第20話 勝気なカノジョとお兄さんが謝りに来た

 樹里のお兄さんに住所を告げると、カーナビを操作して、登録してくれた。車がスーっと動き出す。


 僕は母さんに電話をしようとスマホを見た。

 いきなり樹里とお兄さんを連れて行ったらびっくりするだろう。

 さっき時間を見た時は、寝惚けていて気づかなかったが、母さんから何度も電話がかかってきていた。


 そうだ。母さんには友だちと映画を観にいくと行って家を出たきりで、夕食をいらないという電話をするのを忘れていた。

 もう7時半を回っている。うちの夕食の時間はとっくに過ぎている。

 母さんと土曜日は休みの父さんはイライラしながら待っているだろう。

 僕は慌てて母さんに電話をかけた。


「何してるの!! ご飯を食べずに待ってるのよ」

 母さんの不機嫌な声がする。

「ごめん。友だちと映画を見に行ったあと、ちょっと色々あって。今、友だちと友だちのお兄さんと一緒に帰るから」

 車の中なので、声を押し殺して喋る。


「どうして、友だちとお兄さんが一緒に来るの?」

 母さんが不思議そうに聞き返す。

「もう少しで着くから、ついてから話すよ」

 車が家の近くに来たことに気づいて、「もしもし、ちょっとどういうこと?」と喋っている母さんに構わず、電話を切った。


「もうこの辺だと思うんだけど、車を停めるところある?」

 お兄さんが聞いてきた。

 僕の家にも駐車スペースはあるが、父さんと母さんが共用で使っている軽自動車を止めたらもう停める余地はない。

 家の近くにコインパーキングがあるのでそこに停めてもらうことにした。


「隆司の家に行くの初めてだね。緊張するな」

 なぜか樹里は嬉しそうだ。雨はもう止んでいた。さっき降っていたのは、どうやらにわか雨らしい。


 コインパーキングから家までは3分ほどだった。

 僕が家のドアを開けると、玄関に母が待っていた。

「どうしたのその顔」

 僕の顔を見た瞬間、母さんの顔が曇った。


「すみません。わたしのせいです」

 樹里が申し訳なさそうに後ろから声を出した。

「どなた?」

 母さんが冷めた目で樹里を見る。


「わたし、石野樹里って言います。澤田君とはお付き合いさせてもらってます」

 樹里が躊躇いがちに言った。

「ああ、あなたが隆司のお友だちっていう人かしら。石野……さんって言うの?」

 なぜか母さんが驚いたような顔をする。


「はい。うちのバカ兄が勘違いして、隆司君を殴ってしまって。ほら、こっちにきてちゃんと謝りなさいよ」

 樹里は自分の後ろに立っているお兄さんの腕を引っ張って無理矢理前に出す。


「突然すみません。樹里の兄の幸雄です。ちょっと誤解をしてしまって……申し訳ありません」

 幸雄さんが頭を下げた。僕はお兄さんの名前を聞くのをすっかり忘れていた。幸雄さんって言うんだ。


「勘違いってどういうことかしら?」

 母さんの顔が険しくなる。

「玄関で何してるんだ。とにかく入ってもらいなさい」

 奥から父さんが出てきて、母さんに言った。


「どうぞ」

 母さんがお客さん用のスリッパを出して2人に勧めた。

「お邪魔します」

 樹里とお兄さんが恐縮しながらスリッパを履く。


「病院行かなくて大丈夫?」

 母さんが殴られた頬を撫でる。

「大丈夫だよ。まだ少し痛いけど、骨とか折れていないみたいだし」

 僕は安心させるように微笑んだ。


 ダイニングに入ると、テーブルの上には鳥の唐揚げやサラダなどが置いてある。

「どうぞ座ってください」

 父さんと母さんが座って、テーブルを挟んで置いてある2脚の椅子を樹里たちに勧める。

 僕は座るところがないので、母さんの横に立った。

「自分の部屋から椅子を持ってきたら」

 僕は2階に上がり、自分の椅子を取ってきて母さんの隣に座る。


「どういうことですか?」

 僕が座るのを見て、父さんが口を開いた。

「それが……」

「お前には聞いてない。石野さんたちに聞いてるんだ」

 説明しようとする僕を父さんが遮った。


「すみません。わたしが悪いんです……」

 樹里が説明し始めた。父さんは腕を組んで聞いていた。母さんは固い表情をしている。

「本当にすみません」

 樹里が説明し終えると、また頭を下げた。

「隆司とお付き合いしているっていうこと?」

 母さんが固い表情のまま聞く。

「はい」

 樹里がはっきりと答えた。


「いや、悪いのは俺です。勝手に勘違いして。本当にすみません。治療費はちゃんと払います。妹はなにも悪くありません」

 お兄さんも頭を下げる。


「たしかに殴った幸雄さんも悪いが、隆司も悪い。一人暮らしの女の子の家に行って、シャワーなんか浴びてたら誰でも勘違いするだろう」

 父さんが苦虫を潰した顔をした。


「うん。そうだね。僕も軽率だったと思う」

 本当に考えがなかったと思う。一人暮らしの女子高生の家にシャワーを浴びた男がいるのを親族が見たら誰でも勘違いするよな。


「陽子が高校生の時にそんな男が家にいたら、その男をただじゃおかなかったと思う。お前の行為はあまりにも軽率だ」

 妹大好きの父さんは僕の行動が許せないみたいだ。


「それはそうだろうけど、やっぱり親としては息子を怪我させられたのは許せないわ」

 母さんが不機嫌そうに言う。

「本当にすみません」

 樹里と幸雄さんが小さくなる。

 ほら、父さんが陽子叔母さんの名前を出すから母さんの機嫌が悪くなったじゃないか。

 母さんの顔を見て、父さんも気づいたのか「えっへん」と一つ咳払いをした。

「それはそうだな」

 父さんも頷いた。


「そうは言っても、隆司も自業自得っていうところもあるわね。治療費も払ってくれるというし、仕方ないわね。この話はこれぐらいでいいでしょう。ご飯はまだ食べてないんでしょう? 石野さんたちも食べて帰って」

 母さんも父さんもはっきりしている。たとえ、自分の息子でも悪いことは悪いとはっきり言う。


「いえ。これ以上ご迷惑をおかけしては申し訳ありません。謝りに来ただけですから、すぐにお暇します。帰れば、樹里が作りますから大丈夫です」

 見かけはともかく、幸雄さんは意外とちゃんとしている。


「何言っているの。遠慮することはないわ。食べていきなさい。樹里さんとも話をしてみたいわ。ねえ、お父さん」

 母さんは父さんに同意を求める。

「そうだ。食べていきなさい」

 父さんも同調する。


「今から作ったら、遅くなるだろう。いつもお弁当作ってもらっているし、食べていってよ」

 僕は樹里に言った。

「でも……」

 樹里が渋る。


「お弁当を作ってもらっている? 隆司、どういうこと?」

 母さんが聞き咎めた。口がすべった。仕方なく樹里にお弁当を作ってもらっていることを話した。


「そんなことまでしてもらっているの? ごめんなさい。樹里さん。迷惑かけているみたいで。なんで言わないの」

 許嫁がいると言われているのに、カノジョが出来たとは言えるわけがない。


「迷惑なんてことないですけど。わたしの分を作るついでですし」

 なんか樹里が緊張しているみたいだ。いつもと言葉遣いが違う。

「樹里、そんなことしているのか」

 幸雄さんがビックリしたように言う。


「隆司がそんなに世話になっているんだったら、是非とも食べて帰ってもらわないとな」

 父さんも母さんに同調する。

「兄さん。ここまで言ってもらったら、食べて帰ろう」

 樹里が諦めたように言った。


「だがなぁ……」

 幸雄さんは困った顔になる。

「まあ、そう言わず、食べていって。大したものはないけど」

 母さんがなおも勧める。


「そうですか。では、ご馳走になります」

 幸雄さんが言った。

「どうぞ」

 母さんはご飯をよそう。僕はご飯を受け取ると、唐揚げに齧りついた。母さんの唐揚げは外がカラッと揚がっていて中がジューシィーで美味しい。


「おばさん。美味しいです」

 樹里が感激したように言う。樹里の唐揚げも美味しいが、母さんも負けていない。

「おばさんって。樹里、お前……」

 幸雄さんが苦い顔をする。


「いいのよ。おばさんだから。褒めてもらえて嬉しいわ。どんどん食べてね」

 母さんが微笑んだ。

「幸雄さんは妹さんと一緒に住んでいるの?」

 母さんが幸雄さんの方を見て聞いた。

「いえ、アメリカに住んでいます」

 幸雄さんは首を横に振った。

「そうか。今は幸雄君はアメリカに住んでるんだ」

 父さんが感心したように言う。

「そうです。たまたま日本に仕事で来る用事があって樹里の家に寄ったら、息子さんがガウン1つでいるんで、ついカッとなって、すみませんでした」

「いや。分かる。分かる。妹は可愛いよね」

「可愛いです。もう樹里の小さい時は可愛くて、可愛くて」

 妹LOVEの2人は妹の話で盛り上がっていた。


「何言ってるんだか」

 一人っ子の母さんは鼻白んだ。

「幸雄さんってアメリカで働いているの?」

 僕は樹里を見た。てっきり危ない仕事をしている人だと思っていた。

「そうよ。大学を卒業してアメリカで仕事をしているの」

「大学を卒業して?」

 たしか樹里と幸雄さんは3つ違いと聞いていたような気がするけど。年齢からいったら、大学生のはずだが。


「お兄ちゃんはアメリカで中学を卒業して、飛び級で大学に行ったの。両親が日本人だから家では日本語で喋ってるけど、普段は英語だから、英語の方が分かりやすいみたい」

 飛び級なんてすごい。僕なんてやっと推薦で大学に合格したのに。

「へえ。すごいね。だから、樹里もさっきお兄さんと英語で喋ってたんだ」

 樹里はお兄さんと英語で話をしていた。

「えっ……う、うん。お兄ちゃんに教えてもらって、少しだけ私も喋れるようになったの」

 樹里の歯切れが悪い。


「お兄さん、優秀なのね」

 母さんも感心したように言う。

「そうですか? わたしはこの唐揚げを作れるおばさんの方が凄いと思いますけど」

 樹里が盛んに唐揚げを褒める。

「作り方を教えてあげましょうか? また今度いらっしゃい」

「本当? いいんですか?」

 樹里が嬉しそうだ。どうやら樹里は唐揚げの作り方を知りたいみたいだ。樹里の唐揚げも十分美味しいけど。


「母さん。いいのか?」

 父さんが心配そうに言う。心配して当然だ。僕には許嫁がいる。このまま樹里と付き合うのは許嫁に悪い。だから付き合いをやめようと僕は思ったんだ。

「大丈夫よ。お父さんにはあとで話したいことがあるの。今は私に任せて」

 母さんがにっこり笑う。

「まあ、母さんがそう言うならいいが」

 父さんも納得のいかない顔をしている。


「またいつでも隆司と一緒にいらっしゃい」

 母さんは樹里に微笑んだ。

「ありがとうございます。おばさん」

 樹里が礼を言う。

「いいのよ。私、樹里さんのことを気に入ったみたい」

「そうなの?」

 僕はビックリした。髪を染めて、ギャルメイクをしている樹里は母さんの嫌いなタイプだと思ってたけど。


「本当にすみませんでした。ご馳走にまでなって申し訳ありません。これは治療代です。足りなければ、樹里に言ってください。足りない分は樹里に送りますから」

 幸雄さんはテーブルに1万円札を置いた。

「分かりました」

 母さんは頷いた。


 僕と父さんと母さんは玄関まで樹里たちを見送りに出た。

「本当にごめんね」

 樹里は僕に謝った。

「もう大丈夫だから。また明日」

「うん」

 樹里とお兄さんは帰っていた。


「私とお父さんはちょっと話があるから隆司は部屋に戻りなさい」

「分かった」

 僕は2階へと上がった。お父さんとお母さんは何の話をしているんだろう。少し気になったが僕はそのまま部屋に戻った。

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