第18話 勝気なカノジョの家に誘われて

 外に出ると、僕は本来の目的を果たそうと思った。

 樹里の言い方では、答えはあの映画にあるということになる。

 だとしたら……。


「でも、知らなかったよ。樹里が病気だったなんて」

 映画の主人公は病気の手術のためにアメリカに行った。

「病気? わたしが? まあ低血圧だけど」

 樹里が驚いたような顔をする。

「だって、手術するためにアメリカに行くんでしょう?」

「誰がそんなこと言った?」

 樹里が呆れたように僕を見る。


「違うの?」

 アメリカになぜ行くのかと聞いた時、この映画を観に行こうと言ったから、てっきりこの映画と同じ理由で行くんだと僕は思い込んでいた。

「違うわよ。私はそんなこと一言も言ってないけど」

 樹里は訳が分からないという表情をした。

「じゃあ、どうしてこの映画を観に行こうって言ったんだよ。それに涙まで流してたじゃないか」

 そうでなければこの映画を観に来た意味が分からない。


「アメリカへ行く話をしてたら、急にこの映画の宣伝をしていたことを思い出して見に行きたいなあと思って、誘っただけよ。それに涙を流したのは、上を向いていたら、急に目が痛くなって涙が出てきただけよ」

 どういう発想だ。樹里の考えにはついていけない。涙を流してたのも目にゴミでも入ったっていうこと?


「じゃあ、どうしてアメリカへ行くの?」

 僕の疑問はまた元に戻った。

「夕食どうする?」

 樹里は僕の質問をスルーする。まだ5時前だ。夕食には少し早いが。

「どこかで時間を潰して、食べに行く?」

 樹里が首を横に振った。


「わたしが作るから、家で食べよう」

 外では理由が話せないという意味だろうか? そんなに秘密にしないとならない理由ってなんだろう。ますます気になる。


「家って、樹里の?」

 僕の家も樹里の家も駅から歩いて帰れる距離だが、樹里の家の方が駅に近い。


「そうよ。どうしてわたしが隆司の家で夕食を作らないといけないの。わたしの家じゃ嫌なの?」

 キッと樹里が睨む。


「嫌じゃないけど……」

 一応カレシとはいえども、女子の一人暮らしの部屋に行っていいんだろうか?

 それに樹里とは別れる予定だ。本当に行っていいんだろうか?

 それにもう一つ。樹里の住んでいるマンションは女性専用マンションだ。


「樹里のマンションは女性専用マンションだけど、男でも入れるの?」

 僕は疑問を口にした。

「そういうマンションもあるけど、うちのマンションはちょっと入り口で面倒な手続きがあるけど、男の人も入れるわよ。住んでいる人の男の家族が様子を見に来たり、カレシを連れ込む人もいるわ。契約違反だけど、カレシを泊める人もいるんだから」

 樹里は大胆なことを言う。

「そう」

 夕食を食べたらすぐ帰ります。


「何が食べたい? 今からじゃ手の込んだものは作れないけど」

 樹里は料理が上手いので、作ってくれるものはなんでも美味しい。今まで作ってくれたものが色々頭に浮かぶが、簡単にできそうなものを考えた。

「オムライス」

 樹里が作ってくれるオムライスが大好きだ。

「オムライスなら簡単に作れるわ。鶏肉と卵を買わないと。スーパーに行きましょう」

 樹里と2人で駅前のスーパーに行った。鶏肉や卵を買い物カゴに入れていく。


 なんか2人で買い物をしていると、一緒に暮らしている恋人同士か新婚夫婦になったかのような変な気分になっていく。

 レジで僕がお金を払うと言ったら、余った食材は自分が使うからいらないと言われてしまった。

 ただし、買い物袋は当然僕が持つことになる。


 買い物袋を持って、樹里のマンションに向かっていると、ポツポツと頭に何かが当たった。

「雨?」

 空を見上げると、雨粒が落ちてくる。

「傘持ってないから、走るわよ」

 天気予報では雨とは言ってなかったから、僕も樹里も傘を持ってない。


 樹里が走り出した。僕も慌てて走り出す。

 男子と女子は体育を別々にするので樹里が足が速いのかどうか知らなかったが、すごく速い。

 僕は運動神経はよくない。クラスの男子の中では走るのも遅い方だ。だが、いくらなんでも運動クラブに入っていない女子の樹里よりも速いと思っていた。


 だが、僕がいくら走っても樹里に追いつくどころかどんどん引き離されて行く。

 最初はポツポツだった雨が急に激しくなって滝のように降り出した。

 樹里はスピードをさらにあげる。足が長いからストライドが大きく、僕が必死に走っても全く追いつかない。


 2人とも必死に走ったが、マンションに着いた時は、服が絞れるぐらい身体中びしょ濡れになっていた。

「すごかったね。それにしても樹里は足が速いね」

 先についていた樹里に声をかけた。

「遅いわね。風邪引くでしょう」

 樹里が下を向き、怒ったように言う。

「ごめん」

 またまた怒られた。


「こっちを見ないで。雨でメイクがほとんどとれてるから」

 僕は慌てて目を逸らす。

 横目で見ていると、樹里は僕に顔が見えないように下を向いたまま、いつも編んで一つに纏めて前に垂らしている髪を解き、顔を覆い隠すように前に垂らした。


「ブスな素顔を隆司に見られたくないから、こっちを見ないでよ。いつも詐欺メイクで誤魔化しているだけなんだから」

 すごく真剣な感じで樹里が言う。

「分かった」

 見たことはないが、樹里の素顔がそんなに悪いとは思えないが……。

 でも、テレビで詐欺メイクをする女の人を見たことがあるが、とても同じ人だとは思えないほど変わるので、樹里の言うことが全く嘘だとは言い切れない。


 樹里はホラー映画に出てくる女の幽霊みたいに顔を覆い隠した髪の毛から雨の雫を垂らして、操作盤に鍵を差し込んだ。

 自動ドアが開いてエントランスに入っていく樹里の後ろをついて歩く。


 初めて入るエントランスはホテルのロビーのようで、とても広くテーブルやソファーが置いてあり、シャンデリアまでかかっている。

 左手にフロントがあり、黒いスーツを着たチイちゃんを連れてきた時と違う20代後半ぐらいのホテルウーマンが座っていて、樹里を見ると立ち上がった。


「お帰りなさいませ」

 ホテルウーマンは樹里と同じぐらいの背丈があり、何かスポーツをしているのかがっしりとした体格をしている。


「友だちが一緒なんだけど」

 樹里がホテルウーマンにだけ顔が見えるように髪を少し上げた。

 この人は樹里の素顔を知っているのか?

「ああ石野様ですか。凄い雨でしたね。では、お友達の方はこちらに注意書きが書いてありますのでよく読んで、ご同意いただけるなら、お名前と石野様の部屋番号をお願いします」

 僕にペンと用紙を差し出した。

 注意書きには、他の階や部屋に決して立ち入らないこと、立ち入った場合は不法侵入として警察に通報されても異議がないこと、親族以外は泊まることは許されないことなど細かい注意がいっぱい書かれている。


「はい」

 ペンを受け取り、出された用紙に名前と樹里の部屋番号を書いた。

「有難うございます」

 ホテルウーマンは用紙を受け取ると時計を見て時間を書き込んだ。


「行きましょう」

 樹里が先に立って歩き出す。

 フロントの奥にエレベーターがあり、エレベーターの『△▽』のボタンの下に鍵穴が付いている。樹里がその鍵穴に鍵を差し込むと、エレベーターが下りてきてドアが開く。

 エレベーターに乗ると階数のボタンを押さなくても点灯しており、『閉』のボタンを押すと扉が閉まり、エレベーターが上がっていく。


「すごい設備だね」

 僕は感嘆の声を漏らした。

「このマンションは設備とセキュリティはしっかりしているの。地下には、駐車場と警備員室と機械室があって、24時間警備員が常駐しているし、さっきの女の人もコンシェルジュ兼警備員さんなの」

 だから、あの女の人は体格が良かったのか。


 エレベーターのドアが開いて、樹里が先に下りる。右と左に小さな門とポーチが見えた。樹里は右のほうに行く。

「門があるんだ」

 友達のマンションに遊びに行ったことがあるが、沢山のドアが廊下に沿って並んでいるという印象しかない。

「ここは1フロアに2部屋だけで、各部屋には門とポーチがある造りなの」

 樹里は門の鍵穴に鍵を入れた。


「この門もセキュリティになってて、鍵を差し込まずに、こじ開けようとしたり、乗り越えようとしたりしたら、門のところにあるセンサーが働いて部屋のドアがロックされて、外からは開かないようになるの。警備員の部屋の警報が鳴ってすぐ飛んでくるから、遊びにきた時も勝手に開けようとしたらダメよ」

 樹里が子供に言い聞かすように僕に言う。もう来ることはないと思うけど、僕は頷いた。


「一つだけ合鍵があるけど、持てるのは家族だけで、入居の時に部屋に来る家族の写真を管理会社に出していて、入り口の警備員がその写真と顔をチェックされるの。だから、カレシを家族だと嘘をついて鍵を渡すのは無理なの」

 別に合鍵はいりませんから。

 樹里は門を開け、部屋のドアの鍵を突っ込むと開けた。

「入って」

 僕は入るのを躊躇った。小学校の時は女子の家に遊びに行ったこともあったが、思春期に入ってからは、行ったことが一度もない。妙に緊張してしまって体が動かない。


「なにボーっとしているの早く入りなさいよ」

 樹里がイライラしたように僕を見る。

「今まで女子の家に入ったことがないから、なんか緊張しちゃって体が動かない」

 僕は苦笑いをした。一人暮らしの女子の部屋となると、余計に緊張してしまう。

「何バカなこと言ってるのよ。なんか私まで緊張しちゃうじゃない。さっさと入りなさいよ」

 樹里が眉間に皺を寄せて、僕の背中を押して無理矢理家の中に入れた。


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