第2話 許嫁が気になって眠れなかった

 僕の疑問に答えるように母さんが語り出した。

「私が父さんと結婚する2年ぐらい前に隆司のお祖父さんとお祖母さんが相次いで亡くなって、高津さんが私の実家の跡を継いだそうなんだけど……」

「高津さん?」

 いきなり出てきた名前に僕は戸惑った。

「養子の人の旧姓よ」

「ああ」

 そういえば、母さんの旧姓ってなんだっけ。ずいぶん以前に聞いたことがあるような気がするけど。


「その高津さんから父さんと結婚して6年ぐらい経ってから、電話があったのよ。私の実家を継いですぐに実家のあった村に国だか県だかの何かの施設を作るとかいうことで立退かされて、今、アメリカで親戚と一緒に農園をやっているって」

 母さんが眉間に皺を寄せた。なんか本当に複雑な話になりそうだ。


「先祖代々の財産を守れなくて、大変申し訳ないので、土地やら家やらの補償金をもらった半分をくれるって言ってきたの。でも、勘当になってる私が今さらそんなものもらえるわけないし、そのとき隆司が産まれたばかりでそんな話を聞いている余裕もなかったから、『子どもが産まれたばかりでそんなお話を聞く精神的余裕がありませんし、勘当になっているのでそんなお金はいりません』って言ったのよ」

 結婚してからもなかなか子どもに恵まれず、父さんと母さんが子どもを諦めかけた結婚6年目に僕ができたということを聞いたことがある。


「そうしたら、お子さんは男の子ですかって高津さんが言うから、『はい』って答えたら、『自分にはアメリカで生まれた女の子がいるから、約束したとおり結婚させて、私の財産の半分をあなたのお子さんに譲りましょう』なんて言うから、考えるのも面倒くさくて、よく考えずに『そうですね』って思わず言っちゃったのよね」

 母さんが苦笑いをする。笑ってる場合じゃないでしょう。そんなこと言ったら向こうは了承したって思うだろう。


「そして昨日、この手紙が届いた」

 父さんが僕の前にエアメールを置いた。

 僕は前に置かれた封筒をじっと見つめた。宛名が英語で書いてある。僕は英語が大の苦手で大嫌いだが、宛先がうちであることぐらいは分かった。


「なんて書いてあったの?」

 父さんを見た。ひょっとしたら、農園経営に失敗してお金を返せなくなったから結婚の話もないことにしてくれとでも書いてないかと思った。


「アメリカで成功したので、自分の財産の半分を譲るから、約束どおりおまえと自分の娘を結婚させようと書いてあった。おまえのお祖父さんにそう誓ったから必ず結婚させようと」

 僕の期待は見事に裏切られた。どうやら筋を通す人みたいだからなにがなんでも僕と自分の娘を結婚させる気みたいだ。


「その娘さんは来年の春、高校を卒業するから、こちらに連れてきて、おまえと結婚させるつもりだとも書いてあった」

 僕も今3年生で来年の春には高校を卒業する予定だ。どうやら同じ歳のようだ。


「えーっ、来年の春といったら、今は、10月だから、あと半年もないじゃないか」

 いくら許嫁とはいえ、そんなすぐに結婚しないといけないとは思っていなかった。

 結婚するにしても少なくとも大学を卒業して、就職をしたあとぐらい、まだ4、5年ぐらいはあると思っていた。


「そんな見たことも会ったこともない子といきなり結婚しなくちゃ駄目なの?」

 僕の知らないところで祖父や親が勝手に決めたことなのに僕がそれに従わないといけないのだろうか。


「昔は顔も知らない許嫁と結婚するということはよくあったみたいだからな。許嫁ってそんなもんだろう」

 父さんは無責任なことを言う。今はもうそんな時代じゃないでしょう。


「僕はそんなの嫌だな。しばらく付き合ってお互いのことをよく知ってから結婚するかどうか決めるっていうことはできないの?」

 どんな顔で、どんな性格かも知らない女の子といきなり結婚しろと言われても困る。相手の子もそんな結婚は嫌じゃないのかな。


「うん。その気持ちはよく分かる。そうだな。そう手紙を書いてみるか」

 お父さんが同調してくれた。

「でも、あなた。隆司とそのお嬢さんが付き合うとしてどこに住んでもらうの?」

「えっ?」

 父さんはびっくりしたように母さんの顔を見る。


「だってそうでしょう。隆司と結婚するなら同じ部屋でいいから当然この家に住んでもらうけど、付き合うだけなら結婚するかどうかも分からないんだから、この家に住んでもらうわけにはいかないでしょう。そもそも部屋がないんだから」

 僕の家は2階建てで、1階は風呂場、トイレ、キッチン、ダイニング兼リビングと父さんと母さんの寝室があり、2階はトイレと僕の部屋と倉庫代わりに使っている納戸があるだけで他に部屋はない。


「たしかに」

 父さんは渋々頷く。

「ご両親は日本人だから日本語は喋れるだろうけど、外国から初めて日本に来る女の子を環境も文化も違うところで一人暮らしをさせろって言うつもり?」

「それは……」

 父さんは母さんの正論に反論できないでいる。

 確かにお母さんの言うことは正しい。僕もそんな薄情なことを言う気はない。


「もし、どこかに部屋を借りて住んでもらうとしてもその費用はどうするの? 結婚するなら、財産の半分をくれると言っていたけど、そうじゃないともらえないんだから。向こうは結婚させる気で来るんだから、きっとそんな費用は出してくれないわよ。部屋を借りる費用とかその子の生活費はどうするの? うちにそんな余裕はないわよ。隆司、大学行くのを諦めて、就職して出してあげる?」

「うーん……」

 今度は僕が言い淀む。それなら結婚するのと変わらないじゃないか。


「あなたは私の父と約束をしたのよ。念書まで書いて。私も電話がかかってきたときに了承するようなことを言っちゃったし。それに私のこともあるから、よほどのことがない限りこちらから断るっていうのも……。もしも、陽子さんがそういう立場になったら、あなたどうするの?」

 陽子さんというのは父さんの3歳年下の妹、つまり僕の叔母さんだが、お父さんはこの妹が可愛くて仕方ない。

 陽子叔母さんは結婚しているが、父さんが大学生の時に両親を交通事故で亡くしたためか恋人同士かと思うぐらい今でも仲が良い。


「そんなことは許さん」

 父さんは妹のことになったら人が変わる。

「じゃあどうするの」

 母さんが少し冷めた表情をした。

 母さんは父さんと陽子叔母さんがあまりにも仲が良すぎるので、よく嫉妬している。

 だから、母さんは陽子叔母さんのことがあまり好きではない。


「隆司、結婚しなさい」

 父さんが命令口調で言った。

「えーっ」

 僕は気持ち的には納得できないが、よく考えると、母さんとの婚約話は反故にされ、さらに僕と娘のことまで一方的に断られたら、相手の人はそりゃあいい面の皮だろう。

 親の因果が子に報うという言葉を前に学校で習った。

 仕方ない。僕は納得するしかないと思った。


「だけど、必ず結婚しないといけないと決めつけなくてもいいわよ。向こうがお前のことを嫌って断ってくるかもしれないし」

 母さんが慰めるように言う。相手の子には断る権利があるんだ。僕にはないけど。

「そ、そうだね」

 僕は顔を引きつらせた。母さんは僕が向こうに嫌われるような人間でもいいわけね。

「それにひょっとしたら相手の女の子がすごい美人で隆司も気に入るかもしれないじゃない。どれくらいくれるか分からないけど、財産もくれると言うし、そしたらこの家のローンも払えるし、隆司も楽して暮らせれるの。いいことづくめじゃない」

 母さんがあまりにも即物的なことを言う。


 東京23区ではない郊外の築20年の小さい家とはいえ、東京の家は高い。父さんの公務員の給料では35年ローンを払うのは母さんもなかなか大変なんだろう。

 その上、来年うまくいけば僕は大学生になる。その学費のことを考えれば、頭が痛くなってくるに違いない。

 お金は喉から手が出るほど欲しいだろう。

 だが、そんな母さんの気持ちも分かるが、自分は会ったこともない人と結婚するのは嫌だと言って、両親も家も財産も捨てて、愛を取ったくせに金に目が眩んで息子を売るようなことをよく言えるもんだ。

 時は、人を変えるものだ。



 夜、ベッドに入ったが、許嫁のことが気になってなかなか寝付けなかった。

 どんな子だろうか。美人だろうか。気は強いんだろうか。色々な想像が頭の中に渦巻いていく。


 明日も学校だから、早く寝ないと遅刻してしまうと焦れば焦るほど余計眠れなくなってくる。


 生まれてから非モテ期がずっと続いて、顔も身長も標準以下でカノジョなんかできるはずがないとずっと思い続けてきた僕が、初めて許嫁というカノジョができるかもしれないと思うと、妄想が止まらない。


 いろんな顔や容姿を想像しては妄想を膨らませる。そんなことをしているうちにいつの間にかウトウトし始めて夢を見た。


 まだ小学生だった頃に読んだ『安達ヶ原の鬼婆』の本の挿絵に書かれていた鬼婆が夢の中に出てきて、『私がお前の許嫁よ。早く食わせろ』と言って追いかけてきた。

 僕は必死に逃げたが追いつかれ、後ろから掴まれ倒されて、鬼婆が大きな口を開けて、頭から食べられそうになった時、目が覚めた。


 寝汗をグッショリ掻いている。許嫁のことを気にし過ぎだから、こんなとんでもない夢を見てしまうんだ。

 こんなことをしてたら明日起きれなくて遅刻してしまう。


 時計を見ると、まだ3時だ。もう一度寝ようとするが、何度も寝返りを打って一向に寝付けない。


 寝れないのなら、無理せず、いっそうのことこのまま起きておこうと思うと、いつの間にか瞼が重たくなり、意識が遠のいていった。

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