03.戦士が命をかける時

「……どういう事だ、アーシュ?」

「ドナール様が、この地下迷宮探索に名乗りを上げたのは、私が迷宮に赴く事が決まった、そのすぐ後なの……。事前の噂では、他の騎士様が派遣されるって聞いていたから、ずっと『もしかして』って思っていたのだけれど。……そうなのでしょう? ドナール様」


 アーシュの言葉に、ドナールが目を伏せる。その姿が、何よりアーシュの言葉を肯定していた。

 ……なるほど、何となく俺にも状況がつかめてきた。


 ダリルの話では、騎士団長はよそ者のアインが中心となって地下迷宮が攻略される事を、快く思っていないらしい。神官戦士団からメンバーが選抜されている事も、不快に思っていた。そんな連中に攻略される位なら、全滅してもらったほうがマシだ、と考える輩らしい。

 配下の騎士に「一行の全滅を狙え」という馬鹿げた命令を下していても、おかしくない人物なのだ。

 そしてもし、ドナールの前任の騎士が、その命令を忠実に実行に移すような輩だったら――。


「ドナール卿は、アーシュを守ろうとしたんですね?」


 本当ならば、口を噤んだドナールの意志を尊重するべきなのかも知れなかった。だが、俺は自分の推測を確かめずにはいられなかった。

 それはきっと、アーシュも同じだろう。


 騎士団長による「アイン一行全滅計画」を聞かされたドナールは、その一行に親戚であるアーシュが加わる事を知り、彼女を死の運命から救う為に、自らが騎士団代表として名乗りを上げた――俺とアーシュはそう考えたのだ。

 高潔な騎士ドナールが、わざわざ騎士団長の卑劣な企みに加担する理由など、他に考えられるだろうか?


「――団長はアイン殿以下、全員の謀殺を企てていた……。その暴挙を止める為に、遠縁であるアーシュ殿の助命を建前に、私を派遣するよう懇願した……。団長は……快諾したが、『ならば全滅とは言わぬから少しでも人数を減らせ』と……『その代わりお前の妻子の面倒は任せろ』とも……。

 はは、体のいい人質、という訳だ……。だから、アーシュ殿の為ではない……私の妻子の為だ……アーシュ殿が気に病む必要は、ない……」


 そこまで言い切って、ドナールは酷く咳き込み始めた。見れば、口元には泡のように鮮血が溢れている。

 これでは、もう……。


 ドナールの今の言葉が、どこまで真実なのかは分からない。妻子の話は、アーシュが気に病まぬようにという方便かもしれない。

 だが、俺達にはそれ以上、ドナールを詰問するような真似は出来なかった。


 ――遠くに、ドラゴンゾンビが氷の壁を少しずつ砕く音が響く中、俺達は誰も、口を開けずにいた。


 ダリルは意識こそはっきりしてきたが、最早まともに動ける状態ではない。今はドナールと同じく壁にもたれかかり座り込んでいる。

 ドナールは、腹を槍で貫かれてよく生きているものだが、それも限界が近いはずだ。吐血している所を見るに、腹の中はもう血でいっぱいだ。遠からず失血死してしまうだろう。


 俺達が逃げ延びるには――この二人を、ここに置いていく他ない。二人を抱えて移動するのは、無理だ。

 アーシュの魔法――例えば「重力制御グラヴィティ・コントロール」という物体の重量を制御する魔法を使えば、ある程度は負担を減らせるかも知れないが……。


「――ホワイトよう……決断の、時だぜ?」


 ダリルがおもむろに立ち上がり、そんな言葉をかけてきた。「自分達を置いてけ」というのだろう。

 分かっている。俺とリサ、アーシュの三人だけならば、十分にドラゴンゾンビから逃げおおせるはずだ。分かってはいるが……。


「……そんな顔、すんな。ドナールの旦那と違ってよう、俺っちは……人でなしさ……


 ――その言葉。

 確か、グンドルフも今際の際に同じような事を言っていた。『我が身可愛さに、貴方を、貴方達を』と。

 そしてダリルはその言葉の意味を知っているようだったが、「今は言えない」と口を噤んでいた。


「……ダリル、それは一体どういう意味――」


 俺がダリルに真意を尋ねようとした、その刹那――遠くで一際大きな、何かが砕ける音が響いた。

 そして――。


『GRUUUUUUU!』


 最早聞き飽きたドラゴンゾンビの咆哮が響く。遂に、全ての氷の壁が破られたのだ。


「くっ、アーシュ! そこの通路に『氷の壁』を重ねがけてして時間を稼げないか?」

「……多分、駄目ね。階段の出入り口みたいに、ある程度狭い空間じゃないと、完全に塞ぐ事は出来ない……。塞げたとしても、『氷の壁』の耐久力は格段に下がるわ!」


 ――なるほど、道々で「氷の壁」の魔法を使わなかったのは、そういう理由か。

 確かに、第一層は通路の幅が広く天井も高い。それを完全に塞ごうとすれば、密度が低く薄く広い状態の「氷の壁」を生成しなければならず、十分な強度が保てないという訳か……。


 そうこう考えている間にも、通路の向こうからドラゴンゾンビが這いずる不気味な音が響いてくる。

 奴は鼻でも利くのか、先程からこちらの位置を正確に追ってきている。このままではすぐに追いつかれるだろう。

 どうするべきか……俺が考えあぐねていると、二つの人影が俺の前に躍り出た。


「――たく、もっとゆっくりさせて欲しいもんだったが……しゃあねぇ……なっと!」

「なぁに、ドラゴン退治は騎士の誉れ……。それを二度も実現出来るのだ、たぎるとは思わんかね?」


 ダリルとドナールだった。まともに動ける体ではないはずなのに、二人共勇ましくそれぞれの得物を構え、闘気をみなぎらせている。


「な!? ダリル、ドナール卿、一体何を!?」

「『何を!?』じゃねぇ! 俺っち達が殿しんがりを務めてやろうってんだ! 有難く受け取りやがれ!」

「ホワイト殿。我らは最早死人同然……その死人が動いたのだ、儲けものと思っておきなさい!」


 二人のあまりの気迫に、俺もリサも、そしてアーシュも気圧されてしまった。

 ドナールの言葉通り、二人は死人同然の体のはずだ。それなのに、力強く一歩、また一歩と踏み出し、ドラゴンゾンビのいる方へと向かっている。

 俺達には、二人を止める言葉がこれ以上見つからなかった。


「ドナール……おじ様……」

「ふ……懐かしい呼び方をしてくれるじゃないか、アーシュ。君は、君の信じた道をいきなさい……これを!」


 ドナールが何かアーシュに投げて寄越す。アーシュが見事にキャッチしたそれは、華美な細工の施された短剣だった。


「妻に……息子に渡してやってくれ。――頼んだぞ!」


 そう最後に言い残して、ドナールは腹から槍を生やしたまま、一歩、また一歩踏み出し、二度と振り返らなかった。


「――っと、俺っちも忘れてたわ……リサお嬢ちゃん!」


 ドナールのその様子を見て、ダリルは腰に挿した短刀をリサに投げて寄越した。

 こちらは飾り気のない、大太刀の振るえないような狭い場所でダリルが戦いに使っていた短刀だ。


「そいつを、王都で孤児院をやっている俺の妹に届けてやってくれ! 頼んだぜ!」

「……ダリルさん」


 リサは堪えきれず涙を流しながら頷いた。

 そしてダリルもまた、再び歩き出した――と思ったら、また歩を止め振り返った。


「――ホワイト、リサお嬢ちゃん、アーシュの嬢ちゃん。この冒険は、なかなか楽しかったぜ!

 俺達はこれから間違いなく死ぬ! だが、その事を決して悔いるな! 『あの時ああすれば助けられたかも知れない』だなんて、間違っても思うな! 俺達の死を……意志を間違いになんてしないでくれ!」

「……ダリル?」


 ――なんだ? ダリルの言葉に、何か違和感を覚える。

 ただ単に末期の別れを告げているだけじゃない。何か、大切な何かを伝えようとしているような……そんな必死さを感じる。


「――全てを無かった事になんて出来やしねぇ! だから人間は、その時その時を必死に生きるんだ! ……その事を忘れなければ、きっとお前らは! 絶対に諦めるな!

 ……さあ、走れ!!」


 最後にそう言い残し、ダリルもドナールの後を追って去っていった。

 あとに残された俺達は、互いに頷きあうと、ダリルの言葉に従い走り出した。彼の言葉の意味を考える間もなく――。

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