第35話 勝気なカノジョと優しい許嫁と結婚した


 しばらくすると、母さんが買い物から帰ってきた。

「あら、樹里ちゃんになったの?」

 樹里の顔になっているアンナさんを見ても母さんは驚かない。

「うん。おばさん」

 樹里が頷く。


「母さんは樹里が許婚だって気がついていたの?」

 母さんはきっと樹里が僕の許嫁だと前から気づいていたんだ。

「最初に会った時から気づいてたわ」

「嘘? どうして分かったの?」

 僕はびっくりした。

「だって、樹里ちゃんの苗字『石野』でしょう? 『石野』は私の実家の苗字よ」

「そうだったっけ」

 母さんの旧姓を聞こう聞こうと思って忘れていた。

「そうよ。それになんとなく私の一族の雰囲気があるし、英語が喋れるからたぶんそうだろうなと思ったのよ」

「どうして教えてくれなかったの?」

「間違ってたら嫌だったし、隆司がいつ気付くかなと思って見てたんだけど、全然気付かないから笑ちゃったわ。それより樹里ちゃんにプロポーズしたの? 結婚したいんでしょう?」

 母親なのに、よく息子を笑えるな。


「まだしてもらってないわ」

 樹里が期待のこもったような目で僕の顔を見る。

 母さんの前でするのか?

「樹里、結婚してください」

 僕は思い切って樹里にプロポーズした。


「いやよ」

 即座に断られた。

「えっ」

 まさか断られるとは思っていなかったので、目の前が真っ暗になる。

「隆司、どうやってプロポーズをして欲しいか前に言ったわよね。忘れたの?」

 樹里が僕をジーっと見つめる。

 あれ本気だったのか。母さんの前だけど、仕方ない。


 僕は樹里に近づき、抱きしめて唇にキスをする。

「結婚してください」

「しょうがないわね。してあげる」

 樹里が僕の唇に唇を押し付ける。


「よかったわね。隆司」

 母さんがホッとした顔をする。

「隆司。わたしのこと愛してる」

 樹里が聞いてくる。

 愛していなかったら、プロポーズしないけど。

「愛してるよ」

「わたしと離れたくないわよね」

「もちろん」

 なんか嫌な感じだ。

 初めて樹里と話したときの会話の流れに似ている。


「隆司に大学院に行きたいって言ったわよね。行ってもいいわよね」

 言ったのはアンナさんだけど。

「うん。いいよ」

 別に反対しないから、威かすような言い方やめてくれる。


「じゃあ、一緒にアメリカで暮らそう」

 樹里が嬉しそうに言う。

「ええー!! 嫌だよ。英語喋れないし」

 なんでそうなるの。住んだことも行ったこともないアメリカに住むなんて無理だ。

「英語はわたしがビシバシ教えてあげるわ。わたしと離れたくないって言ったのは嘘なの?」

 樹里の目が異様な光を放つ。

「嘘じゃないけど……でも、大学があるし……」

「大学はアメリカにもあるわ」

 大学を変われってこと?

「それはそうだけど」

 樹里が日本の大学院に行くっていう選択肢もあるだろう。


「分かった。浮気する気ね」

 樹里の顔が険しくなる。

「なんでそうなるの。僕はモテないよ」

 樹里と付き合うまで女子と付き合ったことはない。

「そんなことないわ。隆司みたいな人が好きだっていう変わった趣味の人がいるもの」

 僕を好きになるのは変わった趣味の人なんだ。

「好きなのは樹里だけだよ」

 もともと女子は得意じゃない。


「そうかしら? ホテルでアンナになったわたしのうなじをイヤラしい目でずっと見ていたでしょう?」

 うわぁ、気づかれてた。

「別にイヤラしい目では見てないけど……」

「見てたわよね」

 樹里が詰め寄ってくる。

「見てました」

「アンナのことタイプだって言ってたし、やっぱり信用できない」

 たしかに言った。


「でも、父さんや母さんのことも心配だし。僕は一人っ子だし」

 頼りないかもしれないが、いざとなれば何かできる。

「私たちのことを心配することないわ。それに子どもは隆司だけじゃないし」

 母さんの言葉にびっくりした。

「隠し子でもいるの?」

「ここにいるの」

 母さんはお腹を撫でた。


「まさか……」

「赤ちゃんができたの。来年の4月に生まれる予定なの。だから大丈夫よ。私たちのことは心配しなくていいから、樹里ちゃんと一緒に行きなさい」

 母さんが頑張ろうとか父さんに言ってたけど、本当に頑張ったんだ。

「隆司、わたしを一人でアメリカに行かせて平気なの? 隆司は寂しくないの?」

 樹里が寂しそうな顔をする。こんな顔の樹里を見たことがない。

 胸が締め付けられる。

「寂しい」

 思わず言ってしまった。


「一緒にアメリカに行ってくれるわよね」

 訴えかけるような目で樹里が僕を見る。

 そんな目をしてもダメだよ。

 どうせ、またお得意の演技だろ。

「うん」

 僕は頷いていた。

 やっぱり樹里には敵わない。


「決まりね。樹里ちゃんのご両親は隆司との結婚を了承しているの?」

 母さんが聞く。

「うん。もちろんよ。同意書ももらってきたわ」

「隆司。樹里ちゃんに逃げられないように明日さっそく婚姻届を出してきなさい。結婚式や披露宴は樹里ちゃんのご両親と相談してまた後で決めることにするから」

 僕は樹里に逃げられそうに見えるんだ。

「分かった」

 僕は頷いた。


 夜は僕と樹里の結婚祝いパーティーになった。

 母さんが赤飯を炊いてくれ、得意の鳥の唐揚げ、サラダを作ってくれ、母さんからのメールで僕と樹里のことを知った父さんがケーキを買ってきてくれた。

 父さんに樹里と結婚したいと言うと、すぐに許してくれた。結婚したら樹里と一緒にアメリカに住むことになる話もした。

「これからは日本も国際化していくから英語は絶対に必要だ。いい機会だ。行って来なさい」

 父さんもなんの反対もしない。


 4人で話し合って、僕は来年の春にとりあえず語学留学という形でアメリカに行くことになり、樹里は一旦アメリカに帰り、僕と住むところと僕の留学先を探してくれることになった。

「いやあ、樹里ちゃんが娘になってくれて嬉しいよ」

 樹里を気に入っている父さんは喜んだ。

「ありがとう。おじさん……じゃなかった。お義父さん。お義父さんとお義母さんこそおめでとう。赤ちゃんができたんだって」

「ありがとう。この歳になって恥ずかしいんだけど」

 父さんが照れている。


「大したものはないけれどいっぱい食べてね」

 母さんが樹里に言う。

「うん。いただきます。やっぱりお義母さんの料理は美味しい」

 樹里が美味しそうに食べる。

「今日は泊まっていくんでしょう?」

 母さんが聞くと、樹里は頷いた。

「今日は泊まるところないから、泊めて」

 樹里がニッコリする。


「じゃあ、隆司、久しぶりに一緒に寝るか」

 父さんが僕を見た。

「そうだね」

 父さんと一緒に寝るのは小学校の低学年以来だ。

「何言っているの、父さん。隆司と樹里ちゃんはもう結婚するんだから、一緒の部屋に寝てもらえばいいのよ。いいでしょう。樹里ちゃん?」

 母さんが樹里の顔を見る。

「わたしはいいわよ。隆司がHなことさえしなければ」

 樹里があの意地の悪い笑みを浮かべる。

「し、しないよ。するわけないだろう」

 僕は顔が火照ってきた。


「樹里ちゃんって、見かけによらず純情なのよね。大晦日のときに遅かれ早かれ結婚するんだから、泊まっていけばって言ったのに遠慮するんだもん」

 母さんが笑った。

 あの英語はそういう意味だったのか。

「あのね、お義母さん……」

 樹里が母さんを睨んだ。

「まっ、とにかく今日は泊まってらっしゃい」

 母さんがニンマリ笑う。


 ご飯も食べ終わり、お風呂に入って、樹里が僕の部屋に寝るというので慌てて掃除をした。

 母さんが「樹里ちゃんはベッドの方がいいでしょう」と言って、僕の布団とマットレスを取って、新しいマットレスと布団を敷き、ベッドの下に僕用の布団を敷いてくれていた。


 メイクをすっかり落とし、アンナさんの顔になった樹里が入ってきた。

「隆司さん、失礼します」

 囁くような声がする。

 メイクを落とした樹里はアンナさんに戻っていた。

「もう寝てください。疲れたでしょう。僕がいて寝られないんなら廊下で寝ますから」

 僕が一緒にいてはゆっくり寝られないだろう。


「大丈夫です。ただ、メイクをして樹里をずっとするのは疲れるので、メイクはしなくていいですか? これからは、昼は樹里で、夜はアンナでもいいですか?」

 やっぱり、役をやり続けるっていうのは疲れるんだろうな。

「無理しなくていいです。僕はアンナさんも好きです。ずっとアンナさんのままでいてもらっていいですから」

アンナさんのようなお淑やかで大人しいタイプの女の子がもともと好きなのは本当だ。

「ごめんなさい」

 アンナさんが謝る。本当にアンナさんは慎み深い。樹里とは正反対だ。とても同一人物だとは思えない。

「謝ることないですよ。僕は何もしませんから、今晩はゆっくり寝てください」

 僕はその気もない女の子に変なことをする気は無い。

 アンナさんはアメリカでずっと暮らしていたのだから、母さんの言う通りベッドの方がいいだろうと思って、ベッドの方を勧める。


「隆司さん。そんなこと言わないでください。アンナはもう隆司さんの妻です。隆司さんのしたいようにしてください。それとも、やっぱり樹里にならないとイヤですか? 髪を染めて、メイクをしてきましょうか?」

 アンナさんの目に涙が浮かんでいる。

「そんなことないです。僕はアンナさんのことも好きです。愛してます」

 僕はアンナさんに言った。

「アンナと呼んでください。樹里にしたように私も抱きしめてください」

「アンナ、好きだよ」

 僕は言われたとおりにアンナを抱きしめ、唇にキスをしてしまう。


「隆司さんの好きなようにしてください」

 唇を離すとアンナは目を潤ませ、囁くように言う。

 あまりの可愛さに僕はゆっくりアンナをベッドに寝かせた。

「初めてなんです。優しくしてください」

 アンナがすごく愛しい。

 僕は自分が男だということを自覚した。

 その夜、紀夫がくれたDVDを見て勉強したことを実践した。


 翌日、僕はバイト先に事情を話して休ませてもらい、黒髪のままだが以前のように髪の毛を編んで胸の前に垂らし、ギャルメイクをした樹里と一緒に母さんに車を乗せてもらって、市役所に婚姻届を出しに行った。

 母さんはそのあと、産婦人科に行くと言うので、僕と樹里は家まで送ってもらった。


 家に入ると、樹里は僕を軽蔑したような目で見た。

「隆司のスケベ」

「いきなりなんだよ」

 昨夜のことを言っているのかな?

「真面目な顔してあんないやらしいものを見てたんだ。変態」

「……」

 一瞬、樹里が何を言っているか分からなかった。


「あんな物を見て、毎日、Hなことを考えてたんだ」

 ひょっとして……。

「机の引き出しの中を勝手に見たの?」

 紀夫からもらったDVDは机の引き出しに入れている。

「違うわよ。早く目が覚めて、暇だったから、何か読む本がないかなあと思って、本棚を見ていたら、本と本の間になんか挟まってるのが見えたのよ。なんだろうと思って見たら、いやらしい写真がいっぱい貼ったパッケージか挟まってたわよ」

 しまった!! 樹里が突然泊まっていくって言うから机の上に置いてたのを慌てて本棚に隠したのを忘れていた。

「そ、そんなのあったかな?」

 ここはしらを切り通そう。

「そう。これだけど知らないの?」

 樹里が持っていたカバンから女の人が裸でエプロンを着けている姿が大写しになったDVDのケースを出した。

「これ、本当に知らないの?」

 意地の悪い微笑みを浮かべて僕の目の前で振る。

「……」

 わざわざ持ってきたのか。


「こんなの見て興奮してアンナを抱いたの? 変態。わたしのことを好きだって言ったくせに。アンナなんかを抱いて!! このドスケベ」

 樹里の目が怒っていた。

 ひょっとして樹里はアンナに嫉妬しているのかな? アンナと樹里は同じじゃないの?

「樹里、アンナに嫉妬しているの?」

 樹里が大きく目を見開いた。

「嫉妬なんかするわけないでしょ!! わたしのことを『好きだ。愛している』とか言ってよくアンナとあんなことができるわねって言ってるのよ。この浮気者」

 樹里が目を逸らした。

 明らかに嫉妬している。

 ずいぶん前にテレビで俳優が自分の演じている役に嫉妬することもあると言っていたのを思い出した。


「愛しているよ、樹里。僕が樹里のことをどんなに愛しているか樹里も知っているだろう」

 樹里の手を引っ張った。

“You’re pervert , horny. You’re cheater ”

 樹里が英語で叫び出した。

 意味は全然分からないけど相当頭にきていることは分かる。

 樹里は手を振り放そうとするが、僕は負けずに引っ張って、階段を上がっていく。

「僕が樹里のことをどんなに愛しているか教えてあげるよ」

 僕の部屋に樹里を引っ張り込んだ。


「やめて。アンナとあんなことしといて」

 樹里はなおも抵抗する。

 でも、本気でないことは僕には分かった。本気なら体格が勝る樹里に勝てるわけがない。

「いい加減に……」

 僕は樹里の唇を唇で塞いで、ベッドに押し倒す。

「……う、うっ……」

 樹里が唇を離そうともがくが、僕は離さない。

 樹里はしばらくすると大人しくなる。

「樹里、愛してる」

 僕は唇を離した。

「バカ、変態……わたしにこんなことして浮気したら殺すからね……優しくしなさいよ」

 樹里は真っ赤に火照った顔を横に向ける。

 僕は樹里とアンナという二人の妻を持てて夢みたいだ。

 樹里、アンナ愛している!!

 僕は最高に幸せだ!!



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僕と勝気なカノジョと顔も知らない許嫁 青山 忠義 @josef

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