第29話 勝気なカノジョと行く最初で最後の旅行

 学年末テストが終わり、明日は樹里たちとの卒業旅行だ。

 おそらくこれが最初で最後の樹里との旅行だろう。

 何かすごく楽しみな反面、胸が張り裂けそうな気もする。

「じゃあ、明日は先に行って待ってるからな」

「ちゃんと樹里と一緒に来てよ。ほったらかしにされないようにね」

 紀夫と渡辺さんが腕を組んで帰っていく。

 僕は樹里が来るのを教室で待っていたが、いくら待っても来ない。

 心配になってきて樹里の教室まで行ってみることにした。


 教室にはほとんど生徒は残っていなかった。

 樹里は自分の席に座って、傍らに立っている同じ図書当番のあのお下げ髪の1年生と何か話をしていた。

 2人に近づこうとすると、突然、お下げ髪の子は涙を流しながら走って教室から出ていく。

 まさか、樹里があの子のカレシと何かしたんじゃないだろうな。


「どうしたの?」

 声をかけると、樹里が困ったような顔をして僕を見る。

「クリスマス祭の時の、あれ、やり過ぎた」

 クリスマス祭の『あれ』?

「なんのこと?」

「ほら、真紀にキスしようとしたじゃない。あれを見て勘違いする子がいてさ。もう10人ぐらいの女子に告られた」

 そうか。たしかにあれは勘違いされても仕方ないかも。

 渡辺さんも堕ちそうだったもんな。

 ということは、あのお下げ髪の子も樹里にそういう感情を抱いていたんだ。


「でも、樹里はその気があるかもって言ってたじゃないか」

 渡辺さんに本当にキスしようかと思ったって言ってたよな。

「あれは真紀にだけよ。それに隆司がいるから、女の子は別にいいわ……帰りましょう」

 まっ、樹里の自業自得だよね。


 あの後、樹里の言っていた『吊り橋効果』の意味を調べた。

 間違っているかもしれないけど、簡単に言えば、吊り橋を渡った後のドキドキした状態で人を見ると、ドキドキしているのはその人に恋をしているためだと勘違いしてしまうことらしい。

 渡辺さんや紀夫、僕、樹里に恋した女子たちも樹里の演技で吊り橋効果にかかったということか。

 樹里はまだ困ったような顔をしている。

 初めて見るその顔はそれはそれで愉快だった。



「明日は何時に迎えに行ったらいいかな」

 明日はいよいよ旅行の日だ。詳しい打ち合わせは樹里としていない。

「12時ぐらいに迎えに来て」

 東京駅まで約1時間、新幹線で新神戸駅まで約3時間、そこから有馬までタクシーで50分ぐらいと考えると、結構いい時間になる。

 ちょうどいいぐらいか。


「それぐらいに行くよ」

 樹里のマンションの前に着くと、突然、樹里が僕に背中を向けた。

「この旅行から帰ったら、もう学校には行かないから、朝のモーニングコールも迎えもいらないわ」

「どういうこと?」

 樹里の言葉にびっくりした。

「旅行から帰った次の日にアメリカに行くの」

「卒業式は?」

「出席日数は足りてるから出ないわ。だから、隆司と会うのもこの旅行で最後」

「最後」

 一瞬、涙が出そうになった。

 泣いたらダメだ。分かっていたことじゃないか。

 明るくしよう。

 明日は楽しい旅行だ。


「そう。じゃあ、明日からの旅行は精一杯楽しもう」

 僕は努めて明るく言った。

「そうね。じゃあ、明日」

 樹里は一度も僕の方を見ずにマンションの中に入っていった。

 樹里と会えるのも、あと2日。



 翌日、樹里を迎えに行くと、樹里はキャリーバッグを持って、マンションの入り口の前に立っていた。

「すごい荷物だね」

 僕はリュックサックひとつだけだ。

 樹里の荷物はどう見ても一泊旅行には見えない。

「女の子には色々荷物があるのよ」

「持つよ」

 僕はキャリーバッグを受け取ると、引っ張って歩く。

 樹里は当然と言う感じで僕の前を歩いていく。


 今日の樹里はベージュのスウェットのプルオーバーに黒のロングスカートにマキシ丈のコートを着ている。

 近くの駅から電車に乗り、東京駅に着くと、樹里が改札口を出て、八重洲口にある百貨店の地下に降りていく。

「お昼のお弁当を買って新幹線に乗ろうよ」

 樹里がそう言ってお弁当を見出す。

 ここの地下のお弁当の充実はすごいと個人的に思っている。

 樹里は『豪華トリプルミルフィーユ』というお弁当、僕は『ハンバーグ弁当』を買う。


 14時前の新幹線に乗ることにして、2人がけの指定席を買い、お弁当を持って新幹線に乗り込んだ。

 座席に座ると、僕と樹里は早速お弁当を開く。

 樹里のお弁当は上の方にカニ、ホタテ、数の子、イクラなどが載っておりすごく豪華だ。

「お魚すごく新鮮。酢飯も美味しいし、間に子持ち昆布やサーモンなんかが入って美味しい」

 樹里は満足そうだ。


 僕も自分の弁当を食べる。

 この『ハンバーグ弁当』は前から食べたいとずっと思っていた。

 ハンバーグの肉の味がしっかりして美味しい。

「美味しい?」

 樹里が聞く。

「うん」

「ちょうだい」

 いきなり箸を伸ばしてきて、ハンバーグを二つに割るとひとつを挟み、口に入れた。

「ホント、美味しい」

 満足そうに咀嚼している。僕は唖然として、樹里の顔を見た。


「なに?」

 視線に気づき、こちらを見てくる。

「いきなりびっくりするんだけど」

「いいじゃない。ケチケチしなくても」

「ケチケチはしてないけど……」

「顔が不満そうよ」

「ウン……まあー」

 食べたかったハンバーグを食べられたら不満な顔になるだろう。普通は。


「わたしの少しあげるから拗ねないの」

 自分の弁当を少し取り分けて、僕の弁当箱に入れてくれる。

「ありがとう」

 僕の機嫌も少し治る。

 弁当を食べ終わると、樹里は着くまで眠ると言って、目を瞑った。

 僕は持ってきた本を開いて読んでいたが、しばらくすると、ウトウトしてきて、いつのまにか眠ってしまっていた。


「まもなく新神戸です」のアナウンスで目が覚めた。

 横を見ると、樹里はまだ寝ている。

「樹里、もう着くよ。起きて」

「う、うん」

 樹里がやっとという感じで目を覚ます。


「新神戸、新神戸」

 アナウンスが車内に響く。スーッと新幹線が駅に入っていく。

 駅へ着くと、慌てて樹里のキャリーバッグを引っ張り、リュックを背負って降りる。

 樹里が眠そうな顔をしながら、後ろからついてくる。

 駅を出ると、タクシー乗り場に向かった。


 タクシー待ちの列の一番後ろに並ぶ。樹里はまだ眠いのか低血圧のためか凭れかかってくる。

 並んでいる間に紀夫に電話すると、ロビーで待っていると言われた。

 順番がくると、タクシーのトランクを開けてもらい、キャリーバッグを入れて、ボーっとしている樹里を奥に押し込んで、運転手さんに行き先を告げる。


 樹里はタクシーの中でもずっと目を瞑っていた。

 有馬というところに初めてきたが、ずいぶん山の上の方にあるんだなと思った。新神戸駅からだいぶ登っていく。

「はい。着きました」

 運転手さんに言われ、お金を払おうとすると、

「これで」

 と言って、樹里がカードを差し出した。

「僕が……」

「いいの。これでお願いします」

 結局、樹里が払ってくれた。


 運転手さんからキャリーバッグを受け取り、さっさと歩いていく樹里の後を追いかける。

 ホテルの玄関を入るとフロントがあり、その前に紀夫が待っていた。

「やっと来たか。待ちくたびれたよ。早くチェックインの手続きしろよ」

 紀夫が疲れたような顔をしていた。

「なんか疲れた顔しているな」

 チェックインの手続きをして、樹里と紀夫のところに戻る。

「ああ。もう2回も温泉に入ってるからな」

 それは疲れるわ。


「真紀はどこ?」

 樹里が周りを見回す。

「部屋で寝てるんじゃないかな」

 紀夫が渡辺さんに電話した。

「隆司たち来たよ。うん、うん。今から上がるよ……待ってるって。行こう」

 エレベーターに乗り、部屋のある5階で下りる。


「俺と隆司はこっちで。石野は向かいだ」

 樹里たちの部屋は僕たちの向かいみたいだ。

 樹里がノックすると、ドアが開き、渡辺さんが顔を出す。

「入って」

「うん。隆司、カバン」

 キャリーバッグを樹里に渡す。樹里はバッグを引っ張って部屋の中に入っていく。

「あれ石野のカバンだったのか?」

「そう」

「お前は召使いか?」

 それに近いかも。


 部屋に入って、荷物の片付けが終わると、夕ご飯を食べに行こうという話に紀夫となった。

 樹里たちを誘ってレストランへ下りていく。

「今日の夕食は親父に頼んで奮発してもらった。夕食代分は親父が持つから心配するな」

「どうして山崎君のお父さんが私たちの分まで出してくれるの?」

 樹里が紀夫を見る。


「俺にカノジョができた祝いだそうだ」

 紀夫も僕同様一人っ子だ。よほど紀夫のことが可愛いんだろうな。

 それにしても持つべきものは金持ちの友達だな。

 たしかに食事は豪勢だった。

 胡麻豆腐にエビや野菜の天ぷら、鯛やマグロなどのお刺身の三種盛り、神戸牛のサーロインステーキ、山菜ご飯に最後はシャーベットまで出てきた。


「フウー、もうお腹いっぱい」

 渡辺さんが満足そうに言った。

「ホント。もうこれ以上はいらない」

 樹里がお腹を撫でる。

「これからどうする?」

 紀夫がみんなの顔を見回す。

「僕は温泉に入るよ。まだ入ってないし」

「わたしもそうするわ」

「樹里が入るなら、わたしも入るわ」

「えっ、また入るの? もう3回目だぜ。大丈夫か?」

 紀夫が心配そうに渡辺さんの顔を見る。

「大丈夫よ。せっかく温泉に来たんだから」

 渡辺さんは言い張った。

「まあいいけど。俺は部屋にいるよ」

 紀夫は仕方なさそうに言った。


 僕は着替えの用意をすると、樹里に電話した。

「用意できたけど」

 温泉は大浴場になっている。僕は場所を知らないので渡辺さんに連れて行ってもらおうと思った。

「もうちょっと待って。用意できたら電話する」

「分かった」


 樹里の電話を待っていると10分ぐらいして電話がかかってきた。

「いいよ」

 廊下に出ると、樹里と渡辺さんが立っていた。

「行きましょう」

 渡辺さんが先に立って歩く。

 1階のフロントの奥に大浴場があった。

 もちろん男湯と女湯は分かれているので、入り口の前で樹里たちと別れた。


「後でね」

「先に帰っちゃダメよ。わたしたちが出てくるまで待ってなさいよ」

 樹里が睨んでくる。

「分かってるよ」

 樹里に手を振って浴場に入る。

 脱衣場にはロッカーがあり、服などを入れられるようになっている。幾つかのロッカーは使われているみたいなので、何人か温泉に入っているようだ。

 浴場の中に入ると、さすがに大浴場というだけあってものすごく広い。

 10人ぐらいの人がいるが、洗い場も30ぐらいの水栓があった。

 体と頭を洗って、湯に浸かると温泉だけあってすごく熱い。

 5分ぐらい浸かって洗い場に上がるということを3回ほど繰り返して、もう限界と思い浴場を出て着替えを済ませ、廊下に出る。

 女の人はお風呂が長いからまだいないかと思ったが、渡辺さんが立っていた。


「樹里はまだよ」

「待ってるよ」

 待ってないと確実に怒られる。

「樹里、アメリカへ行くんだってね」

 渡辺さんは窺うように僕を見る。

「そうみたい」

 他に言いようがない。

「せっかく仲良くなれたのに」

「うん」

「平気なの?」

「仕方ないよ」

 僕にはどうすることもできない。

 2人とも押し黙っていると樹里が出てきた。

「何よ。2人とも暗いわね。隆司、散歩に行こう」

 樹里が僕の腕を取る。

「真紀はどうする?」

「紀夫を呼んでお土産でも見てるわ」

「分かった。じゃあね」

 樹里と僕はホテルの建物を出た。




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