第33話 顔を知った許嫁とデートをした 僕は……

 日比谷公園は桜はまだ完全には咲いていないが、チューリップが咲いていて綺麗だった。

 しばらく歩いて、アンナさんが着物であまり長く歩くのも大変だろうと思い、ベンチに座ることにした。

「座りましょうか」

「はい」

 ハンカチを広げてベンチに敷く。

「ご親切にありがとうございます」

 アンナさんが座った。

 アンナさんはあまり喋らない。こちらが話しかけないとずっと黙っていそうだ。


「アンナさんは何かクラブをしてたんですか?」

「中学の時には、演劇部に入ってました」

 声はやはり小さい。

「演劇ですか?」

 大人しい感じのアンナさんが舞台の上で、大声でセリフを言っている姿が思い浮かばない。

「はい。自分と全然違う性格の人を演じたりするのは楽しかったです」

「そうですか」

 そういうことを俳優が言っているのを聞いたことがある。

「高校ではしなかったんですか?」

「高校ですか? 私は高校は行ってません」

 不思議そうな顔で僕を見る。

「えっ? でも、アンナさんのお父さんからの手紙に今年の春、高校を卒業すると書いてあったと聞いていますが……」

 アンナさんは中学を卒業してから働いたのか? 家は相当金持ちみたいだけど。


「私は中学で飛び級をして大学の教養課程の単位を取って、飛び級で高校には行かず、大学に入って、今は専門課程を勉強しています。父がそんなことを手紙に書いたとしたら、何か書き間違いをしたんじゃないでしょうか」

 アンナさんは首を捻る。

「アンナさんは優秀なんですね」

 高校に行かずに大学へ行くなんて凄い。

「アメリカでは飛び級する人はわりといますよ」

 そういえば、樹里のお兄さんも飛び級をしたと言ってたな。

 ダメだ。ダメだ。

 僕は何を考えているんだ。もう僕と樹里はなんの関係もないんだ。


「大学では、何を勉強されているんですか?」

「法律を勉強しています。法学部なんです。隆司さんは大学に行くんですか?」

「ええ。行きます」

「何を勉強されるんですか?」

「妖怪です」

 外国暮らしのアンナさんに妖怪が分かるか少し不安だった。


「ああ。妖怪ですか。座敷わらしとかあずきとぎとかのことですよね」

 そういえば、樹里に同じ例を言ったことがあるような?

「すごいですね。妖怪のことを知っているんですか?」

「アメリカでも日本のアニメをやっていますから、小学生の時にアニメで見たことがあります」

 日本のアニメはすごいと思った。

「どういうことを勉強するんですか?」

「妖怪がなぜ日本で生まれたのかとか妖怪が日本の社会においてどうして必要だったのかということを研究したいと思っています」

「民俗学のようなことですか?」

「はい」

 僕がそう答えると、アンナさんが突然思いつめた表情になった。


「私は父が望んでいる通り、隆司さんと結婚してもいいと思っています。ただ、一つだけお願いがあります」

「何ですか?」

「せっかく法律を勉強したので、大学院へ行ってもっと深く法律の勉強をしたいと思っています。もし、許していただけるなら、アメリカの大学院を卒業するまで待っていただけませんか?」

 アンナさんは僕の表情を窺うように不安そうな目で見る。

「分かりました。考えてみます」

 まだ正式には結婚するかどうか決まっていない。今の段階で、そんなことまで考えられない。


 でも、樹里だったら、大学院に行きたいとか言わないだろうな。そもそも勉強が嫌いみたいだし。

 アンナさんと会ってても記憶から消し去ったはずの樹里のことばかり頭に浮かぶ。知らないうちにアンナさんと樹里を比べている。

 やっぱり樹里のことが忘れられないのか。

 アンナさんと結婚しなければいけないということは分かっている。

 でも……。

「そろそろ戻りましょうか」

 僕は決心した。

「はい」

 アンナさんが頷いたので、二人でホテルへと戻った。


 僕とアンナさんが部屋に戻ると、母さんと高津さんが楽しそうに笑っていた。

「おー、戻ってきたか。座りなさい」

 僕とアンナさんは自分の席に座る。

「アンナ、隆司君はどうだった?」

 高津さんがアンナさんを見つめる。

「優しい方だと思います。もし、隆司さんが結婚を望まれるなら、私に異存はありません」

 アンナさんは俯きかげんで言った。

「そうか」

 高津さんは満足そうに頷く。


「隆司君はどうですか?」

 今度は僕の方を見る。

 僕は母さんの顔を見た。

「私に遠慮することはないわ。隆司が思った通りに言いなさい」

 いつものふわっとした言い方ではなく、何か強い意志を感じるような言い方だ。


「アンナさんはお淑やかで、礼儀正しい素晴らしい女性です。失礼な言い方かも知れませんが、僕のタイプです。ただ……」

 アンナさんのような優しくて淑やかで穏やかな人が理想の女性だった。

 樹里のような気が強くて口が悪くていい加減な女は大嫌いだった。

 樹里と付き合うまでは。

 でも、今は樹里のことを……。

「ただ、何かね」

 高津さんの顔が難しくなる。


「僕には好きな人がいます。つい最近まで付き合っていました。その子のことがどうしても忘れられないんです」

 僕は一気に言った。

 僕にはやっぱり母さんの血が流れているらしい。

 財産よりも愛を取るという血が。

 アンナさんよりも樹里を取る。

「ほう。そんな子がいらっしゃるとは。で、隆司君はその子と結婚したいと思っているのかね?」

 高津さんが顔色一つ変えず聞いてくる。

「僕はそう思っていますが、その子には婚約者がいます。だから、結婚は無理かもしれません」

 樹里には婚約者がいる。

「では、諦めた方がいいのではないかな」

 高津さんは常識的なことを言う。

「でも、諦めきれないんです。今、アメリカにいるその子が結婚したことをこの目で見るまでは……」

 樹里はしないかもしれないようなことも言っていた。

「しかし、その子が結婚していたからといって、アンナと結婚したいと言われてもそれはできない相談だが……」

「いえ、そんなことは言いません。アンナさんとのことはお断りします」

「うーむ」

 高津さんは困ったような顔をして母さんの顔を見る。


「その子のことは私も知っています」

 母さんが口を開いた。

「どんな子ですかな」

 高津さんが興味ありげに聞く。

「その子は石野樹里さんと言います。アンナさんと違ってかなり元気のいい子です。はっきりものを言いますし、アンナさんのようにお淑やかでも礼儀正しくもありません。ただ、隆司のことをすごく好きだというのは見ていて分かりました。それに隆司も樹里さんが好きなことは親の目にも分かっていました」

 母さんが僕を見てニコッと笑った。


「ほーっ、石野樹里というんですか。その子は」

 高津さんは驚いたような顔で言った。

「でも、その子はアメリカにいるとか。居場所は分かっているんですか? どうやって探すんですか?」

 当然の疑問だ。

「石野さんが連れて行ってくれたフレンチレストランは家族の方も常連みたいだったので、そこで何か分からないかと思っているんです」

 樹里が連れて行ってくれたフレンチレストランはお兄さんが予約してくれてたし、スタッフの人は樹里のことをよく知っているようだった。

「なるほど」

 高津さんは何か考えているような顔になった。


「ごめんなさい。アンナさん。隆司は樹里ちゃんのほうがいいみたいなの」

 その言い方なんかおかしくない?

 その言い方はアンナさんが樹里のことを知っているような言い方に聞こえるんだけど。

「……」

 アンナさんは俯いたまま何も言わない。

 そんな言い方されてもアンナさんはなんとも言いようがないよな。

 樹里のことは知らないんだから。

 母さんはアンナさんに何を言ってるんだろう。


「もし、その石野樹里という子が隆司君と結婚したいと言ってきたら、結婚させるおつもりがあるということですか?」

 今まで黙っていた高津さんの奥さんが口を開いた。

「はい。隆司がその気みたいですし、私も主人も樹里ちゃんなら隆司の嫁になってもらってもいいと思っています」

「そうですか」

 奥さんは黙って、娘の方を見た。アンナさんは下を向いたままだ。

 僕はアンナさんを傷つけてしまったんだ。

「アンナさん、すみません」

 僕はアンナさんに向かって頭を下げた。


「隆司君がそういう気持ちなら仕方ありません。アンナとのことは諦めます。だが、隆司君がアンナと結婚した時に、お譲りすると約束した会社の株式の10%と100万ドルの小切手は受け取ってください。澤田様と私は義理とはいえ、きょうだいです。それに澤田様の方が実子です。遺産を相続する権利があります。澤田様の当然の取り分です」

 高津さんが母さんを見る。

「それはできません。私は実家から勘当されて、両親が亡くなったときに、相続放棄の手続きも済ませています。高津様からいただくものは何もありません」

 母さんは毅然として言い放った。

 親を捨て、財産も捨てて、父さんとの愛を取った母さんの強さを見たような気がした。


「そうですか。では、隆司君が結婚する時に、一族の者として結婚祝いをしたら、それは受け取っていただけますか?」

 諦めきれないように高津さんが言った。

「多額のものは受け取れませんが、お気持ちだけなら、もちろんいただきます」

 母さんが笑顔で答える。

「では、そのように考えさせていただきます」

 ようやく高津さんが納得したようだった。

「今回のことは申し訳ありませんでした。主人は明日は休みが取れるようなことを申しておりましたので、お詫びかたがた明日、お伺いします」

 母さんが立ち上がって頭を下げた。僕も慌てて立ち上がり一緒に下げる。


「お詫びなどいりませんが、一度ぜひご主人とはお会いしたかったので、いらしてください。部屋番号は秘書に聞いてもらえば分かりますから」

 高津さんは母さんと握手した。

「アンナさん、本当にすみませんでした」

 僕はもう一度アンナさんとお母さんに頭を下げた。

 アンナさんは顔を俯けたまま肩を揺らしている。

 泣いているんだろうか。

 今、気づいたが、アンナさんの肩が揺れるたびに耳につけているピアスが揺れていた。

 僕は申し訳なさでいっぱいになる。

「では、失礼いたします」

 母さんが挨拶して部屋を出て行く。僕も高津さんに頭を下げて、母さんの後をついて出た。


 帰りも高津さんのリムジンで送ってもらった。

 リムジンの中では、僕も母さんもずっと無言だった。

 さすがにリムジンで家の前まで行くのは近所の目もあるので、近くの道路で降ろしてもらう。

 家に帰ると僕は母さんに頭を下げた。

「母さん、ごめんなさい。母さんたちが決めたことを勝手に断ってしまって」

「いいのよ。分かっていたから。樹里ちゃん、キレイだし、面白いもんね」

 母さんはなんでもないように言う。でも、母さんの本心だろうか?

 夜、家に帰ってきた父さんにも謝った。

「お前の一生だ。父さんや母さんに気兼ねする必要はないよ」

 父さんも母さんも優しい。


 翌日、父さんと母さんは高津さんのところへ謝りに行ってくれた。

 だが、謝りに行ったはずが、父さんは上機嫌で帰ってきた。母さんも楽しそうにしている。

「高津さんはすごくいい人だね。これからも親戚付き合いをしたいと言われたよ」

 そうか。高津さんは母さんと同じ一族だもんな。

 そうなるとこれからもアンナさんと会う機会があるのか。

 なんとなく気が重いな。

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