。


(いよいよ……か)


 巧みに建物の陰へ隠れ、樹海の様子を窺いながら圭介は思った。

 今この近辺には、ガード日本支部のメンバーが三百人以上も身を潜め、突撃の機会を待っている。

 これほど大勢で事に当たるなど、圭介も初めての経験だ。


(連携については大丈夫だろう)


 全員がしっかりと訓練を積んでいる。

 新人も例外ではない。

 少なくとも、味方の足を引っ張るような真似はしないだろう。


(一番の問題は……茜だ)


 圭介は静かに両目を動かし、右側へ視線を向けた。

 数メートル離れた位置に、物陰へ隠れた茜の姿がある。

 恐ろしく巧みに身を潜めており、呼吸音も極めて小さい。

 完璧な隠密行動技術である。

 今、圭介が心配しているのは別のこと。


(もしかしたらとは思っていたが……まさか本当に茜が討伐隊のメンバーに組み込まれるとはな)


 圭介がそれを知らされたのは、基地への帰還直後だ。

 さすがに耳を疑ったが、すぐに彼は納得した。

 茜の性格上、こんな状況で自分だけ安全な場所に待機するなどできないだろうからだ。


(片腕だけで戦えるのか……?)


 今の茜は、大怪我によって左腕がほとんど動かない。

 右手だけで次々と武器を投げなければならないわけだが、本当に大丈夫なのか。

 彼女の実力は信じているが、それでも不安は残る。


(前線へ出たりせず後衛で援護に徹しますと言ってはいたが……な)


 茜は冷静に見えて、意外と無茶をする。

 目を離さない方が良いだろう。


(茜の近くで魔獣達と戦うとするか)


 そう思いながら、今度は左側を見る圭介。

 ほとんど離れていない位置に、雪彦がいる。

 圭介の視線に気づくと、彼は一瞬だけ茜の方を見てから頷き、了承の意を示した。

 こちらの言いたいことを、分かってくれたようだ。


(俺達二人で、茜が無茶しないよう見張ろう)


 元々圭介、茜、雪彦の三人でチームを組んでいるのだ。

 仲間をフォローしながら戦うなど、造作もないこと。

 

(しかも今回は教官達も討伐隊に加わっているんだ。茜が援護に徹していれば、彼女に危険が及ぶ可能性は低いはず)


 そうなのである。

 教官は例外なく、過去に驚異的な実力で活躍した者ばかりだ。

 大半が現役を引退し、一線を退いた身ではあるが、今でも十二分に強い。

 少なくとも、ドルやレツ以上ということは確実。


(ほぼ半数の教官が樹海の魔獣討伐隊に組み込まれた……できれば南雲教官にも来てほしかったんだが)


 恭司は基地防衛の方を任され、今この場にはいない。

 少し残念だが仕方ないことだ。

 樹海の魔獣を一掃できても、別働部隊に基地を制圧されたりすれば苦労が水の泡。

 防衛にも強豪を回さなければならない事情は察せるので、圭介もあまり文句を言う気はない。


(仕方ないか……それよりもうすぐ突撃の時間だから、気持ちを切り替えないとな)


 腕時計を確認しながら圭介は心の中で呟いた。

 約五分後に、自分達ガードのメンバーにしか分からない形で合図が出される。

 そして全方向から一斉に奇襲を仕掛けるのだ。

 危険だが、じっくり作戦を練る余裕はなかった。

 原因は、樹海からそれほど遠くない位置に町が存在しているためだ。

 魔獣達が外へ出る前に、何としてでも決着をつけねばならない。


(……)


 圭介は右手で静かに拳を作り、合図を待った。

 やがて、五分が経過。


(突撃だ!)


 合図を目撃するや否や、力強く路面を蹴って駆け出す圭介。

 茜や雪彦も含め、視界内のメンバーもほぼ同時に動いた。

 それを圭介は横目で確認しつつ、常人には捉えられない速さで樹海へ向かう。

 まだ薄暗い早朝だからか、住民の姿は見えない。

 無人の道路を超高速で駆け、他のメンバーと共に樹海へ飛び込んだ瞬間。


「散れ!」


 雪彦の叫びに対し、その場の全員が素早く反応した。

 一瞬で大きく跳躍して八方へ散開するメンバー達。

 直後に、上空から何かが猛烈な勢いで落下してきた。

 響き渡る轟音と共に地面が砕け、土砂が飛び散っていく。


「ちっ……かわしたか……!」


 地面にできた穴から這い出して忌々しそうに言ったのは、額に三角形の紋章が刻まれた魔獣だ。

 おそらく樹木の上にいたのだろう。

 そこから落下して奇襲を仕掛けたということらしい。


「だが良い気になるな……生きてここから出ることなどできんぞ」


 その言葉が合図だったかの如く、木陰から魔獣達が次々と姿を見せた。

 いずれも筋肉質で大柄だ。


「死ね!」


 次の瞬間。

 三角形の紋章を持つ魔獣が、最も近い位置に立っている圭介めがけ、右前足を突き出した。

 恐ろしく速い。

 並の魔獣の攻撃を遥かに超える勢いで、鋭い爪が正確に喉へ向かってくる。

 圭介は反射的に上半身を横へ傾かせ、回避。

 十分の一秒も間を置かず、今度は左前足が斜め下から迫ってきた。

 突きよりもさらに速く、回避できそうにない。


「くっ……!」


 咄嗟に圭介は左前足の裏を右拳で力強く殴り、反動を利用して後方へ跳躍。

 魔獣の間合いから逃れると、着地しながら構え直した。


(並の強さじゃないな……!)


 さすがにドルやレツほどではないが、それでも決して楽な相手ではない。

 油断すれば即座に殺されると思っていると、八方から立て続けに雄叫びや打撃音が聞こえてくることに気づいた。

 樹海全体で戦闘が始まったらしく、周囲のメンバー達も魔獣の群れと争っている。

 視界の端には、茜が投擲を繰り返す姿が映った。

 それを圭介が確認すると同時に、三角形の紋章を持つ魔獣とは違う個体が、驚異的な速さで側面から迫ってきた。


「!」


 他にも相手が大勢いることを、忘れていたわけではない。

 猛然と襲いかかってくる魔獣に対し、圭介は冷静に左拳を打ち込もうとする。

 だがその必要はなかった。

 風切り音と共に神速で飛来してきた小型刃物が、魔獣の額に深く刺さったからだ。

 間違いなく致命傷。

 魔獣は呻きながら地面へ落ちると、そのまま息絶えて全身が溶解した。


(茜!)


 誰の仕業なのか、考えるまでもない。

 視界の端に映る彼女に、左手で感謝の意を示す圭介。

 すると茜は、気にしないでくださいと言うように笑顔で返した。


(結局……無用の心配をしていたってことか)


 自分の危惧とは裏腹に、茜は無茶などしていない。

 しっかりと後方からの援護に徹しているではないか。

 おまけにたった今、彼女に助けられた。


(何が無茶しないように見張るだ……俺は無自覚に、茜を過小評価してしまっていたのか……!)


 これは大いに反省するべき点だ。

 自戒するように心の中で呟くと、圭介は改めて構え直した。

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