第21話 勝気なカノジョとクリスマス祭に行くことになった

 翌日の日曜日は家から一歩も出ずに、殴られた頬を氷で冷やしたりして、顔の腫れが引くのを待った。

 だが、1日ぐらいでは、痛みは弱くなったが、腫れはほとんど引かず、痣は残ったままだ。

 樹里のことを父さんや母さんがどう思っているか気になったが、一言も触れてくることはなかった。


「やっぱり、石野さんとの付き合いはやめた方がいいよね」

 夕食の時に、許嫁がいるということやその許嫁が春にはアメリカから来るっていう話を樹里にしているということを父さんや母さんに説明してから、僕は思い切って聞いてみた。


「別に構わないんじゃない。卒業までなら。樹里ちゃんと結婚するわけじゃないんでしょう。向こうだってどんなことしているのか分からないんだし、会うまでのことはお互いに分からないんだから」

 母さんはなんでもないことのように言う。父さんは何も言わない。


「それに隆司は女の子と付き合ったことがないんだから樹里ちゃんと付き合って、女の子に馴れてた方がいいんじゃない。樹里ちゃんは卒業まででいいと言ってるんでしょう?」

「うん」

 母さんは樹里と同じことを言った。

「だったらそれでいいんじゃない」

 父さんはどう思っているんだろう。


 僕は父さんを見た。父さんは僕の視線を感じたのか、こちらを見て肩を竦めた。

「母さんがいいというなら、いいんじゃないか」

 なんかどうでもいいっていう感じだな。


 でも、父さんも母さんもいいって言うならこのまま付き合おうかという気になってくる。

 樹里といると楽しい。そして、僕は確実に樹里のことが好きになってきている。

 このまま卒業まで付き合おう。僕はそう決心した。



 翌日、僕が起き出す前に母さんが部屋に入ってきて、まだ腫れが引かない顔を見て、車で連れて行くから病院に行こうと言った。

「大丈夫だよ」

 僕は病院へ行くことを拒否した。


「駄目よ。腫れが引かないのは心配だわ。一度病院で診てもらいましょう。そうしたら安心できるから」

 母さんはどうしても病院に連れていくと言って聞かない。

 仕方なく僕は病院へ行くことを承知した。


 6時になると、いつものように樹里にモーニングコールをする。

「おはよう。隆司」

 今日はいつもより元気そうな声をしている。


「ごめん。母さんがどうしても病院へ行けって言うから、今日は迎えに行けないんだ」

 迎えに行くようになって、樹里は遅刻をしなくなってきているのに迎えに行かないとまた遅刻するのではないかと心配になってくる。


「そうね。行った方がいいわ。こっちの方こそごめんね。本当なら警察沙汰になっててもおかしくないんだから。お兄ちゃんをよく叱っといたから、許してね」

 樹里が珍しく申し訳なさそうに言う。


「うん。迎えに行かなくても遅刻しないようにね」

「分かってるわよ」

 樹里が怒ったように言った。

「じゃあ、学校で」

 僕は電話を切った。

 あの様子だったら、1人でも遅刻しないだろう。


 学校に行く準備をしてから母さんの車で病院に行くと、どうしてこんな怪我をしたのかをお医者さんにしつこく聞かれた。


 面倒なことになるといけないので、家の階段を降りるときに、寝ぼけて足を滑らせ顔面から落ちたということにしたが、お医者さんはなかなか納得しない。

 僕があくまでも階段から落ちたと言い張ったので、最後は追求を諦めたようだ。


 レントゲンを撮ってもらったら、骨には異常がないし、歯も折れてないということで、顔にシップを貼ることもできないから特に治療は必要ないだろうと言われた。

 2、3週間もすれば治るだろうとお医者さんは言う。

 それを聞いて母さんも安心したようだ。


 病院が混んでいたので、診察が終わった時は、12時を過ぎていた。

 とりあえず病院の食堂で昼ご飯を食べてから、そのまま母さんと車で学校まで行く。

 着いた時は、5時間目がもうすでに始まっていた。


 まずは、母さんと一緒に職員室に行って、担任の先生に事情を説明する。

 もちろん先生にも階段から落ちたという話をした。

 授業の途中から教室に入るわけにもいかない。

 5時間目が終わるまで職員室で待って、終わりを告げるチャイムが鳴ると、母さんと別れて教室へ向かった。


 教室に入ると、クラスメイトが驚いたように僕の顔を見ている。

 紀夫もびっくりしたような目で僕を見た。

「どうした、その顔? 石野に殴られたか?」

 紀夫は鋭い。当たらずといえども遠からずだ。


「階段から落ちた」

 本当のことはとても言えない。

「どうして?」

「寝ぼけた」

「珍しいな。朝は強いのに」

 さすが長い付き合いだ。よく分かっている。


「まあな。紀夫こそどうした? 顔が暗いぞ」

 紀夫の顔がどんよりとしているように見えた。

「振られた」

 紀夫が突然泣きそうな顔をする。


「どうして?」

 あんなにLOVELOVEだったのに。何があったんだ。

「俺、大阪の大学へ行くじゃないか。どうしてもそれが嫌だって言われたんだ。遠距離恋愛は無理だって」

 たしかに新幹線で2時間半とはいえ、高校生にとって大阪は遠い。


「それで振られたのか」

「そうだよ。もうすぐクリスマスだっていうのに。初めてのカノジョだったのに。やってられないよ」

 紀夫は頭を掻きむしった。


「仕方ないよ。きっと大阪で新しいカノジョが出来るよ」

 僕は慰めるように言った。

「そうかな」

 チャイムが鳴り、先生が入ってきたので、紀夫は前を向いた。


 終礼が終わると、紀夫が後ろを振り向いた。

「明後日のクリスマス祭に行かないか?」

 12月に入って期末テストも終わり、1、2年生たちは終業式前日である毎年24日のクリスマスイブに行われるクリスマス祭の準備に忙しく動いている。


 3年生は僕や紀夫のようにもう進学や就職が決まっている僅かな生徒以外は自分の受験や就職のことで手一杯でクリスマス祭などには関心がない。


「なんだよ。突然。いやだよ」

 僕は首を横に振った。1、2年生の時は全員参加が義務付けられていたから参加したが、自由参加の3年生になってまで行くつもりはない。


「クリスマス祭でカップルになる率は高い。ひょっとしたら、カレシを探している女子がいるかもしれないだろう? なっ、行こうぜ」

 たしか、去年もそんなこと言ってたけど、クリスマス祭ではカノジョができなかったじゃないか。


「行かない」

 樹里がいるからカノジョなど見つける必要はないし、もともとクリスマス祭に興味がない。

「そんなこと言うなよ。そりゃあお前には、あんな石野でもいるからいいけど。俺は1人だぜ。可哀想だろう」

 そんな言い方したら樹里に怒られるぞ。


「ちょっとそれどういう意味よ」

 頭の上から樹里の声がした。いつのまにか樹里がすぐそばに立って、眉をひそめて見下ろすように紀夫を睨んでいる。


「はいはい。お邪魔ですね。俺は1人寂しく帰るよ」

 紀夫は席を立つと、さっさと教室を出て行く。

「ちょっと待ちなさいよ。『あんな石野でも』ってどういう意味よ」

 樹里の言葉を無視して肩を落として紀夫は帰っていく。


「なによ。あれ」

 樹里が不満そうな顔をする。

「紀夫、カノジョに振られたんだ」

「それで機嫌が悪いわけ?」

「そう。クリスマス祭に行こうって誘われて断ったから、余計に機嫌が悪くなったみたい」

「クリスマス祭か。行ったことないし、行ってみようかな」

 樹里が意外なことを言う。


「行ったことないって、去年は2年生だったから強制参加だっただろ」

「わたしが行ったら、クラスの雰囲気が悪くなるから行かなかったのよ」

 クリスマス祭では各クラスで工夫を凝らして催し物をする。樹里はクラスでは浮いた存在だから参加しなかったんだろう。


「それよりどうだった?」

 樹里が僕の頬をそっと撫でる。

「骨は折れてないから時間が経てば治るだろうって言われた」

「よかった」

 樹里がホッとした顔をする。


「お兄さんからもらったお金で病院代払ったから、お釣りを返すよ。お兄さんに返しておいて」

 領収書とお釣りを樹里に差し出した。

「お兄ちゃんは昨日の飛行機でアメリカに帰ったから返せないわよ」

「そうなの? 今度、会う時に返しておいて」

「もらっとくわ」

 樹里は受け取った。本当に返すか不安だが、そこは追及しないでおこう。


「仲のいいこと」

 渡辺さんが嫌味な口調で僕たちの横を通った。

「渡辺さん」

 樹里が呼び止めた。

 なんで呼び止めるんだ。また喧嘩になるのに。


「なによ?!」

 渡辺さんが険のある声を出す。

「名前なんだったっけ?」

 樹里がまるで友達のように聞く。


「なんであなたに教えないといけないの?」

「いいじゃない。教えてくれても。減るものじゃないし」

「真紀よ」

「真紀、クリスマス祭に一緒に行かない?」

 仲悪いのになんで誘ってんの。

「樹里……」

 口を挟もうとしたら樹里から鋭い一瞥を投げられた。こ、怖い。僕はおし黙る。


「なんで呼び捨てなのよ。それにどうしてあんたたちとクリスマス祭に行かないといけないのよ」

 渡辺さんは怒ったように言う。


「山崎君も来るから、真紀もどうかなと思って。山崎君、カノジョに振られたんだって」

 樹里がニンマリと笑う。何か嫌な笑いだ。紀夫が来るからって渡辺さんには関係ないだろう。


 あれ、渡辺さんが赤くなっている。

「か、考えとくわ」

 渡辺さんは真っ赤な顔で俯いた。

「そう。一緒に行くんだったら、隆司に言って」

「分かったわ」

 渡辺さんは下を向いたまま帰っていってしまった。渡辺さんはどうしたんだろう。


「わたしたちも帰ろう」

 樹里が僕の手を取った。

「そうだね」

 僕は立ち上がった。学校に来たと思ったらもう帰るという感じで、今日は学校へ何しに来たのかよく分からない。


「でも、本当に良かったわ。大したことなくて」

 樹里が僕の頬を見てホッとした顔をする。

「うん。でも、お兄さんは樹里のことが可愛くて仕方ないんだね」

 あんなに怒るなんて、よほど妹のことが可愛いんだろう。

「まったく馬鹿兄貴よ。頭がいいくせに、思い込んだらよく考えずに一直線に進んじゃうんだから」

 樹里が呆れたように言う。

「いいな。兄妹がいて」

 一人っ子の僕には樹里が羨ましい。

「鬱陶しいこともあるわよ」

 樹里は苦笑いのような顔を浮かべる。

 それを言ったらお兄さんかわいそうじゃないの?


「そうそう。スリッポンとガウンどうしよう?」

「スリッポンはあげるわ。あれ、まだ履いたことないから。ガウンは処分したわ」

「買い取ろうと思ったのに」

「あれ女物よ」

「母さんに着てもらおうと思って」

「隆司が裸で着たのを?」

 樹里が呆れたように言う。

「ちゃんとクリーニングに出してからだよ」

「隆司はマザコンだ」

 樹里が揶揄うように笑った。

「違うよ」

 必死に否定する。

「まあいいわ。マザコンのカレシでも。じゃあ、山崎君にクリスマス祭に行くって言っといて。そうね。待ち合わせ時間は10時にしましょう。その日はモーニングコールはいらないから、9時30分に迎えに来てよ。来なかったら怒るからね」

 いつのまにか樹里のマンションの前に来ていた。


「うん。分かった」

「それと隆司は制服で来て。ブレザーだからちょうどいいわ」

 樹里が手を振ってマンションの中に入っていく。

 1、2年生はクリスマス祭に制服で参加するよう義務づけられているが、3年生は自由参加なので、私服で参加していい。

 なぜ樹里は制服で来いと言ったのだろう。

 僕には分からない。


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