第5話 今日はついている日にするぞ……

 昨日からずっとついていないことが続いているが、今日も続きそうだ。

 あの石野さんと話をしなければいけないと思うと気が重い。


 いつものように5時に起きて、勉強をするが一向に頭に入ってこない。

 このまま勉強を続けても意味がないと思って、勉強するのをやめて、本棚にある本を取り出して読んだりする。

 だが、本を読んでいても集中できずに何度も同じところを読んでしまう。


 本を読むのも諦めて、重い気持ちのままダイニングに下りていく。

「おはよう」

 朝食の用意をしている母さんに声をかけた。


「おはよう。どうしたの。なんだか顔が暗いわよ。何かあったの?」

 母さんが僕の顔を見るなり言った。

「別に。寝不足かな」

「本当に?」

 母さんは疑わしそうな顔をする。

 気付かずに僕はそんなに暗い顔をしているのか。

「うん」

「だったらいいんだけど」

 母さんはまだ心配そうに僕の顔を見る。


「本当に大丈夫だから」

 僕は母さんを安心させるために作り笑いをした。


 石野さんが僕の話をちゃんと聞いてくれるだろうか。そもそも石野さんってどんな子だろう。ヒステリックに叫ばれたり、泣かれたりしたらどうしようとかいろいろなことを思い浮かべてしまう。


「どうしたの? ボーっとして。やっぱり何かあるの?」

 ご飯茶碗を持って食べずにボーっとしている僕を見て、母さんが声をかけてくる。

「ちょっと学校でやらないといけないことがあるから、それが気になってただけだよ。大丈夫だから心配しないで」

「そう? 何かあるんだったらちゃんと相談してよ」

「分かっているよ」

 僕はあんなことを引き受けるんじゃなかったと後悔しながらご飯を食べて、家を出た。



 午前中の授業は平穏に終わり、昼休みになった。

 石野さんは今日が当番だ。

 休み時間は短いので教室の移動があったりして話す時間がないかもしれないし、トイレに行ったりして席にいないかもしれないから、石野さんに話をしに行くなら昼休みしかない。


 だが、僕はなかなか立ち上がることができなかった。

「どうしたんだ? 早く行かないと食堂いっぱいになるぜ」

 僕はいつもは食堂に食べに行く。うちの学校の食堂は安くてボリュームがあり、味もそこそこいいので弁当を持って来ずに食堂で食べる生徒が多い。

 そのため、ちょっと出遅れると並んで相当待たないといけない。


 これまでは一緒に食堂で食べていた紀夫だが、カノジョができてからは、カノジョが弁当を作ってきてくれるので、カノジョといつも一緒にどこかで食べている。


「うん。ちょっと用事があって先にそれを済ませないといけないから」

「だったら、早く済ませた方がいいんじゃないか。昼飯を食う時間がなくなるぜ」

 グズグズしている僕を見て紀夫は心配そうに言う。


「そ、そうだな。紀夫、石野さんって知ってるか?」

 紀夫は友達が多い。ひょっとしたら石野さんの情報を何か持っているかもしれないと思った。

「石野って、D組のか?」

 僕が頷くと、紀夫の顔が歪んだ。


「直接は知らないが、性格は最悪らしいな。評判悪いぞ。特に、女子に。なんだ石野に用事か? 告りにいくのか?」

 紀夫が物珍しそうに僕の顔を見る。

「まさか。石野さんは図書委員だからそのことでちょっと話があって……」

「そうか。まあ気をつけてな。あっ、来た。飯食ってくるわ」

 紀夫が立ち上がる。カノジョが入口で手を振っているのが見えた。


 なんだ最後の気をつけてなというのは?

 石野さんは凶暴そうには見えなかったが、凶暴なのか?

 いきなり噛み付かれたり、殴られたりするのか?

 僕はますます気が重くなっていく。

 なんとか決心をして、やっとの思いで立ち上がると、教室を出た。


 僕は文句を言ったり、突っ込んだり、愚痴ったりするが、それはあくまでも心の中だけで、実際に口に出して言うことはない。

 僕は平和主義者だ。人と喧嘩したり、争ったりしたくない。

 僕が我慢して済むことなら我慢することにしている。

 そして、女子と話すのはすごく苦手だ。話さなくて済むなら話したくない。

 僕はこの役目に一番不適任だと思うんだが。


 グズグズと頭の中で色々考えているので、足がなかなか前に進まない。

 A組からD組に行くまでにとてつもない時間がかかった。

 やっとのことで、僕はD組の前に立った。

 できれば石野さんが昼ご飯を食べに行って席にいないでほしい。

 そうすれば、会えなかったという言い訳ができる。


「澤田。珍しいな。誰かに用か?」

 D組の顔見知りが僕を見て、声をかけてきた。

「ああ。石野さんいるかな?」

 なにも悪いことはしていないが、なんとなくオドオドしてしまう。

「石野? ああ、あそこにいるよ」

 窓側の一番後ろの席を指差す。


 やっぱりいるのか。僕の願いは無残に打ち砕かれた。

 指された方を見ると、石野さんとおぼしき女子の周りを3人の女子が取り囲んで何か話しをしている。

 友だちがいないと聞いていたが、意外と人気者じゃないかと思って、少し気軽になり石野さんの方へ近づいていった。


「石野さん、私と和也が付き合っていること知っているわよね。それなのになんで和也にちょっかいを出すわけ?」

 石野さんを取り囲んでいるうちのショートヘアのちょっと気の強そうな子の声が聞こえてきた。


 お取り込み中のようなので、僕は少し離れたところで大人しく順番を待つことにする。


「あなたが誰と付き合ってるかなんて知らないし、別にちょっかいなんか出していないけど」

 思いのほか低音で気だるそうな石野さんの声がした。


 僕の単なる思い込みだが、石野さんの容姿からもっと高い声の人だと思っていた。


「うそ。だったら、どうして和也と喫茶店に行って、お茶してたのよ?」

 ショートヘアの子は噛みつきそうな顔で石野さんに食ってかかる。


「あれは山田君が奢ってくれるって言うから一緒に行っただけよ。別に一緒にお茶飲むぐらいいいでしょう」

 石野さんが面倒臭そうに言う。


「お茶飲んだだけじゃあないでしょう?」

 なおもショートヘアの子は食い下がる。

「私、見たんだから。山田君にキスしてたでしょう。恵美のカレシって知ってるくせに」

 今度はポニーテールの子が火に油を注ぐようなことを言う。ショートヘアの子はどうやら恵美というらしい。


「ああ」

 石野さんはつまらなさそうな声を出した。

「何が『ああ』よ」

 恵美さんの怒りはおさまらない。


「奢ってもらったから、何かお礼をしないといけないと思ったから何がいいって聞いたらキスだって言うからしてあげただけよ。あんなの挨拶程度よ。気にすることないわ」

 石野さんはまったく何でもないように言う。


「キスが挨拶程度ですって!! あなた、なに人よ」

 恵美さんは眉を逆立てた。

「本当に軽いわね」

 今まで黙っていたツインテールの女の子も同調するように言う。


 そりゃあ怒るわな。いくら何でもそれは駄目でしょう。石野さん。

 ここは日本だからその言い訳は通用しないでしょう。

「そんな言い訳通用すると思ってるの!!」

 ほらね。恵美さんも怒っているでしょう。


「ああ、ウザい。そんなに大事なら他の女にちょっかい出さないように首に鎖でもつけて縛り付けてたら。それにあの男がそんなにぎゃあぎゃあ騒ぐほどの男?」

 石野さんが軽蔑するように恵美さんを見る。


「自分が誘っといてよくそんなこと言えるわね」

 恵美さんが反論する。

「はあー、私が誘った? 誰がそんなことを言ったの?」

「カレよ」

「ホント、つまんない男ね。カノジョが怖いから嘘をつくなんて」

 石野さんが鼻を鳴らす。

「カレは嘘つかないわ」

 恵美さんがヒステリックな声をあげた。


「どっちにしても、カレシが私についてくるのはあなたに魅力がないからでしょう。あなたに魅力があるなら他の女についていかないわよ。人に文句言う前に自分の魅力のなさをなんとかしなさいよ」

 石野さんが目を細めて睨みつける。なかなか迫力のある顔をしている。


「なんですって」

 恵美さんの顔が怒りで真っ赤になる。

「もうやめなよ。こんな子にいくら言っても無駄だよ。どうせ顔だけの子なんだから。もう行こう」

 ポニーテールの子が恵美さんをなだめるように言う。

「そうよ。相手にしちゃダメよ。行きましょう。顔だけで頭は空っぽなんだから相手にしても仕方ないわよ」

 ツインテールの子も追従するように言う。


 2人に促された恵美さんはすごい目つきで石野さんを睨みつけて教室を出て行く。


 石野さんが人のカレシを取るし、男関係が派手ということで女子たちに評判が悪いという噂はどうやら本当のようだ。


「バアーカ」

 石野さんは不機嫌な声を出すと、机に突っ伏した。

 僕は固まったまま動けなかった。どう見ても石野さんは不機嫌じゃないか。

 あんなに怒っている石野さんに話をしないといけないのか?

 思わず、僕はこのまま自分の教室に戻ろうかと思った。

 しかし、図書委員長の役目として来た以上何も言わずに帰るわけにはいかない。

 僕は一つ大きな深呼吸をして、石野さんに近づいていった。


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