第26話 勝気なカノジョと初詣に行った


 大晦日はいつも紅白歌合戦を見た後、夜中まで起きているので、元旦は日が高く上がるまで寝てしまう。

 今年も例外ではなく、起きて階下におりていくと、もう日が高く上がっており、母さんが雑煮を作る準備をしたり、赤飯を炊いたりしていた。

 テレビがついていて、富士山から出てくる御来光の映像を映している。


「おはよう。よく寝れた?」

「うん」

「よかったわね。朝ご飯は遅くなるかもしれないけど、樹里ちゃんが来てからにしようか?」

「それでいいよ」

 僕は頷いた。


「ねえ、母さん」

「なに?」

「母さんって、英語話せるの?」

 僕は昨日聞くまで母さんが英語を喋っているのを聞いたことがないし、話せるということも聞いたことがない。


「あら、言わなかったかしら。私は英文科出てるんだけど」

「うそ」

 僕は母さんのことを何も知らなかった。お父さんが法学部だから、母さんも法学部だと思っていた。

「本当よ」

「知らなかった」

「どうして、言ってくれなかったの。知ってたら英語を教えてもらってたのに」

 大の苦手の大嫌いな英語を教えてもらえれば内申点ももう少し上がったのに。

「でも、卒業してから全然使ってないから錆びついてだめよ」

 昨日のあの発音はネーティブみたいだったけどな。

「昨日、樹里になんて言ったの?」

「ヒミツ」

 母さんがイタズラっぽい笑顔で答える。


 また秘密か。

 樹里といい、母さんといい女の人は秘密好きが多いらしい。

 僕は部屋に戻り、しばらく本を読んだりしていると、樹里からメールが来た。

 今、着付けが終わったからこっちへ向かうと書いてある。

 迎えに行こうかと、返信すると、行き方は分かっているので別にいいと返ってきた。


 僕はキッチンにいる母さんに樹里がもうすぐ来ることを伝えた。

 しばらく待っていると玄関のチャイムが鳴った。

 赤地に松竹梅を散りばめた振袖に金地に花柄をあしらった帯を締めた樹里が立っていた。

 華やかな振袖姿は樹里の美しさをさらに引き立てていて思わず見とれてしまう。

「何をボーッとしてるの。わたしの美しさに見とれてるの?」

 樹里が小馬鹿にしたように言った。


「ごめん。入って」

 僕は樹里を中に招きいれた。

「まあ。樹里ちゃん、綺麗だわ。やっぱり樹里ちゃんは美人ね」

 母さんは樹里を見て感嘆の声を上げた。

「おめでとうございます。おばさんも綺麗だよ」

 母さんは淡いピンク地に小桜が舞っている小紋を着ている。

「おめでとう。樹里ちゃんに褒められて嬉しいわ」

 母さんは樹里のような美人ではないが、僕より10センチほど小柄で、全体的に小作りで友達は小さくて可愛いと言っている。


 樹里がダイニングに入ると、まだかまだかと樹里を心待ちにしていた父さんがニッコリ笑う。

「樹里ちゃん、おめでとう。やっぱり、女の子がいると違うね。家の中が明るくなるよ」

 紺の紬に羽織を着た父さんが樹里を眩しそうに見る。

「おじさん、おめでとうございます」

 樹里は昨日と同じ僕の隣に座る。


「はい。お雑煮よ」

 母さんがお雑煮をそれぞれの前に置いて、自分の席に座る。

「いいかな。明けましておめでとうございます」

 父さんの声に合わせてみんなで新年の挨拶をする。

「じゃあ、お雑煮を頂こうか」

「いただきます」

 お雑煮はおすまし仕立てになっている。これは代々母の家に伝わるお雑煮で、餅、蒲鉾、椎茸などが入っている。


「おばさん、本当に料理上手だよね」

 樹里が感心したような声を出す。

「樹里ちゃんは本当に誉め上手ね」

 母さんは目を細める。

「今年は隆司も大学生だ。いろいろしっかり頑張らないとな」

 父さんが僕に檄を飛ばす。

「うん。頑張るよ」

 大学のことだけを言っているわけではないだろう。恐らく許嫁のことを含めて頑張らないといけないと言っているんだろう。


 だが、今は正直に言うと、許嫁のことよりも樹里のことが気になって仕方がない。

 僕はもう樹里の虜だ。

「ところで、樹里ちゃんは高校卒業したらどうするのかな? 隆司に聞いたんだが、アメリカに行くそうだが、留学でもするのかな?」

 今まではぐらかされて聞けなかったことを父さんが聞いてくれる。


 樹里はしばらく黙っていたが、重い口を開いた。

「実は、わたしは婚約者がいるの」

「ええッー」

 僕は思わず叫んだ。

「でも、その婚約者はパパが勝手に決めた人で、わたしは会ったこともなかったんだけど、少し前に会って、その人はどうもわたしのことを気に入ったみたいなの」

 少し前っていつ会ったんだ?

「じゃあ、その人はアメリカにいて、樹里ちゃんはその人と結婚するためにアメリカに行くのか」

 父さんがそう聞くと、樹里は首を捻った。

「さあー。どうなるかよく分からないんだけど、パパがいま仕事の関係でアメリカにいて、アメリカに来いって言われているの」

 僕は樹里に婚約者がいると聞いてショックだった。

 婚約者がいるのに僕と付き合っていいのか?


「樹里ちゃんにも婚約者がいるのか」

 父さんの言葉に僕は自分の立場を思い出した。

 僕にも許嫁がいる。

 樹里と一緒にいるとそのことをすぐに忘れてしまう。

「だから、隆司と付き合えるのは卒業までなの」

 樹里が僕に微笑んだ。

 だから、付き合えるのは卒業までなんだ。

 どうせ樹里にとっては、僕は暇つぶしの相手なんだろう。僕の中では樹里の存在が大きくなってきてるのに。


 母さんが下を向いて肩を震わせているのが見えた。

 泣いているのだろうか。そんなに樹里と別れるのが悲しいのかなと思った。

「クックックックッ」

 笑いを押し殺したような声が聞こえてくる。

「なに笑っているんだ、母さん」

 父さんがびっくりしたように隣の母さんを見る。


「なんでもないの。樹里ちゃん、隆司と一緒に父智丘ふちおか神社に初詣に行ってきたら」

 僕と樹里が食べ終わったのを見て、母さんが笑いを噛み殺しながら、樹里に言う。

「おばさん、笑いすぎよ」

 樹里が不機嫌な声を出す。

「ごめんなさい。あんまり可笑しかったから。ほら、隆司、早く行って来たら」

 僕は樹里と一緒に立ち上がって、家を出ると、歩いて5分ぐらいにある父智丘神社に向った。

「ごめんね。母さん、失礼だよね」

 樹里に婚約者がいるっていうことが、なぜあんなに可笑しいのか母さんのことが理解できない。


「ううん。いいの。気にしてないわ」

 気にしていないと口では言いながら、樹里は浮かない表情で首を横に振る。

 いつもはけっこう早く歩く樹里だが、今日は着物のせいかかなりおしとやかにゆっくり歩いてる。

 樹里は何か考えているのか無言で歩く。


 父智丘神社はこの辺りの氏神様なので、鳥居を通って、中に入るとかなりの人が行き交っていた。

「あら、澤田君と樹里じゃない」

 聞いたことのある声が樹里を呼んだ。

「あら、真紀。おめでとう。初詣?」

「おめでとう。そうよ。紀夫も一緒だったんだけど、途中ではぐれちゃったのよ。見なかった?」

 渡辺さんがキョロキョロと辺りを見回す。

「今来たところだからね。見なかったな」

 僕は首を振った。

「そうか。どうしよう?」

 渡辺さんが困った顔になる。


「鳥居のところで待っていれば? 鳥居を通らないと帰られないんだから絶対通るわよ。もし、山崎君を見たら真紀が待っていると伝えておくわ」

 神社の中に入るのも外に出るのも必ず鳥居を通る。

「分かった。鳥居のところにいるわ」

 ピンク地に牡丹の花が描かれた可愛い感じの振袖を着て、髪をアップにしている渡辺さんが鳥居の方へ歩いていく。

「行こう」

 樹里がそっと手を引っ張る。


 全国の有名神社ほどではないが、それなりに人出があるので、拝殿まで列ができている。僕と樹里は列の一番後ろに並んだ。

「樹里の婚約者ってどんな人?」

 樹里が言っていた婚約者のことがずっと気になった。

「気になる?」

 樹里が意地の悪い笑みを浮かべる。

「会って話をしたの?」

「話したわよ。全然イケメンじゃないし、カッコ良くもないけど、優しい人よ。好きだとかはなかなか言ってくれないけど、わたしのことをすごく思ってくれてるんだなあっていうのは態度で分かるの」

 何度か会ってるんだ。最近、会ったと言ってたけど、僕と付き合う前のことだろうか? いつ会ったんだろうか?


「樹里はその人のこと好きなの?」

 だんだんイライラしてくる。

「その人が愛していると言ってギュッと抱きしめてくれて、結婚してくれって言われたら、堕ちちゃうかも」

 僕は胸が締め付けられそうになった。

 だが、僕は樹里に何も言うことはできない。

 婚約者がいるのに僕は樹里のカレシということでいいのだろうか?

 でも、よく考えたら、夫がいて愛人がいる人もいるんだから、僕が樹里のカレシでもおかしくないか。


 僕にも許嫁がいる。

 樹里と僕はW不倫ということか。

 あと3ヶ月もすれば卒業だ。卒業すれば樹里はアメリカに行き、僕は許嫁と婚約か結婚かすることになる。

 どう足掻いてもそういう運命だ。それなら今この時を楽しもう。

 嫉妬とかするよりも今、樹里と一緒にいれることを喜ぼうと思った。

 そんなことを考えているうちに僕と樹里が拝殿の前に立つ順番になった。

 僕は自分と家族の健康と幸せを祈り、そして、樹里が幸せになることを祈った。

 隣の樹里は何を祈っているのだろうか?

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