第7話 勝気なカノジョにいきなり怒られた
僕は気持ちを落ち着けようと教室へ戻る前にお手洗いに行った。
鏡に映る顔は真っ赤になっている。
しかし、どうしてあんなことになったんだろう。
僕にはいまだによく分からない。
石野さんにうまく言いくるめられたような気がする。
今でも石野さんの理屈がどこがおかしいのかが分からない。
絶対おかしいんだが。
それにしても困ったことになった。
女の子と付き合ったことなど一度もない僕はこれからどうすればいいのかよく分からない。
まあ、石野さんが図書委員の仕事をちゃんとしてくれればいいわけで、何も真剣に付き合うわけじゃないんだから別にいいか。
石野さんにしても単なる気まぐれで付き合う気になっただけだからすぐに僕のことに飽きるだろう。
ただ、石野さんと付き合うことについて、何か重大な問題があったような気がするのだが、それが何だったかまったく思い出せない。
まあなんとかなるさと思いながら教室に戻ると、教室の中の空気が何か変だ。
気のせいかもしれないがみんなの僕を見る目が冷たいような。
特に女子の目が。
紀夫が僕の方を心配そうに見た。
「お前、石野に告ったのか?」
もう知っているのか。
そういえば、噂話がおばさんたちの間でどれぐらいのスピードで広まるか調べる小学生たちのことを書いた小説を読んだことがあるが、たしか、音速に近い速さだったような記憶がある。
高校生もそのスピードは負けていないようだ。
「成り行きでそうなった」
正確には『告らされた』だが。
「土下座までして頼んだってな。お前が石野のことをそんなに好きだったとは知らなかった」
紀夫が意外そうな顔をする。
土下座?
なんでそんな話になっているんだ。
「そんなことするわけないだろう。それに石野さんのことは好きじゃないよ。石野さんのことをよく知らないし」
噂は伝わるのは早いが、必ずしも正確に伝わるとは限らない。
「じゃあ、どうして石野に告ったりしたんだ?」
紀夫が首を捻る。
「色々事情があるんだよ」
僕自身がどうしてこうなったかよく分からないのに紀夫に説明することはなかなか難しい。
「だけどお前、女子には嫌われるぞ。石野は女子受け悪いからな」
たしかにクラスの女子たちの視線がおかしい。
「澤田君がまさか石野さんと……」
「澤田君もやっぱり顔なのね」
「澤田君がそんな人だとは思わなかったわ」
女子のヒソヒソ声が聞こえてくる。
『そんな人』って。
ほとんど女子と話をしたことがないんだけど、僕のことを一体どう思っていたというんだろうか。そっちの方が気になる。
女子の声に混じって男子の声も聞こえてくる。
「澤田が石野と……全然釣り合わないじゃないか」
言われなくても分かっているよ。
「でも、澤田は免疫がないから石野に潰されるぞ。ぐちゃぐちゃにされて捨てられるぞ」
そんなこと言わないでくれよ。泣きそうになる。
「でも、なんで澤田なんだ。もう石野はなんでもいいのか」
悪かったな僕で。
「いや、石野にとっては澤田は物珍しかったんじゃないか? きっとすぐに飽きるよ」
僕は珍獣か。
「澤田、可哀想だな」
みんな口々に勝手なことを言っている。
「ハアー」
僕は溜息をついた。
「しかし、冗談抜きで石野は大変みたいだぞ。陸上部の俺の友達の知り合いがカノジョと別れて、石野と付き合ったら、奢らされて、振られたって言ってたぜ。考え直せ。今ならまだ間に合う」
紀夫が駄目押しのような忠告をしてくる。
「忠告ありがとう。よく考えるよ」
僕は力なく笑った。
午後からは女子たちの痛いほどの刺す視線を受けて、居心地悪く過ごした。
やっと放課後になり、この状況から解放されるかと思うとホッとする。
あの遅刻以来まったくついてない。
「大変だな。俺はあまり力になれないと思うが、まあ頑張れよ」
紀夫はなんとも暖かい励ましの言葉を言ってクラブへと行った。
僕は紀夫を見送って、女子たちの冷ややかな視線を浴びながら教室を出て、図書室に向かった。
これだけの目にあっているのに、もし、石野さんが当番にきていなかったら、ショックで死んでしまうかもしれない。
もし、そうなったら、化けて出てやる。
祈るような思いで図書室を覗くと、石野さんはちゃんといた。
あの1年生に教わりながら当番をやっている。
ちゃんときてくれたんだと思うと胸を撫で下ろした。なんとか役目は果たせた。
いい加減そうに見えるが、約束はちゃんと守るみたいだ。
しばらく見ていたが、何も問題がなさそうなので、石野さんには声をかけずにそのまま帰った。
家に帰り、夕食を食べ、風呂も入ってそろそろ寝ようかと思って、スマホを見ると10件近くの不在通知が入っている。
見覚えがないそれも全部同じ電話番号だ。
誰だろう?
イタズラ電話か? それとも今流行りの詐欺かなんかの電話か。
僕は家の中ではスマホを自分の部屋の中に置きっ放しにしているので、電話がかかってきてもまったく気がつかなかった。
犯罪に巻き込まれてはいけないので、基本的には知らない番号にはかけ直さないようにしている。今度もかけ直す気はない。
さらにメールも来ていたので、メールを開くと石野さんからだった。
メールには石野さんのメールアドレスと電話番号が書いてある。
その番号と不在通知の番号とを見比べると同じ番号だ。
電話は石野さんからだった。
何か用があるのだろうか? 当番で何かあったのだろうか? あの1年生と喧嘩でもして、もう当番をしないとか言うんじゃないだろうな。
不安な思いで石野さんに電話した。
「もしもし」
石野さんの低い声がした。
「電話もらったみたいだけど……」
こわごわ聞いてみる。
「メール届いた?」
「うん。届いている」
「あのさあ、届いたら届いたって電話をくれるか、メールを送ってくれるのが当たり前じゃないの」
途端に不機嫌な声になった。
「ごめん。スマホを部屋に置いていたから、気づかなかったんだ」
僕は言い訳した。
「連絡がないから、隆司が書き間違えて、違う人にメールを送ったり、電話をかけたりしたんじゃないかと思って心配になったじゃない」
自分が送り間違えたり、かけ間違えたりしたという可能性は考えないわけね。
それに隆司って名前呼び捨て? そんなに親しかったっけ。
それにどうして僕の名前を知ってるんだ。
「ごめん」
たしかに電話をしなかったのは僕が悪いから謝るしかない。
「それから、どうして今日、先に帰るの? 私は隆司のカノジョだよね? 普通はカノジョが当番終わるまで待って一緒に帰ろうとか思うでしょう?」
そうか。そんなこと考えもしなかった。
そういえば紀夫も引退しているのにカノジョと一緒に帰るためにクラブに顔を出しているな。
「ごめん。女の子と付き合ったことがなかったから、そういうこと分からなかったんだ。本当にごめん」
ハアーと溜息が聞こえた。
「付き合ったことがなくてもそれぐらいちょっと考えれば分かるでしょ。私、ずっと隆司が来るのを待ってたんだよ」
石野さんが僕を待っていたことにびっくりした。
「ごめん。石野さんが嫌がらせで付き合うって言ってたから。そこまで深く考えてなかった。僕は最低だよね」
ハッと石野さんが息を呑む音がした。
「嫌がらせだろうが、なんだろうが、カノジョであることには間違いないんでしょう」
「そうだね」
それはそうだ。
「明日からは一緒に帰るからね」
付き合っているんだから一緒に帰るのは当たり前だよね。
「うん。分かったよ。ごめんね。石野さん」
石野さんが僕に飽きるまでの辛抱だ。ここはとにかく謝っておくに限る。
「それから、石野さんはやめて。付き合ってるんだから樹里でいいよ」
名前を呼び捨てなんて殴られそうで怖い。
「ええーっ、でも……」
「いいから、呼んで。隆司」
「じゅ、樹里……さん」
「『さん』はいらない。もう一回言って」
なんか厳しい。これは嫌がらせの一環かな。
「樹里」
「それでいいわ。隆司はお昼はどうしてるの?」
「食堂で食べてるよ」
入学の時に、紀夫がうちの高校の食堂はボリュームがあって、味も良くて人気があるから、昼は食堂で食べないかと言われた。
母さんは弁当を作りたそうだったが、父さんが友達づきあいも大切だと言って、母さんを説得してくれた。
「そうなんだ」
なんで、石野さんはそんなことを聞くんだろう。
「じゃあ、おやすみ。隆司」
「おやすみ。樹里」
電話が切れた。
大丈夫かな?
呼び捨てなんかにして明日、殴られないかな。石野さん怖そうだし。
明日が怖い。
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