第五話「追撃の暴君」
01.選択
――ドラゴン。
神々と同時期に、この地上に現れたとも言われる存在。地方によっては、ドラゴンこそが真の神であると崇める連中もいるらしい。
その鱗はどんな鉄よりも硬く、その爪は
その吐息は灼熱の炎や猛毒を伴い、知恵あるドラゴンは人間とは比べ物にもならない強力な魔法さえ操る。
この地上で最強の生物。それがドラゴンだ。
ヴァルドネルとの決戦の少し前、俺達はこの地下迷宮で
小型竜は通常、ドラゴンの幼生――つまり子供である事が殆どだが、俺達の戦った小型竜は一味違った。
本来、小型竜の知能は大して高くない。精々が野の獣程度だ。
しかし、俺達が戦った小型竜は、人間と同じ言葉を話し、魔法(竜魔法と呼ばれる、人間の使う魔法とは全く別系統のものだ)さえ操った。噂に聞く「上位竜族」とやらかもしれない。
加えて、「小型」竜とは言え、象よりも一回り大きな図体を持っている。強敵という他ない相手だった。
だが、文字通り死力を尽くし、俺達は小型竜を仕留めたはずだった。
奴の死を確認したのは、他ならぬ俺だ。心臓は完全に停止していて、魔力の波動も感じなかった。
完全に死んでいたはずだが、もしやこの地下迷宮にはもう一体ドラゴンがいたのか……?
「――今、グンドルフさんとダリルさんが足止めしてるけど、とても太刀打ち出来ないわ!」
例の隙間に顔を突っ込んだ状態のリサが、こちらに呼びかけてきた。俺も、隙間に顔を突っ込んでそれに応じる。
「……待て、リサ。そちらにはダリルもいるのか?」
「当たり前じゃない! 下層で一度話した時の事、もう忘れたの? この非常時に変なこと言わないで!」
――やはり、リサ達の側にはダリルも合流しているらしい。
となると、俺の中にある「リサとグンドルフの二人だけだった」という記憶は、やはり疲労や混乱が見せる幻なのか……?
「とにかく時間がないわ! 私は二人の援護に行くけど、ホワイト達は先に第二層に向かって! こっちはなんとかドラゴンから逃げ切ってみせるから! 第二層まで行けば、ドラゴンもそうは追ってこられない……アーシュさんとドナールさんも無事なんでしょう?」
「ああ、アーシュもドナール卿も無事だ! でも、そちらは三人で大丈夫なのか? 第二層から迂回すれば、俺達も援護に行けるかもしれないぞ!?」
ドラゴン相手では、逃げの一手を打つのも難しいのではないか。そう思った故の提案だったのだが、何やらリサは「え、呼び捨て……? え?」と戸惑い気味の表情を浮かべていた。
一体どうしたのだろうか?
「――ああ、もう! とにかく、こっちはこっちで何とかするから! ホワイト達は第二層より先のルートを確保しておいて! ……下手に助けに来られたら、かえって全滅なんて事も有り得るんだから!」
――そう言い残して、リサは去っていった……と思ったら「言い忘れてた!」と、すぐに引き返してきた。
「――、――」
「――え?」
リサは、こちらに何かを叫んでいるように見えたが、声は全く聞こえなかった。口をパクパクさせただけで……。
いや、違う。あれは――。
「ホワイト君。リサちゃんは、最後なんて言ってたの? 私、全く聞こえなかったんだけど……」
「――『三人とも気を付けて』って。流石のリサも、疲れが溜まってて大声が出なかったみたいだ」
――アーシュに尋ねられ、とっさに嘘をついた。
実際にリサは、口をパクパクさせていただけだったのだ。声は全く発していない。
先程のリサの口元の動きは、壁の隙間に顔を突っ込んでいた俺にしか見えていなかった。リサはその事を利用して、口の動きで俺だけにある言葉を伝えようとしていたのだ。
『ドナールさんに、気を付けて』
リサの口の動きは、確かにそう伝えていた。
「ドナールに気を付けろ」とは、一体どういう意味だろうか?
文字通りに捉えれば、彼に何か下心があって、俺達を裏切ろうとしている――ようにも受け取れるが……ドナールに限って、そんな事があるはずがない。短い付き合いだが、俺はアイン以外で彼ほど高潔な人物を見た事がない。
ちょっと抜けた所もあるが、それも含めて、彼は尊敬出来る人間だった。
だが、リサはこんな切迫した状況下で、いい加減な情報を伝えるような娘ではない。何かしらの根拠があるはずだ。
「――ホワイト君、どうしたのかね? 顔色が悪いようだが……」
どうやら、考え込んでいるのが少し顔に出てしまっていたらしく、当のドナールから心配されてしまった。
……そんな彼の様子に、不審な点は感じられない。
盗賊家業をやらされていた時は、沢山の「汚い大人」を見てきたものだ。
人を騙し、自分だけが利益を得ようとする、欲の皮の突っ張った連中。そういった連中は、最初は「いい人」の顔をして近寄ってきて、こちらを騙そうとしてくる。
だが、目の色までは誤魔化せない。熟練の詐欺師でさえ、覆い隠せぬ欲ボケした目の色を持っているものだ。
ドナールの目は、違う。心の澄んだ人間のものだ。
我欲の為に他人を陥れようとする人間のものでは、断じて無い。リサは、なんであんな事を伝えてきたのか……。
「……いえ、リサ達が心配で。いくらあの三人でも、ドラゴン相手に無事逃げ切れるかどうか」
ドナールの瞳を正視出来ず、俺はリサ達を心配している素振りを見せて誤魔化した。
……まあ、心配しているのは本当なので、嘘はついていないのだが。
「……そうね。もしあちら側に現れたドラゴンが、私達が以前戦ったのと同じ個体だったら……通路も広くて天井も高い、この第三層での戦いは不利だわ」
――大切な事を黙っているようで、アーシュに対しても少し罪悪感が湧いた。
だが、それをひた隠し、俺は頷いてみせた。ドナールへの疑惑よりも、今はリサ達の事だ。そう考えて気持ちを切り替える。
今、アーシュが言った通り、この第三層は通路も広く天井も高い。
元々、この地下迷宮自体、他の古代遺跡と比べ広い通路を持っているのだが、それに輪をかけて、だ。ドラゴンの図体でも、自由に動き回れるほどに……。
幾つかの階層でも、同じように通路が広く設計されていた。今考えると、あれはドラゴンの移動を考慮したものだったのかもしれない。
その一方で、すぐ上の第二層の通路はあまり広くない。
第三層から第二層に上がる階段も、ドラゴンが通るにはやや狭すぎる。リサの言っていた通り、第二層まで逃げ切れれば、十分に活路はあるのだ。
だが、それも逃げ切れれば、の話だ。
「第二層へ急ごう。手遅れになる前に、リサ達を援護に行かないと!」
「ええ、行きましょう! 皆でこの地下迷宮を脱出するのよ!」
俺とアーシュが頷きあう。
もしかすると、リサが言っていたように俺達が助けに行く事で、逆に全滅の危険は増すかもしれない。相手はドラゴンなのだ。万全の状態ではなく、リーダーであり最大戦力でもあるアインを欠く俺達には、危険すぎる相手だった。
だが、仲間を囮にして自分達だけ逃げ出すような真似は、したくなかったのだ。俺も、アーシュも。
しかし――。
「……ドナール卿?」
ドナールだけが何故か、表情を曇らせ沈黙を保っていた。どこか苦しそうな、悩ましそうな、そんな顔をしている。
だが、俺とアーシュが怪訝な表情を向けると、一転して「いや、失敬。そうだな、彼らを助けに行かねば」と、ようやく同意を示してくれた。
――その後、第二層へは驚くほどあっさりと辿り着いた。迷宮の罠も魔物も打ち止めなのか、殆ど姿を見せず、何とも拍子抜けだ。
第二層もかなり酷く崩壊が進んでいたが、幸いにして殆どの通路は無事だった。第三層へ続くもう一つの階段へも、思ったよりも早く辿り着く事が出来た。
だが――。
「くそ! よりにもよって、ここだけ!」
――そこには、壁に穿たれた穴から下りの螺旋階段が伸びているはずだった。
しかし、階段の入口たる壁の穴が、天井から落ちてきたであろう、大きな石によって塞がれてしまっていた。
ドナールの体よりも一回りも二回りも大きな石だ。協力すれば、ギリギリ動かせない事はなさそうだが……。
「ここは私に任せたまえ!」
時間もない中、さてどうやってこの石をどけようかと俺が思案していると、ドナールが一歩進み出て、その巨石を動かしにかかった。
「ふんっ! ぬぬぬぬっ!! ふんっ!!」
気合の叫びが辺りに響く。
いくらドナールでも一人では無理だろう――そう高をくくった俺の予想とは裏腹に、巨大な石はズズッ、ズズッと鈍い音を立てながら少しずつ動き始めた。ドナールの怪力恐るべし、だ。
「――ふうっ、こんなところかな?」
人が一人通れる程度の隙間が空いた所で、ドナールが巨石を押す手を止めた。これならば小柄なアーシュだけでなく、ドナール本人も十分に通り抜けられるだろう。
だが――。
「ぐっ……!」
「ドナール様!?」
突然、ドナールがうめき声を上げながら膝をついてしまった。
慌ててアーシュが駆け寄る。が、ドナールはそれを手で制する。
「すまない、どうやら少々頑張りすぎたようだ……。少し息が上がっただけだ。すぐ動けるようになるさ」
しかし、ドナールの状態は傍から見ても尋常ではなかった。額には大量の脂汗をかき、顔色も真っ青だ。
「ドナール卿、どうか無理は――」
「いや、本当に大丈夫だ。少しすれば落ち着く……。とは言え、リサ君達の状況は一刻を争うだろう。ホワイト君、アーシュ殿。私の事はいいから、先行してくれたまえ。――すぐに追いつく」
――その時、ゾワリっ、と背中に寒気のような感覚が走った。
違和感、と言えばいいのだろうか? 今までのドナールの言動には感じた事のない、「何かがおかしい」という感覚だ。
元盗賊としての俺の勘がそう告げているのか。それとも、先程のリサの伝言のせいで
――ドナールが今ずらしてくれた巨石を、次いでドナールを心配そうに見つめるアーシュの姿を、そして最後にドナールの表情を、見る。
……俺は、どうするべきか。俺は――。
「……アーシュ、ドナール卿についていてくれ。姿は見えないが、まだ魔物が潜んでいるかもしれない。ドナール卿をこの状態で一人にするのは……危険だ。俺だけで先行する」
「……分かったわ。どうか、気を付けて」
俺の言葉に嘘はない。
満足に動けないドナールをこの迷宮で一人するのは、空腹の獅子の檻に子鹿を放り込むようなものだ。恐らくは、アーシュもそういった意味で受け取っただろう。
だが、俺が意図したもう一つの意味は、恐らく全く伝わっていないに違いない。
正直、半信半疑だが――ドナールは俺達に何かを隠している。
リサの伝言と先程の違和感。根拠は二つだけだが、俺はそれを無視すべきでないと感じていた。
かと言って、ドナールを完全に不審な目で見る事も出来ない。彼の負った傷の重さは俺もよく理解しているし、短い付き合いだが、その人となりも知っている。
だから、俺は「念の為」の監視役としてアーシュに残ってもらう事にしたのだ。
アーシュとドナールは遠縁の親戚であり、親子か兄妹かと思える程に仲が良い。ドナールが何か企んでいたとしても、まさかアーシュまでも
――多分、俺の考えは甘い。
万全を期すのならば、やはりドナールから目を離すべきではない。アーシュにしても、ドナールと親しいわけで、実は二人で共謀して俺を騙そうとしている可能性も、ゼロではない。
だが、それでも俺は信じたいのだ――この地下迷宮で
グンドルフが、男女見境なく年若い門徒に手を出すような生臭坊主だって?
なに、人の性癖はそれぞれだし、噂に尾ひれが付いただけかもしれない。俺は、この地下迷宮での冒険で、彼が常に仲間達の身を案じ、時にそれを庇い、前線で勇敢に戦ったその姿を覚えている。
ダリルと再会した時の記憶が怪しい?
俺の記憶違いだろう。面倒見が良くパーティーのムードメーカーだった彼に、どれだけ救われたことか!
ドナールが何かを企んでいる?
常に仲間達の盾となり、最も死と隣り合わせの場所に立っていた彼を信頼しないで、一体誰を信じろというのだ!
きっと、これこそがヴァルドネルの最後の「試練」なのだ。
不自然に食料諸々だけ失い、バラバラの場所に落とされた俺達。
パーティーの要であるアインは不在。
出口までの道が、残っているのかどうかも分からない。
そんな極限状態の中でも、俺達が互いを信じられるか。協力して困難に立ち向かえるか。
迷宮が崩壊して以降、俺達はそんな試練のただ中にあったのだ。
――だったら、その試練を乗り越えてやろうじゃないか!
「――行ってくる。必ず、全員でここを脱出するぞ!」
アーシュとドナールの返事を待たずに、俺は巨石の脇をすり抜けて階段へと向かう。
幸い、下りの螺旋階段は崩壊を免れているようだ。まだ生きている罠や魔物の不意打ちを警戒しつつも、ほぼ全力で駆け出す。
――絶対に全員で脱出してやる。再び心の中で、そう誓う。
だが、その俺の想いは、程なく打ち砕かれる事になる。絶望は、もう俺達のすぐ近くまでやって来ていたのだ――。
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