第8話 勝気なカノジョが弁当を作ってくれた
僕はまた悪夢を見た。
石野さんが出てきて、ダイアモンドや高級車を僕にさんざん貢がせたあげく冷たい目で見つめて、
「隆司といてもつまらないから、今日からこの人と付き合うわ。バイバイ」
と、手を振って背の高いイケメンと腕を組んで歩き去っていく。
僕は呆然と2人の背中を眺めて佇んでいた。
そこで目が覚めた。
今のは正夢か。僕は自分の将来を見たのだろうか。
このところまったくついてない。
下手に石野さんには深入りせず、サッサっと別れられる方法を考えよう。
いつものように朝の勉強を済ませて、ダイニングに下りていく。
「昨日から顔色が悪いけど、どうしたの大丈夫? 学校で何かあったの?」
昨日からずっと沈んだ気分の僕を見て母さんが心配そうに聞いてくる。
「本当だな。大丈夫か? 入試が近いから勉強のし過ぎじゃないのか」
父さんも心配そうに僕を見ている。
それは買い被りだ。僕は具合が悪くなるまで勉強したりしない。
「なんでもないよ。ちょっと嫌な夢を見ただけだから」
「そう。それならいいんだけど」
母さんはまだ心配そうに僕を見ている。
こんなことぐらいで親に心配を掛けてはいけないと反省しなから、なるべく明るく父さんや母さんと会話をして、朝食を食べた。
「行ってきます」
出来るだけ元気なふりをして家を出て行く。
僕が教室に入ると痛いような視線が一斉に突き刺さってくる。
なんで僕がこんな目にあうんだ。
「みんなの目が怖い」
席に座ると、僕はボソッと呟いた。
「石野にカレシを取られた奴がこのクラスにもいるからな」
紀夫が肩を竦めた。
まあ当分はこの状態が続くということか。
仕方ない。
午前中の授業が終わり昼休みになったので、食堂に行こうかと思い立ち上がると、教室にいるクラスメイトの視線が後ろのドアに釘付けになっていた。
紀夫もみんなと同じ方向を見ている。
「どうした」
紀夫に聞くと、紀夫が無言で後ろのドアを顎で指した。
指された方向を見ると、石野さんが小さなカバンを持って、こちらに向かって歩いてくる。
「お弁当作ってきたから一緒に食べよう、隆司の分も作ってきたから」
石野さんが僕に向かって微笑んだ。
まさか石野さんがお弁当を作ってきてくれるとは思ってもいなかった。
僕はどうしていいか分からない。固まったまま動けない。
「何してるのよ。早くしなさいよ。行くわよ」
石野さんは僕の手を取ると、引っ張って歩き出す。
クラスメイトたちが驚きの目で見ている。
僕は引っ張られるがままに歩いていった。
「早く行かないと取られちゃうわ。サッサっと歩きなさいよ」
石野さんはすごい勢いで引っ張っていく。
「どこ行くの?」
「いいから」
僕は必死になって足を動かした。
石野さんはテニスコートの方へ僕を連れていく。
テニスコートの金網の外にはいくつかベンチがあり、昼休みにはカップルがそこで昼ごはんを食べている。
カノジョがいなかった僕は昼休みにここへは来たことがないので噂でしか知らなかった。
実際、来てみると、まだ昼休みが始まったばかりだというのにベンチはほとんどカップルで埋まっていて一つしか空いていない。
僕をその空いていたベンチに座らせると、石野さんはベンチの前に立ったままなかなか座らない。
なぜ座らないのかなとじっと石野さんを見た。
「何してるの? 普通女性がベンチに座ろうとしてたら直接座らすようなことはしないでしょう。ハンカチぐらい敷いてくれたらどうなの」
あっ、そうか。テレビやドラマでそういうことしていたのを見たことがある。
僕は慌ててハンカチを出して、敷くと、石野さんはその上に悠然と座った。
これからは、普通のハンカチとは別にもう少し大き目のハンカチを持ってこよう。
「はい。これ、隆司のお弁当」
石野さんが可愛い花柄のついたお弁当箱を差し出す。
「ありがとう」
僕は受け取ると、お弁当箱を開いた。
中はチキンライスとハンバーグ、スクランブルエッグ、きゅうりやレタス、トマトが入ったサラダ、リンゴなどが彩りも考えて綺麗に盛り付けられている。
僕はさっそく食べようと思ったが、弁当箱と箸を持ったままじっと考えた。
昨日、石野さんは嫌がらせで付き合うと言った。
ひょっとして一見美味しそうに見えるが、実はすごく辛かったり、とてつもなく不味かったりするのではないだろうか。あるいは何か入っているとか。
「何も入れてないわよ」
じっと中を見つめている僕に気づいて、石野さんが言った。
「そう?」
僕は疑心暗鬼の目で見る。
「そんな分かりにくい嫌がらせはしないわ。大丈夫よ」
石野さんはパクパク食べ始めた。
「いただきます」
僕もつられて食べてみる。
「美味しい」
母さんの料理も美味しいが石野さんのお弁当も負けないぐらい美味しい。
「そうよかったわ。口に合ったみたいで」
石野さんはニコリともせずに言った。
「全部美味しいんだけど、このチキンライスが特に美味しい。すごいよ」
「当たり前でしょう。わたしが作ったんだから」
す、すごい自信だね。
「石野さんが……」
「石野さん? 今度そう呼んだらグーパンチ」
石野さんが眉間に皺を寄せて睨んでくる。
体が大きいから殴られたら痛そうだ。
「……い、じゃない。じゅ、樹里がこんなに料理が上手なんて知らなかった。誰に習ったの?」
僕は顔を青ざめながら言った。
「ママよ。ママは料理上手なの」
「そうなんだ。このお弁当もお母さんと一緒に作ったの?」
この美味しさは樹里が一人で作ったとはとても思えなかった。
「違うわよ。私が一人で作ったって言っているじゃない。今、一人暮らしなんだから」
「へえ、樹里って一人暮らしなんだ」
「そうよ。ちょっとワケがあってね。家族とは別に暮らしているの」
「そうなんだ……だからか」
「何よ。だからって」
「樹里がよく遅刻するんだ。一人暮らしで誰も起こしてくれないからなんだね。でも、遅刻はよくないよ」
僕が初めて遅刻した時、生活指導の先生が『石野。またお前か』と言っていたからよほど遅刻が多いんだと思っていた。
「それもあるけど、私、低血圧なの。だから、朝はなかなか起きれないの」
「低血圧?」
僕は樹里が低血圧とはとても思えなかった。
「その顔は何よ。信じられないっていう顔ね。何も低血圧になるのはか弱いお嬢様だけじゃあないわよ」
樹里は不満そうな顔をすると、急にニヤッと笑った。
何かよくないことを考えついた人がする顔だ。
嫌な予感がする。
「朝、起きるのは早いの?」
「うん。5時には起きてるよ」
「5時? そんなに早く起きて何してるの?」
「勉強だよ」
僕はどうやら朝型らしく朝の方が勉強していてもよく頭に入る。だから、僕は朝早く起きて勉強することにしている。
「だったら6時に私に電話して。私が出るまで鳴らし続けてね」
「えー、どうして? 目覚ましかけていたら大丈夫じゃないの?」
僕は樹里の目覚ましじゃない。
「目覚ましで起きられたら、遅刻なんかしないわよ。カレシのモーニングコールで起こされたら、起きれるんじゃないかと思って。それぐらいいいでしょう。電話するぐらい、そんなに時間はかからないでしょう。カノジョがこんなに頼んでるんだから」
本当のカレシならそうだろけど、嫌がらせのために付き合わされているカレシのモーニングコールでも起きれるのかな?
それともこれも嫌がらせの一つか。
「分かった」
あんまり樹里がしつこく言うので、僕は仕方なく頷いた。電話するぐらいそんなに手間ではない。
「それから朝迎えに来て。そうしたら、絶対に遅刻しないと思うから。遅刻は悪いことなんでしょう。カノジョが悪いことをしないようにするのもカレシの役目だよね」
樹里は理不尽なことを言う。迎えに行って待たされたりしたら、僕まで遅刻してしまうかもしれない。これまでより早く家を出ないといけなくなる。
これはすごい嫌がらせだ。
「樹里の家って、チイちゃんと同じマンションだよね。あの時、僕に声をかけてきたのは樹里だよね」
「そうよ。部屋番号は帰りに教えるわ。今日のお弁当はモーニングコールと迎えにきてくれるお礼の前払いということで、これからも作ってあげるから」
樹里がニヤッとした。
僕はお弁当を全部食べてしまっていた。前払いを全部食べてしまったんだから今さら断れないだろう。
「樹里の家はお金持ちなんだね」
「なんで」
樹里が目を細める。
「あのマンションは家賃がすごい高いって母さんが言ってたんだ」
「パパが無理して借りたの。娘のことが心配で無理しているだけよ」
無理しても出すことができるんだからやっぱり金持ちだろう。
「それよりちゃんと明日から迎えに来てよ」
「うん。分かったよ」
このお弁当は高くついたなあと思いながら教室に戻ると、何か雰囲気が今までとは違う感じがする。
「お前、石野の弱みでも握っているのか?」
紀夫が変なことを言う。
「握ってないよ」
「石野は今までいろんな男と噂があったが、1度たりとも男に弁当を作ってきたことはない」
「たまたまじゃないの」
樹里は気まぐれだから付き合っていた時、たまたま弁当を作りたくなかったとか。
「違う。俺はいろいろな奴から聞いているが、石野に奢らされたという奴はいるが、石野に何かしてもらったという奴は聞いたことがない」
紀夫はじっと僕の顔を見る。
「なんだよ」
「石野は本気なのかも」
「お前、冗談はやめろ。樹里は嫌がらせで付き合うってはっきり言ったんだからな」
そう。あくまでも僕に対する嫌がらせ。それが証拠に家まで迎えに来いとまで言われた。
「隆司。いま、石野を名前で呼んだか?」
「うん。名字で呼んだらグーパンチって言われたからな」
紀夫の目がまん丸になる。
「よかったかどうかは分からんが、お前にもやっと春が来たな。俺だけがカノジョが出来て、ちょっと気が引けてたんだが……」
紀夫は一人で何度も納得したように頷いていた。
変な奴だ。
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