02.彼の騎士道

 ――ダリルを抱えたまま、俺達は第一層への上り階段を進んでいた。


 ドラゴンゾンビにはまだ動いた気配はないが、一度動き出せばすぐに追いつかれてしまうだろう。

 リサと二人がかりとは言え、大柄なダリルを抱えていては、そうそう速くは進めない。ダリルに意識があればまだマシなのだろうが、意識が無く脱力した人間を運ぶのは、かなりの骨だった。


 おまけに俺は、グンドルフの形見となった戦槌を携えたままだ。正直かなりの負担だが、捨てるわけにもいかない……。


「……ホワイト。ダリルさん、大丈夫だよね? 脱出、間に合うよね?」


 リサが泣きそうな声で俺に問いかけたが、それに答える言葉が見つからなかった。それ程に、ダリルの火傷の具合は酷い。たとえ、応急処置用の道具を持っていたとしても、焼け石に水だろう。

 それこそ、グンドルフのような高位の神官でなければ、手の施しようがない……。

 俺の心に深い絶望が去来した、その時だった。


「……てけ……」

「ダリルさん!?」


 意識を取り戻したのか、ダリルが何やら呟き始めた。


「ダリル、今はしゃべるな。とっとと出口まで辿り着いて、それで――」

「……おい、てけ……」

「――っ」


 なんて事だ。ダリルは「自分を置いてけ」と言っていたのだ。足手まといだから、置いていけ、と。

 そんな事、出来るはずがない。「最後まで見捨てないぞ」と、そうダリルに呼びかけようと口を開く――が。


『GRUUUUUUUUUU!!』


 そんな俺の想いをくじくかのように、背後からまた例の気持ち悪い咆哮が響いてきた。

 ついで、ミチリミチリという鈍い音が軽い振動と共に辺りに響く。どうやら、ドラゴンゾンビが行軍を再開したらしい。


「……はや、く。おい、つかれるぞ……」

「黙ってろ! リサ、急ぐぞ!」

「りょーかい!」


 リサの力強い返事を確認してから、俺達は更にペースを速め階段を上っていく。

 背後からはドラゴンゾンビが這いずる怪音。その響きから、どんどんと距離を詰められている事が窺える。

 第一層まではもうすぐだが、このままでは第一層に辿り着いて程なく追い付かれるだろう。


 それでも、ひたすらに進むしかない。

 最早リサの魔力も底を突きかけており、俺達にはドラゴンゾンビを足留めする手段もない。

 こんな時、アーシュがいてくれたら……そんな考えが頭をよぎるが、未だ彼女とドナールの背中は見えない。このままでは、彼女達に追い付くよりも先に、ドラゴンゾンビに追い付かれる。


『GRUUUUUUUU!!』


 ドラゴンゾンビの咆哮がすぐ背後に迫っていた。階段はもうすぐ終わり。その先は待望の第一層だ。

 ヴァルドネルの言葉を信じるならば、この迷宮の入り口であった転送魔法陣が、そのまま出口となっているはずだ。

 あと少し、あと少しなのだ――。


「ホワイト、第一層だよ!」


 リサの明るい声に前方を見やると、遂に階段は終わり、第一層の入り口が見えてきた。あと少し、あと少しで――。


「GRUUUUUUUUU!」


 ――その咆哮は、本当にすぐ後ろから響いてきた。

 ――見てはいけない。そう思いつつも、そっと後ろの様子を窺う。するとそこには……。


「GRUUUUUUUUUU!」


 ドラゴンゾンビの醜悪極まる顔が、俺達のすぐ背後にあった。


 ――打つ手はない。

 あと少しドラゴンゾンビが口を開いて、その身をよじれば、俺達は一瞬にして食われてしまう。……ここで終わりだ。

 せめて、リサだけでも逃がしてやらねば――刹那、そんな考えが巡りリサの背中を突き飛ばそうとした、その時――。


氷の壁よパレ・デ・イェロ!』


 古代語エンシェントの響きと共に、突如として俺達とドラゴンゾンビとの間に

 今にも俺達に迫ろうとしていたドラゴンゾンビの醜悪なツラが、氷の壁に激突し鈍い音を立てる。

 これは――。


「ホワイト君、急いで!」


 ――声が響く。

 女性の声だ。見れば、いつの間にやら第一層の入り口に何者かの人影があった。

 俺の首から下げた輝石の光によって、薄ぼんやりと照らされた、全体的にダボっとしていながら女性的なそれを感じさせるシルエット。あれは……。


「――アーシュ!?」

「早く、『氷の壁アイスウォール』一枚じゃ持たないわ! 重ね掛けして時間を稼ぐから、とにかく早く上がって来て!」


 ――俺達が第一層に辿り着くと、アーシュはすかさず「氷の壁アイスウォール」の魔法を重ね掛けし、階段の出口付近を氷の壁で完全に塞いでしまった。

 その向こう側では、ドラゴンゾンビが氷の壁を突き破ろうと体当たりを食らわせているが、しばらくは持つだろう。炎の吐息もある程度なら耐えられるはずだ。


「さ、今の内に。色々話したい事もあるけど……まずはドラゴンから距離を取りましょう」

「……分かった。行くぞ、リサ。……ダリル、すまんがもう少し頑張ってくれ」


 俺の言葉に、リサは静かに頷き、ダリルも「しかたねぇな……」と、すっかりしわがれた声で返事をした。

 俺達はそのまま、アーシュの先導で歩き始めた。


 第一層は第二層と同じく、酷く崩壊が進んでいた。

 アーシュの話では、一部の通路は完璧に埋まってしまっているらしい。それでも、途中までのルートは確保出来ているというが……。一つ、事前に確かめておかねばならない事があった。


「アーシュ……ドナール卿は?」

「……この先よ」


 俺の問いかけに、アーシュは非常に短い言葉だけで答えた。その表情は……暗い。

 どうやら、何かあったらしい。


 そのまま俺達は、無言で歩き続けた。

 そしていくつかの通路を抜けたその先で、アーシュの暗い表情の意味を知る事となった。


「……やあ、ホワイト君……リサ君、無事だったか……。ダリル殿は……無事とは言えないようだな」


 果たして、ドナールはそこにいた。

 壁にもたれかかるように座り込んでいるが、「ちょっと休憩」と言った風情ではない。ドナールの息は絶え絶えであり、顔色は死人のように白い。

 そして何より――。


「はは、悪い事は出来ないものだな……。まさか、……」


 苦笑いするドナールの腹部からは、異様なものが突き出ていた。

 恐らくは背中から腹部に向かって貫通しているそれは……だった。飾り気のない槍の穂先が、ドナールの腹から顔をのぞかせていたのだ。


「……『槍の罠』、ですか」

「……そうだ。この地下迷宮に入って最初の頃、君が教えてくれたあの罠だ……。見事に引っかかってしまったよ」


 往路の第一層は、古代遺跡における「罠の見本市」の様相を呈していた。

 「落とし穴」に「吊り天井」、「毒矢の罠」等など、古代遺跡における典型的な罠が多数仕掛けられていたのだ。

 俺は、それを一つ一つ解除しながら冒険初心者のドナールやグンドルフ、アーシュに古代遺跡における罠についての基礎知識をレクチャーした。その中にあった一つが「槍の罠」だ。


 「槍の罠」の仕組みは、実に単純だ。

 壁や床のある部分に触れると隠された機械仕掛けが動き出し、近くの床や壁から槍が飛び出してくる、というものだ。

 単純な罠ではあるが、飛び出してくる槍には十分な威力がある。時に分厚い鎧でさえも簡単に貫かれるのだが……どうやらドナールは、運悪くその罠にかかってしまったらしい。


「こんな初歩的な罠に引っかかるって事は……?」

「……そうだ。気絶させて、抱えてここまで来た……」


 俺の言葉に、ドナールは静かに頷いた。傍らでは、アーシュが辛そうな表情のまま俯いている。


「え? どういう事? ホワイト」

「アーシュの魔法の眼鏡には探知能力がある。大概の罠なら、事前に見破れるんだよ。

 この『槍の罠』は、この迷宮に存在する罠としては初歩の初歩の代物だ。アーシュの眼鏡で見破れなかったはずがない。……ドナール卿、道を塞いでアーシュを気絶させ連れ去ったのは、やはり『騎士団長の密命』とやらの為ですか?」

「……そこまで、知っているんだな……。グンドルフ司祭の入れ知恵かね? そう言えば、司祭は……」

「亡くなりましたよ。俺達を逃がす為に」

「……そうか」


 グンドルフの死を知ったドナールは、今まで俺が見た彼の表情の中で、もっとも苦渋に満ちたそれだった。腹に突き刺さった槍よりも、グンドルフの死の方が痛い――そんな表情を。


「ドナールの旦那よう……アンタほどの御仁が、騎士団長のジジイの言う事を、ホイホイ聞くとは、思えねぇ……なにが、あった?」


 ドナールと同じ位に息も絶え絶えなダリルが、途切れ途切れの言葉で問いかける。その声には、死にかけの人間とは思えぬほどのがあった。

 ドナールともグンドルフとも付き合いの長いダリルとしては、ドナールの「裏切り」を許せない気持ちがあるのかもしれない。


「……それ、は」


 ダリルの真剣な言葉に、一旦は口を開いたドナールだったが、何を思ったのかすぐに口を噤んでしまった。

 何か、言えぬ理由でもあるのだろうか? 遠くではドラゴンゾンビが氷の壁に体当りする音が響いている。時間はあまり残されていない。ここで押し問答せずに、先を目指すべきか――俺がそう考えた時だった。


「――たぶん、私の為、ですよね? ドナール様……」


 アーシュが、沈痛な表情と共に口を開いた。

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