第15話 勝気なカノジョがいることを父さんと母さんにバレた

 なんとなく暗い気持ちで家に帰ってきた。

 樹里みたいな性格の女子は大嫌いだったはずなのにキスまでしてしまった。

 どうしてだろう?

 付き合うなんて信じられないとあんなに思っていたのに、樹里と一緒にいる時間が楽しくなっているような気がする。


「ただいま」

 僕が沈んだ声で家の中に入ると、思いつめたような顔をして母さんが食卓に座っていた。

「お帰り」

 僕をチラッと見た母さんの目は何か言いたげに見える。


「どうしたの? なんか暗いよ」

「フーッ。お父さんが帰ってきてから、話をするわ」

 母さんが盛大なため息をついた。


 なんの話だろう? 何かあったのかな?

 今まで、あんな深刻な顔をした母さんを見たことがない。

 父さんが帰ってきて、しばらくすると、夕食だと母さんが呼びに来た。


 ダイニングへ行き、椅子に座ると、母さんが口を開いた。

「朝、最近早いけど、どこに行ってるの?」

「学校だよ」

「学校に行く前にどこか寄り道してない? 学校へ行く途中に女性専用マンションがあるわよね。そこに隆司とよく似た高校生が入っていくのを見たって。近所の人が言ってたんだけど……」

 母さんがいつもよりきつめの口調で問い質してきた。


 あのマンションの前の道は通勤や通学に使う人が多い。

 見られる危険性はあったのにそれを全然考えていなかった。

「うん。行ってる」

 もう隠せないと思った。


「どうして、そんな所に行ってるの? まさか誰かをストーカーとかしてるんじゃないんでしょうね? それとも下着を盗んでるとか?」

 母さんの顔が青くなっている。

 なんでそうなるの?


「正直に言いなさい。警察には父さんもついていくから。子のしでかしたことは親にも責任がある。ちゃんと償おう。真面目な人間ほど過ちを犯したりするもんだ」

 父さんが諭すように言う。

 どうしてうちの親はすぐに悪い方に考えるんだろうか。

 僕はよっぽど信頼がないらしい。


「違うよ。友だちがあのマンションにすんでるから、一緒に学校に行っているだけだよ」

「女の子?」

 母さんがまだ納得できないという感じで聞く。

 女性専用マンションに男が住んでいたら、それは問題だろう。


「そうだよ」

「まさかカノジョ?」

「違うよ。単なる友だちだよ」

 一応、口ではカレシと言っているが、樹里が本当に僕のことをそう思っているかは怪しい。勝手に樹里のことをカノジョと親に言うのは気が引ける。

 それに両親、特に母さんには友だちと言っておいたほうが無難だ。

 カノジョとか言ったら、大騒ぎしそうな気がする。


「どうして、母さんに言わなかったの?」

「なんとなく言いそびれて」

 嫌がらせで付き合わされているとは言えない。


「そうか……だが、前にも言ったように隆司には許嫁がいる。不本意かもしれないが」

 父さんがそう言った瞬間、自分が忘れていた重大なことが何だったかが分かった。


「それだ!!」

 僕は叫んだ。

「何よ、急に大声を上げてビックリするじゃない」

「何が『それだ』なんだ?」

 父さんと母さんが不審げに僕を見る。


「その……そのことをすっかり忘れていたなあと思って……」

「だが、隆司がどうしても好きな人ができたなら、それは仕方ないことだと思う。その時は、父さんも母さんも向こうに謝りに行こうと思っている」

「そうよ。正直に言ってね。そうしたら、父さんとアメリカに謝りに行くわ。そのついでに観光もして。父さんと旅行するなんて何年ぶりかしら。父さんと一緒の海外旅行は初めてよ。楽しみだわ」

 すごく母さん嬉しそうなんですけど。僕のことをだしにして、単に父さんと二人で旅行したいだけじゃないの。


「母さんは少し黙っててくれるかな」

 母さんの天然ぶりに父さんの顔も渋くなる。

「隆司、お前は好きなようにしていいんだぞ。ただ、来年の卒業までにカノジョができなかったら、許嫁に会って、その子のことを真剣に考えて欲しい。向こうはきちんと誠意を見せてくれている。こちらも誠意ある態度を見せたいと思っている」

 母さんも頷いている。


「大丈夫。カノジョができたら、できたってちゃんと言うよ」

 ちゃんと樹里に言おう。僕には許嫁がいて、いずれその子と結婚することになるだろう。

 だから、もう付き合いをやめようと言おう。

 きっと樹里は納得してくれると思う。嫌がらせで僕と付き合っているだけなんだから。

 そう心の中で決めた時、なぜかチクチクと胸が痛んだ。



 翌朝、日課となっている樹里へのモーニングコールをする。

「おはよう」

 樹里の気だるそうな声がする。

 面倒臭いと思ったこともあるが、この声を聞くのも今日で最後かと思うとなんとなく寂しくなる。


「おはよう」

「どうしたの? なんか元気がないんじゃない」

 僕はいつものように言ったつもりだが、たった一言でどうして樹里には分かるんだろう。


「そんなことないよ。いつも通りだよ」

「そう。それならいいんだけど」

「いつもどおりに行くよ」

「分かったわ」

 僕は電話を切った。


 僕が迎えに行かなくなったら、樹里はまた、遅刻をしだすんだろうか。

 少し不安になる。でも、樹里のことだから新しいカレシを見つけて、そのカレシに迎えに来させるかもしれない。

 樹里のことは心配しなくてもいいような気がする。


 僕が出かけようと玄関で靴を履いていると、母さんが声をかけてきた。

「お友だちを一度家に連れてきたら。母さんも一度会ってみたいわ。隆司は女の子の友達を連れてきたことないんだもん。ウチは男ばっかりだから、たまには若い女の子と喋ってみたいわ」

 ごめんね。モテない息子で。

「うん。もし、機会があったら言ってみるよ」

 たぶんないだろうけどね。


 僕は樹里のマンションに真っ直ぐ向かった。

 いつものように樹里の部屋番号を押し、樹里が出てくるのを待つ。これも今日で最後だと思うと、何か感慨深いものがある。

 樹里が出てくると、いつものように手を握って歩き出した。


「どうしたの? 顔、暗いよ」

 どうしてだろう。樹里と別れることができるのになぜか気分が沈む。

「そうかな」

 僕は無理矢理笑った。


「分かった。昨日のキスのこと気にしてるの? 大丈夫よ。本当にあれぐらいのキスなんて挨拶みたいなもんだから気にすることないわ。女の子同士でも挨拶であのぐらいのキスするわよ」

 ふざけて女の子同士でキスするということは聞いたことがあるが、挨拶代りにするというのは日本では聞いたことがあまりない。


「違うよ」

 僕は首を横に振る。

「そういえばファーストキスとか言ってたものね。もう一度ちゃんとする? わたしはいいよ」

 樹里が少し屈んだ。キスをしたくないといえば嘘になるが、これ以上話をややこしくしたくない。


「今日、昼休みちょっと話がしたいんだ」

「いつもしてるじゃない」

 たしかにしている。樹里が作ってきたお弁当を食べながら、樹里が見た演劇の話や僕が最近読んだ本の話など他愛もない話をしていた。

 でも、今日は違う。


「ちょっと、大事な話があるんだ」

「今でもいいわよ」

「ごめん。昼休みがいいんだ」

 まだ心の準備ができていない。

「そう」

 樹里がちょっと不満そうな顔をする。


 もちろん、樹里が泣いたり、喚いたりすることは絶対ないだろうし、僕との付き合いをやめたくないと言うこともないだろう。

 せいぜい嫌がらせができなくなることへの不満を言うぐらいだろう。

 むしろ僕が樹里と会えなくなることが寂しくなるために躊躇っているだけだ。

 僕はなんて情けない奴なんだろう。あんなに樹里のことを嫌ってたのに。



 樹里と別れて、僕が教室に入ると、いつもの女子の刺すような視線を感じなかった。

 あれ? どうしたんだろう。

 視線に慣れて鈍感になったのかな?

 僕は首を捻りながら席に着いた。


「どうした?」

 紀夫が僕の様子を見て声を掛けてきた。

「なんかいつもより女子の視線を感じないなあと思って」

「ああ、昨日のあれを見て、お前と石野が本気で付き合っているということが分かったからじゃないか」

「どういう意味だよ」

「文字通りの意味だ」


 僕と樹里が付き合っているのは間違いない。だが、それは樹里は僕に嫌がらせをするため、僕は樹里が図書委員の仕事をちゃんとしてくれるためだ。


「そんなこと……」

「ある。お前のことはガキの頃から知っているんだ。お前が石野のことをどう思っているかぐらい俺には分かるよ。無理するな。そうじゃないと、お前があんなことをするわけない」

 紀夫が断言するように言った。


 違う。そんなことない。僕は仕方なく樹里と付き合っているんだ。

 あのキスだって樹里と渡辺さんと喧嘩するのを見たくなかっただけだ。

 僕は心の中で、必死に紀夫の言葉を否定した。

 ただ、その言葉は僕の中で虚しく響くだけだった。

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