第10話 勝気なカノジョに課題を与えられた

 6時にセットしておいた目覚まし時計のアラームが鳴ったので、樹里へ電話をかける。


 何度か呼び出し音が鳴って樹里のいつもより気だるそうな声が聞こえてきた。

「はい」

「起きた?」

 寝ボケたようにも聞こえる声にちゃんと起きているか確認した。

「うん……なんとか」

 明らかに調子が悪そうな声をしている。どうやら低血圧というのは嘘ではなさそうだ。


「大丈夫? 相当具合悪そうだけど。今から行って、お医者さんに連れて行こうか? 救急のあるところなら見てくれると思うけど……」

 調子の悪そうな声に心配になる。


「大丈夫。薬を飲んだからもう少しすれば、良くなると思うわ。それより絶対に迎えにきなさいよ」

 調子が悪そうなわりには命令口調だ。


「分かった」

 本当に大丈夫なのか心配だったが、今、樹里の心配をしても仕方ない。行った時にあまりにも調子が悪そうだったら休んだらどうかと言ってみようと思う。


 僕は電話を切ると勉強を再開した。やはり朝の方が調子がいい。

 学校推薦の入試まで1カ月を切っている。

 入試が近いので、国語の先生に頼んで、3日に1題の割合で出してもらっている小論文の問題を3日かけてじっくり答案を作成して、新しい問題と引き換えに渡す。

 先生は書いた答案を読んでくれ、添削をしてくれる。

 今が正念場だ。小論文と面接だけだが気は抜けない。


 もちろん学校推薦で落ちる可能性もあるので、一般入試用の勉強もしているが、なんとか学校推薦で合格したい。


 樹里に気分的に振り回されてばっかりはいられない。

 母さんがご飯ができたと呼びにくるまで小論文に取り組んだ。


 ご飯を食べ終わるとついているテレビをしばらくボーっと見てから、学校へ行く準備をして玄関に出て靴を履く。


「なんだ。今日は早いんだな」

 トイレから出てきた父さんが玄関にいる僕を見て言った。

「あら、もう出かけるの」

 母さんも玄関に出てきて、僕の背中に声をかけてくる。

 いつもより10分ほど早い。


「うん。学校でちょっとしたいことがあるんだ」

 樹里の様子からすると、どれぐらい待たされるか分からない。いくら無遅刻無欠席が途切れたとはいえ、遅刻をするのは嫌なので早めに行った方がいいと思った。


「そう。これから毎日なの?」

「うん。たぶんそうなると思う」

 樹里が嫌がらせをすることに飽きて振られるまでは続けないといけないだろう。

 約束だから。


「そう。だったら、これからもう少し早くご飯の用意をしないと駄目ね」

「うん。ごめんね」

「何も謝ることはないわよ。10分ぐらいどうってことないわ」

 母さんは笑った。

 母さんに嘘をついていることは心苦しいが仕方ない。

 まさか母さんに嫌がらせで付き合わされているカノジョがいるとは言えない。


「行ってきます」

 僕は家を出ると、樹里のマンションに向かった。

 マンションに着くと、樹里の部屋の番号を押し、呼び出しのボタンを押す。


 なかなか返事がない。

 部屋番号を間違えたのではないだろうか。

 ちゃんと昨日見た番号を押したつもりだが、見間違えたということもありうる。

 あるいは樹里が部屋の中で倒れているのではないかと不安になってくる。

 なかなか応答がないので、もう1度呼び出しを押そうかそれともスマホに電話しようか悩んでいると、「はい」と言う声がやっと聞こえてきた。


「澤田だけど」

「見えてるわ。そこでもうちょっと待ってて」

 たぶん部屋の中のモニターに僕の姿が映っているんだろう。

 樹里の出てくるのを待つしかなかった。


 女性専用マンションだから当たり前だが、出てくる人はみんな女性で、ほとんどの人がチイちゃんの時と同じように胡散臭げな目で僕を見つめて歩き去って行く。

 僕はだんだん居たたまれなくなってきた。

 外に出て待とうかなと思った時にようやく樹里の姿が見えた。


「行こう」

 樹里は僕の横に立つと、いきなり手を握り、引っ張るように歩き出す。

「体調は良くなったの?」

 電話の感じではかなり調子が悪そうだったが、今はさほどでもないようだ。


「薬が効いてきたみたい。さっきより調子はいいわ」

 そう言うわりには僕の方に体を少し凭れさせてくる。樹里のほうが背が高いので結構支えるのに力がいる。

 まだ、本調子ではないのだろうか。


「そう。良かった。安心したよ」

「毎日じゃないけど、朝は起きれなくなることがあるのよね。薬を飲んでも効きが悪い時もあるし」

「大変だね」

 歩く速度も僕と同じぐらいなので、大丈夫そうだ。


「ところで、私をいつまで車道側を歩かせる気なの? 自分が車道側を歩いてか弱いレディを守ろうとは思わないの?」

 車道側を歩いている樹里が文句を言う。とてもか弱いレディに見えないけど。

「ああ、ごめん」

 僕は慌てて樹里と場所を入れ替わった。また、怒られた。


 時計を見るとまだ8時10分だ。ここから学校まで15分ぐらいだからゆっくり歩いても間に合う。


「隆司の家は朝はテレビを見るの?」

 家の食堂にはテレビが置いてあるから食事の時は必ずテレビはついている。

「見てるけど……」

「私も朝はテレビを点けて、いつもは情報番組を見てるんだけど、今日、たまたまテレビ点けたらニュースをやっていたのよ」

 うちは父さんが見るからだいたい朝はニュース番組がついている。


「それで?」

 樹里が何を言おうとしているのか分からない。

「もうチャンネルを変える気力もなかったからそのまま見てたんだけどさ。全然言っていることが分からないのよ」

「僕もそういうことよくあるよ。見ていて用語とか分からなくて父さんにどういうことって聞いたりするけどね」

 学校で習っていることは分かるが、政治とか経済のニュースを聞いていてもなんのことかさっぱり分からないなんていうことはよくある。


「そうだよね。でも、私ってバカだからさ。それが沢山あるのよ。テストの成績も赤点ギリギリばっかりだし。カノジョがあんまりバカだったら恥ずかしいでしょう?」

 そうだな。やっぱり恥ずかしいかな。でも、あのお下げの女子は樹里のことを頭がいいって言ってたけどな。


「そうだね」

「隆司の家は新聞を取っている?」

 今度は新聞の話?

「取っているよ」

 朝、母さんが郵便受けから取ってきて、父さんがいつも読んでいる。

「隆司も読んでるの?」

「時々ね」

 父さんが読んだ後、食卓においてあるのをたまには読むことはある。


「毎朝、新聞を読んで私に書いてあったことを話してよ。テレビ番組とかスポーツとかは、いらないからさ。政治とか経済とか社会面とかで、隆司が気になった記事のことを話してよ」

「ええー、時間が……」

 小論文の書き方の練習だけでも大変なのにその上、毎朝、新聞を読んで話をしようと思ったら、その記事の内容をある程度自分で理解しないとできない。

 そんな余裕は今はない。


「可愛いカノジョが頼んでいるんだから、それぐらいしてもいいんじゃない? 朝早く起きてるから暇でしょう? 新聞を読むぐらいそんな何時間もかからないでしょう?」


 樹里が目を細める。きつめの美人顔が目を細めるとなかなか迫力がある。

「分かったよ。僕が興味のある記事でいいんだよね」

 樹里の迫力に負けた。

「それでいいわ」

 樹里がニコッと微笑む。笑った顔は本当に美人だと思うが、口は悪いし、性格も悪い。


 これからも付き合わないといけないと考えると気が重くなる。

 二人で手を繋いだまま学校のすぐ近くまで来ると、心なしか登校してくる生徒たちが驚きの目で見ているような……。


 そりゃあ樹里と僕じゃ釣り合いが取れないから当然といえば当然だが。

 僕は気恥ずかしくなり手を離そうとしたが、樹里が離さない。

 生徒指導の先生がいつものように校門の前に立っていた。


「石野、珍しいな。今日は余裕じゃないか」

「当たり前だよ。カレシが迎えにきてくれたんだもん」

「カレシ?」

 生活指導の先生が訝しげに僕の顔を見る。

「澤田。お前、何か石野に弱みでも握られているのか?」

「いえ、別に」

 僕は首を横に振った。


「先生、どういう意味よ!!」

 樹里が今にも噛みつきそうな顔をした。

「澤田、相談ならいつでも乗るぞ」

 先生はニヤニヤしながら僕に向かって言う。

「はい。先生。その時はよろしくお願いします」

 僕は頭を下げると、今にも飛びかかりかねない顔をしている樹里を引っ張るようにして校門を離れた。


「ちょっと先生。まるで私が隆司を脅かしているみたいじゃない。ちゃんと付き合ってるんだからね」

 いまだ怒りの治らない樹里は先生に向かって怒鳴っている。

「ちょっと落ち着きなよ」

 僕は樹里をなだめるように言った。

「ホント腹たつ。隆司も何よ。あの言い方。私が脅してるみたいじゃない」

 似たようなものだけど。

「ハハハハハ」

 僕は乾いた笑いをする。

「明日も迎えにくるのよ。忘れたら怒るわよ」

 樹里が僕をじっと見つめる。本当に目が怖いんですけど。

「大丈夫。忘れないよ」

 忘れたらただで済みそうもない。

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