第19話 勝気なカノジョの兄さんに殴られた
樹里に背中を押されて、玄関に入った。
玄関は広く、シューズクローゼットまである。
玄関から奥に向かって廊下がずっと続いており、正面一番奥に1つ、左右に2つずつのドアが見える。
「ちょっと待ってて」
樹里は靴を脱いで中に入ると、右側にある一番手前のドアを開けて、中に入り、雑巾を持って戻ってきた。
「これで足を拭いてから入って」
樹里は僕に雑巾を渡すと、また同じ扉を開けて中に入っていく。
僕は靴と靴下を脱いで裸足になって足を雑巾で拭いてから中に入った。
しばらく待っていると、樹里が出てきた。
「風邪を引くといけないから先にシャワーを浴びて」
樹里が出てきたばかりのドアを指す。
「いいよ。樹里が先に入ったら?」
もちろん樹里もずぶ濡れになっている。やはり女の子が先だろう。
「私の後に入る気? イヤらしいわね。ぐずぐず言わないで先に入ってきなさい!!」
樹里が鬼のような形相になって怒った。
「ごめん。じゃあ先に入る」
なぜ樹里が怒り出したのか分からないが、あまりの剣幕に恐れて、中に入る。
6畳の僕の部屋の2倍以上もありそうなパウダールームになっていた。
洗面台も大きく、シャワーヘッドがついていて、頭も洗えるようになっている。洗濯機や乾燥機も置いてあり、着替えなどが置けるラックまであった。
僕はスマホや財布が入っているウエストポーチを外し、ラックの上に置いた。
「服や下着なんかはこれに入れて。後で乾燥させとくわ」
樹里も入ってきて、乾燥機を指差す。
「分かった。入れとく」
樹里が出て行くと、服を脱ぎバスルームに入った。
バスルームも大人3人ぐらいは余裕で入れそうな広さだ。
バスラックには真新しいボディータオルやボディーソープ、シャンプー、リンス、トリートメントなどが置いてある。
僕はそれらを使い、シャワーで体と頭を洗った後、ふと排水口を見ると、髪の毛やムダ毛が溜まっていた。
それを見てなぜ樹里が怒ったか想像でき、赤面した。
僕はなんてデリカシイのない人間だろう。自己嫌悪に落ちそうだ。
洗い終えて、バスルームから出たとき、重大なことに気がついた。
僕は着替えを持っていない。
乾燥機に服や下着を入れてしまった。
どうしよう。まさか裸で出ていくわけにはいかない。
乾燥機から服を取り出そうかと思ったが、ふとラックを見ると、バスタオルとガウンが置いてある。
気を利かせて樹里が置いてくれたのだろう。
裸の上にガウンを羽織るのはなんだか恥ずかしいが、この際そんなことは言ってられない。
バスタオルで体を拭いて、ピンク色のガウンを羽織った。
ガウンのサイズは大きく、足がすっかり隠れてしまい、引きずるような感じになるが、フカフカして暖かい。
これは樹里のだろうか?
たぶん、クリーニングをしたものを貸してくれたのだろう。
僕が裸の上に着たものなんか、もう二度と着たくないだろうから買い取るしかないと思った。
高そうに見えるが、いくらぐらいするんだろう。僕の小遣いで払えるかな。足りないときは母さんに借りないといけないが、なんと言って借りよう。
頭がだんだん痛くなってきた。
ウエストポーチを手に持ち、ドアを開けて廊下に出ると、一番奥のドアが開いていた。
入れということだろうか。
入って行くと、30畳はあるリビングダイニングで、左側には革張りのいかにも高そうなソファーとローテーブルがあり、右側には、木製の天板がオシャレなダイニングテーブルとイスがあった。
リビングにはローボードの上に80インチぐらいありそうな大型テレビが置いてある。
樹里の姿はどこにもなかったが、リビングのローテーブルの上に『出てきたら、電話して』というメモが置いてあった。
樹里に電話をする。
「もしもし」
すぐに樹里が出た。
「出たけど」
「今、リビング?」
「うん」
「わたし、今からシャワー浴びるからドアを閉めてテレビでも見ていて」
樹里はおそらく自分の部屋にでもいるのだろう。
「分かった」
「覗いたら殺すからね。それと、他の部屋を見たり、置いてある物に手を触れたら許さないから」
樹里の脅すような声が聞こえてくる。
「覗かない。絶対覗かない。物に手を触れたりしない。誓います」
僕が誓うと、電話が切れた。
僕はすぐに飛んでいって廊下との境のドアを閉めた。
樹里のあの声は本気だ。
すごく座り心地のいいソファーに座って、ローテーブルの上に置いてあるリモコンに手を伸ばして、テレビのスイッチを入れる。
子供のように小さくされた高校生が推理をするアニメ番組をやっていた。僕はアニメはほとんど見ないが、このアニメだけは好きなので、大体毎週見ている。
最初は夢中で見ていたのだが、そのうち走ったり、シャワーを浴びたりしたためかだんだん瞼が重くなってきて、いつのまにか眠っていた。
どれぐらい寝たか分からないが、ドアが閉まるような音で目が覚めた。
何時だろうと思ってスマホを見ると、もう7時を回っている。
ガタガタと廊下の方で音がした。樹里がシャワーを浴びて出てきたのかと思って、ドアを開けると、男が立っていた。
身長は180センチぐらいあるだろうか。僕を見下ろしている。
「お前、誰だ」
男がギロッと僕を睨んだ。足が竦んで動けない。
「えっと……」
この男は誰だ?
「樹里はどこだ?」
男はブラックスーツを着ていて、スポーツ刈りをし、厳つい顔をしている。見た感じはかなりやばい仕事の人に見える。
呼び捨てにするところをみると樹里とはかなり親しいみたいだ。
ひょっとして樹里はこの男の愛人なんだろうか?
「樹里はどこだって聞いてるんだ」
男が妙にドスの効いた声を出す。
「シャワーを浴びています」
思わず本当のことを言ってしまった。
「なにい〜。シャワーだああああ。それにお前のそのカッコはなんだあー」
しまった!!
ガウンを着た僕に、シャワーときたら、誤解してくれって言ってるようなもんだ。
「許さーん」
男の強烈なストレートが顔面に飛んでくる。
僕は逃げることもできず、反射的に右を向いた。すさまじい衝撃が頬に走って、リビングの壁まで吹っ飛んだ。
ガーン。
物凄い音が響く。僕は壁にぶつかり、そのまま崩れ落ちた。
「どうしたの?」
樹里の驚いたような声が聞こえた。ピンクのニットを着て、デニムを履いた樹里がドアのところに立っているのが見えた。
「樹里、こんな奴とお前なにしてるんだ」
男が振り返り、樹里を見る。
「樹里、逃げろ」
僕は叫んだ。男は頭に血が上っている。樹里になにをするか分からない。なんとか樹里を助けようと思って、もがくが体が痛くて動けない。
「お兄ちゃん? 何しているの?」
樹里の言葉に唖然とした。この男が樹里のお兄さん? 樹里とは似ても似つかない厳つい顔をしているが……。
冷静に考えれば、この男はインターホンを鳴らさずに入ってきたということは、合鍵を持っているということだ。
合鍵を持っているのは家族だけだと樹里が言っていった。
突然、男が入ってきたので、パニックになってそのことを忘れていた。
「ちょっと邪魔よ。隆司、大丈夫? お兄ちゃんに殴られたの?」
樹里は自分のお兄さんを突き飛ばして、僕のそばに来ると心配そうに顔を見る。
「お前こそこんな奴と何をしてたんだ。シャワーまで浴びて」
怒りの治らない樹里のお兄さんは眉をひそめて樹里をにらんだ。
「バッカじゃないの。お兄ちゃんが考えているようなことはしていないわよ。隆司と一緒に映画を見に行った帰りに雨に降られて、びしょ濡れになったからシャワーを浴びただけじゃない。なに想像しているの。いやらしい」
樹里は軽蔑したような目で自分のお兄さんを見ている。
「なにがいやらしいだ。大体お前のその格好はなんだ。ストリートガールみたいなメイクをして」
樹里はいつものギャルメイクをしていた。
「顔を見せて」
樹里はお兄さんの言葉を完全に無視して僕のほうを向くと、頬を押さえている手を掴んで、その手を退けた。
「まあ、痣になってるじゃない。なんてことをするの」
樹里が非難するようにお兄さんを見た。
「それにその声は……」
お兄さんが無視されたことに腹を立てているのか大声になっている。
声? 樹里の声がどうかしたのかな? いつも通りのような気がするけど……。
“My brother,My brother……He of No, He of No”
突然、樹里が身体中から殺気を漂わせ、いつもよりさらに低い声で、英語を喋り出し、体ごと自分のお兄さんの方を向いた。
『He of No』ってどう言う意味だ? 僕にはまったく意味が分からない。
“Really?”
お兄さんは驚いたような顔になった。樹里が黙って頷いている。
お兄さんは急に押し黙った。
「大丈夫? 病院に行く?」
樹里が心配そうに僕の方に向き直って、再び顔を見る。
「大丈夫だよ」
殴られたところを何回か軽く押してみたが、骨とかは折れてる感じゃないし、歯も折れていない。
「こんなことして。隆司のお父さんとお母さんに謝りに行かないと」
樹里はお兄さんをにらみつけた。
「すまん。そうだな」
お兄さんは渋々という感じで頷く。
「そんなことしてもらわなくていいですよ」
いきなり樹里とお兄さんが家に押しかけてきたら、父さんも母さんもびっくりしてしまう。
「何言ってんの。こんな顔を見たらびっくりするわよ。どんな言い訳をするつもり。ちゃんと説明しないと、お父さんもお母さんも納得しないわ」
樹里はどこからか手鏡を取ってくると、僕の目の前に突き出した。
「げっ」
自分の顔を見て驚いた。顔が腫れて頬に拳型の青アザがくっきりと付いている。
さすがにこれはマズイ。
「隆司の服はもう乾いていると思うからそれを着て。靴はまだ乾いていないから、ビニール袋に入れて持って。わたしのスリッポンを貸すわ」
僕が着替え終わると、樹里とお兄さんは玄関で待っていた。
「お兄ちゃんが車で来ているから、車で行きましょう。地下に駐車場があるの」
僕はぶかぶかの樹里のスリッポンを履いて樹里たちについて行く。
地下2階が駐車場になっており、高級車が並んでいる。
お兄さんは真っ赤なポルシェに近づくとドアを開けて乗り込んだ。
「隆司は後ろに乗って」
樹里はそう言って、助手席に乗る。僕が乗ってドアを閉めるとポルシェはゆっくりと動き始めた。
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