03.この世の地獄
大陸で信仰されている神は数多あり、その教義も様々だ。
例えば、神々の女王とされる「光の神ウサーレ」の教団は、どんな時でも秩序を重んじる事を信徒の義務とし、あらゆる不正を許さぬ非常に厳格な教義を掲げている。
一方、騎士や傭兵達に篤く信仰される軍神「ナミ=カー」の教団では、この世の弱肉強食を肯定し、その上で強者には弱者を守り導く義務が存在すると教えている。
他にも様々な神が信仰されている。変わった所では盗賊に信徒が多い「博打の神様」なんてのもいるが、言うまでもなく少数派のマイナー神でしかない。
そんな感じで、教義も規模も異なる様々な教団が存在するわけだが、どの教団の教えにも共通するのは「死後の世界」の存在だ。
曰く。正しい信仰心を持って人生を全うした人間の魂は、神々の父である「死の神ルネ」が治める冥界へと導かれ永遠の安息を得るか、生まれ変わり新たな人生を送るかを選択できるのだという。
だが、信仰に反した人生を送ってきた者や多くの罪を犯した者の魂は、冥界へ行く事も生まれ変わる事も許されない。「地獄」へと送られ、その罪に応じた責め苦を負うのだという。
針の山を歩かされたり業火に身を焼かれたり、はたまた酸の海に投げ込まれたり……現世では味わえぬ苦しみを、永久に与え続けられるのだとか。
一説には、
責め苦の一環として、かつて過ごした現世に自由意志を剥奪された上で呼び戻され、朽ちた肉体という名の牢獄に閉じ込められ、血肉を喰らう亡者として永劫の時を過ごす事を強いられているのだとか。
その説を信じるならば、彼等アンデッドの存在する場所は、まさしく現世における「地獄」と呼べるのかもしれない。
――そして今、俺達の目の前には、その「地獄」が群れを成して姿を現していた。
数十体の
腐敗し崩れかけた肉体を引きずりながら蠢き、時折うめき声とも悲鳴ともつかぬ声を上げている。恐らくは、この地下迷宮に挑んだ冒険者達の成れの果てなのだろう。
ある者はボロボロになった全身鎧を身に纏い、ある者は魔術師のローブを、またある者はナミ=カー教団の神官服を身に付けていた。
だが、彼らに生前の面影は無い。顔面は無残に腐り落ち、腐った魚のような眼には僅かな理性の光も見受けられない。
往路でも出くわした、頭を砕かない限りしつこく動き続ける、実にしぶとい魔物だ。
七体の
腱さえも腐り落ちた状態で何故、関節が繋がったままでいるのか、初めて見た時は不思議でならなかった。実際には、骨と骨は物理的には全く繋がっておらず、魔力によって人型が維持されているだけらしい。
その証拠に、神官が
だが、神官がいない場合は打撃なり魔法なりで全身の半分以上を砕くなどしない限り、彼らは動き続け襲い掛かってくる。中々に厄介な相手だ。
宙に漂い青白い光を放ついくつかの人影が見える。あれは恐らく
既に肉体は骨も含めて全て消滅し、霊体だけとなったアンデッドだ。強い恨みや憎しみを抱いたまま死んだ人間の霊魂の成れの果てだとも、
こいつらの厄介な所は、肉体が無い故に普通の武器では全く傷付けられないという事だ。魔法や
備えが無ければ逃げの一手を打つしかないのだ……。
そんな厄介極まりないアンデッドの群れが、俺達の行く手を阻んでいた。
この先に進むには、彼らを残らず倒すか、ある程度を倒し隙を見て強行突破するかしかない。だが――。
「流石にこの数は……やばい! クソ、せめて道具袋があれば!」
「こちらは三人。あちらは一、二、三、四……多勢に無勢だな。私の剣は、ナミ=カー神殿で祝福を受けたものだから
「私の魔法で一気に焼き尽くしたい所だけれど……あの数が相手では最悪魔力を使い果たしかねないわね。大魔法を使えば自分達にも余波が及びかねないし。――虫のいい話だけれど、せめてグンドルフ司祭が居れば楽だったのだけど」
俺も、ドナールも、アーシュも、それぞれが冷静に彼我の戦力差を計算し「かなりやばい」という同じ結論に達していた。
二倍程度の戦力ならば、こんな低級アンデッドに遅れなど取らない自信がある。だが、今対峙しているアンデッドの群れは、こちらの十倍以上の数だ。ただでさえタフさが売りのアンデッドなのだから、万が一取り囲まれたらその時点でジ・エンドだろう。
動きは鈍いが怪力の
意外に俊敏な動きを見せる
疲労した所を
アーシュの言葉通り、もしここにグンドルフが居れば状況は全く違ってくる。彼ほど高位の神官が放つ
アンデッドとの戦いでは、パーティに神官が居ると居ないとでは雲泥の差だと言われているが、その言葉を今ほど噛み締めた事はない。
俺達がちっぽけな頭を総動員して打開策を考えている間にも、死者の群れはじわじわとこちらに近付きつつあった。このまま何もしなければ、それほど時を置かずして俺達も死者の仲間入りを果たす事になるだろう。
――入ってきた扉は、俺達三人が潜り抜けると、止める間もなく閉まってしまった。こちら側からは開きそうにない。
退路は断たれたのだ。
「地獄」が広がるそこは、とてつもなく広く真っ直ぐな通路だった。
人間が十人以上は並んで歩ける幅に、天井も俺の背丈の軽く六倍以上の高さがあった。そこら中に魔法の
アンデッド達がひしめく遥か向こうには、遠目でもはっきりと見える程巨大な昇り階段があった。
階段の終端までは窺えなかったが、見える範囲だけでも恐らくは二、三階層分の高さがある。なるほど、確かに「最短ルート」というのは嘘ではないようだ。
だが――階段まで辿り着く為には、目の前の死者の群れをどうにかするしかない。
正攻法では、とても全てのアンデッドを倒す事は無理だろう。
俺達三人の中ではアーシュの魔法が一番効果的だが、数が数だ。全て倒すには魔力を使い果たす可能性がある。一度魔力を使い果たせば、アーシュは丸一日は戦力にならない。
それに、あれだけの大群をまとめて焼き尽くすような大魔法を放てば、俺達にもその余波が届いてしまうだろう。グンドルフという癒し手のいない今の俺達にとって、大きすぎるリスクだ。
せめて俺の道具袋が有れば、対アンデッド用の装備も入っていたのだが……無いものはしょうがない。今は手持ちの武器で戦うしかない。
愛用の短剣は
七本残っている矢の内、一本は破魔の力を秘めた金属・
「――さて、どうするかね諸君? 一か八か、強引に正面突破を狙うという手もあるが……
「それはかなりの博打ですわね……。ここは私が魔力を使い果たしてでも、敵を殲滅する方が得策かも。ホワイト君はどう思う?」
「俺は……」
俺達が手をこまねいている間にも、亡者の群れはじわりじわりとその距離を詰めてくる。
ドナールの言うように一か八かの勝負に出るか、アーシュに魔力を使い果たしてもらって切り抜けるか。
この先の道中、アーシュの魔法は絶対に必要になってくる。だからと言って、あの亡者の群れを力任せで突破できるとも思えない。
打開策が思い浮かばず、思わず天を仰いだ俺の視界に、高い高い天井が飛び込んできた。
俺の背丈の六倍以上はある、ここが地下迷宮である事を忘れてしまいそうなほど、高い天井が――。
「……そうか、まだ手はある!」
「ホワイト君、何か思いついたの!?」
「はい、少し地道な手段になりますが……この方法なら、アンデッドとの戦いを最小限に抑えられるはずです!」
アーシュとドナールに思い付いた作戦を説明すると、二人は目を丸くして驚いた。
それくらいに突飛な、実にバカバカしいアイディアなのだ。
騎士様にも魔術師様にも思いつかないであろう、元盗賊の俺らしい実に姑息な作戦……それが結局、俺達の命を繋ぐ事になった。
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