02.囚われの勇者たち

「閉ざされし時空の迷宮……だって?」

「ええ。迷宮の中を外界から隔絶することで、中で起こった出来事をのを防ぎ、の状態に保つ、一大儀式場よ。……きっと、この迷宮こそが『閉ざされし時空の迷宮』なんだわ」

「……出来事を世界に観測されるのを防ぐ? ええと、どういう意味だ?」


 ――アーシュの言葉は時々難しすぎて、そこそこ古代語魔法の知識がある俺にも理解出来ない事がある。


「ああ、ごめんなさい……。時空魔術の高等理論の一つなのだけれど、詳しく解説していると論文何十冊分にもなるから、説明している暇は無いわね。

 そうね。例え話になってしまうけれど……もし魔法でお湯を沸かそうと思ったら、コップ一杯の水と湖の水、どちらを沸かすのがより大変だと思う?」

「……そりゃ、言うまでもなく池の水だろうな」


 当たり前の事だ。コップ一杯の水と湖の水とでは、そもそもの量が違いすぎる。水をお湯に変えるのならば、水の量が多ければ多いほど大量の魔力を必要とするだろう。


「時間の巻き戻しも基本はそれと同じなの。世界全体の時間を巻き戻そうとすれば、途方もない量の魔力と術式が必要になる。だから、時空魔術の殆どは対象を限定したものが多いの。――しかも、その効果は長続きしないのよ。

 例えば、人間一人の時間を巻き戻す魔術もあるけれど、その効力はほんの一時いっときしか持たないわ。さっきの水の例で言えば、人間は『世界』という名の湖の中を揺蕩たゆたうコップ一杯分の水みたいなもの。湖のたった一点を沸騰させたとしても、すぐに他の水と混ざって冷めてしまうの」


 その例えなら分かりやすい。湖のたった一点を熱した所で、すぐに周囲の水に熱を奪われ冷めてしまう。時空魔術というものは、正に湖の一点だけをお湯に変えるようなものなのか。


「でも、もし湖からコップ……いえ、おけ一杯の水を汲み上げる事が出来れば? お湯を沸かす事も、その温度を維持する事も比較的容易になるわよね? 『閉ざされし時空の迷宮』の原理も同じなの。外界と内部を可能な限り隔絶する事で、時空魔術の成功率を格段に上げ、その結果を維持する事にも成功した……。

 もちろん、口で言うほど簡単な話ではないのだけれど。ヴァルドネルという大魔導師だからこそ、完成させられた迷宮なのよ」


 ――なるほど。ようやくアーシュの言っている事が少しだけ理解出来た。

 理論はさておき、ヴァルドネルは不可能と言われた「時間を巻き戻し維持する魔術」を、この迷宮を使って限定的とは言え完成させた訳だ。

 ……そして先程アーシュが挙げた「時間の魔神」の昔話。それと合わせて考えると、つまり――。


「アーシュ。つまり俺達は、この迷宮の中で既にって事か?」

「恐らくは。そして、ダリル隊長達の言葉から推測するに……巻戻りのトリガーは、誰かが『やり直したい』と思った時……。いえ、それだけだと弱いわね。あの二人が『裏切った』だなんて表現するほどの何か……。それこそ、『時間の魔神』の主人公のように、取り返しの付かない失敗をした時?

 ――ああ、それに『今は言えない』だなんて、何か制限されていたような言い回しは……」


 ブツブツと呟きながら、考えをまとめ続けるアーシュ。こういう時の彼女は、周囲が何か呼びかけても殆ど反応が返ってこない。

 おまけに足の動きも少し疎かになるので、非常に危なっかしい。すかさずリサと二人で、アーシュの二の腕を掴みフォローする。……が、それを全く意に介した様子もなく、アーシュは話を続けた。


「――考えられるとしたら、恐らくこうね。ダリル隊長もグンドルフ司祭も、どこかのタイミングで瀕死の重傷を負った……。そして、今際の際にが、彼らに『やり直したいか?』と尋ねた。二人はその何者かの甘言に乗ってしまって……時間を戻してもらうと同時に、その何者かの支配を受ける事になってしまった――こんな所じゃないかしら?」

「……それ、まるっきり『時間の魔神』の手口じゃない!?」

「ええ。全ての時空魔術は『時間の魔神』の研究から始まってるわ。時間を巻き戻す代償として魂を支配する手段も、もしかしたら解明されていたのかも……」


 アーシュが仮説で語った「何者か」に怒りを顕にするリサ。一方で、アーシュはあくまでも冷静だ。


「記憶が二重にある件も、『時間の魔神』の昔話の中にヒントが有るわね。魔神と取引した男は、記憶を維持したまま過去へ戻っている。もし周囲の人間の記憶も維持されたままなら、世界は大変な混乱に陥っていたはずだけれど、そういった描写は無いわよね? つまり、魔神と取引した人間以外は、記憶ごと巻き戻っていると解釈出来る……。

 もし、この迷宮で発動する時空魔術が完璧なものならば、私達の記憶も完璧に巻き戻っているはず。けれども、断片的とは言え記憶が二重に――巻き戻り前の記憶と後の記憶が混在するという事は、ヴァルドネルの時空魔術も完璧ではない、という事に――」


 ぶつぶつと、更に自らの仮説を披露するアーシュ。どうやら完全に研究者としてのスイッチが入ってしまったらしい。

 ――だが俺は、この迷宮の時空魔術の仕組みよりも、それを操る何者かの正体こそが気にかかっていた。


「……なあ、アーシュの仮説は『迷宮を支配する何者か』が、健在な事が条件だよな? アーシュにはそれが誰なのか、検討は付いてるのか?」

「それは……ええ。恐らく、だけれど。ここが真実『閉ざされし時空の迷宮』だとしたら……その複雑な術式を完璧に操れる人間は、一人しかいないわ。――『この迷宮の主』その人しか」

「――、か?」


 俺の言葉に、アーシュが無言で頷く。その傍らではリサが大げさに「ええ!?」と驚いているが…‥実を言うと俺にはさして驚きは無かった。

 ――最下層でのヴァルドネルとの戦いは、比較的あっさりと決着が付いていた。それはもちろん、アインを始めとする仲間達の力量あってのものだった訳だが……それにしても脆すぎた印象がある。


「俺達が戦ったのは、偽物って事か?」

「……あるいは分身体のようなもの、だと思うわ。そもそも、古代王国の魔導師であるヴァルドネルの肉体は、とうの昔に朽ちているはずなの。どんな魔術でも、肉体の寿命を無限に引き伸ばす事は出来ない。

 古代の魔導師達が、肉体の寿命を超越する為に取った手段はいくつかあるわ。一つは肉体を捨てて『精神体』となる事。言ってみれば人工の幽霊ゴーストね。もう一つは、大魔術を使って不死者の王ノーライフ・キングへ転生する事。ヴァルドネルもどちらかの手段を取ったのだと思う」


 その話なら俺も知っていた。古代の魔術師は、永遠に魔術の研究ができるようにと、不死の肉体を得る事に躍起になっていたらしい。

 その結果生み出されたのが、「自身のアンデッド化」だ。幽霊モドキや不死者の王と言った魔物に成り果ててまで魔術の研究を続けようとしたのだから、俺達の感覚からすれば正気の沙汰じゃない。


「でも、精神体も不死者の王も、神官の小奇跡ホーリープレイに極端に弱くなる。人間の肉体を捨てるという事は、神々のご加護を完全に失うという事と同義なの。

 だから、肉体を捨てた魔導師達は本体を晒すのを嫌って、錬金術で自らの分身体を錬成したらしいわ。人と接触する必要がある時は、その分身体を遠距離から魔術で操って身代わりにしていたのね」

「……たとえ分身体を倒しても、本体は無傷のままって事か。クソッ! 俺達はとんだ道化だな!」


 もし、最下層での戦いの後にヴァルドネルの遺体を調べる時間があったなら、恐らくはアーシュかアイン辺りがその事実に気付いていた事だろう。

 だが、あの時は迷宮が崩壊する事が分かって、脱出を急いでいたから、ろくにその辺りを調べる時間もなかった。……今思えば、わざわざヴァルドネルがアインに迷宮の崩壊を予告したのも、遺体を調べさせない為だったのかもしれない。


「つまり、ダリルが伝えたかった事ってのは……。死にかけた時に『やり直したい』と願えば時間は巻き戻るが、ヴァルドネルに支配されちまうって事、か。後は?」

「『奪われたものを取り戻す事も出来る』と『絶対に諦めるな』、後は『本当の敵を倒す事も出来る』ね。『本当の敵』というのはヴァルドネルの本体、『絶対に諦めるな』は『やり直し』を望むなという意味にも取れるけれど……『奪われたものを取り戻す事も出来る』は、何を指すのかしら?」


 ――俺もその言葉の意味を量りかねていた。俺達が奪われたもの? ……荷物、か?

 思わずアーシュと二人、首をひねる俺だったが――意外にも、その答えはリサが持っていた。


「あたし達が奪われたもの? ……一つしか無くない?」

「リサ、分かるのか!?」

「むしろ何で二人が分からないのか謎なんだけど……。もう失ってしまったもの以外で、あたし達の所に戻ってきてない大切な存在がいるでしょ!?」

「いる……? って、ああ!? そうか!」


 リサの言葉に思わず目からウロコが落ちる。そうだ、俺の頭からは、すっかりその可能性が抜け落ちていた。

 まだ再会を果たしておらず、その死も確認していない、俺達にとって大切な存在がいたじゃないか!


「ダリルさんの言っていた『奪われたもの』っていうのは、きっとだよ! あのアインが簡単に死ぬ訳ない。それに、アインだったら一人でもこの第一層まで辿り着くに違いないもん。それが今の今まで姿を見せないのは、きっとどこかに捕まってるからだよ! ダリルさんは、きっとそれを伝えてくれたのよ!」

「……リサ。お前って本当に時々凄いのな」


 俺の言葉に「ムキー! 馬鹿にしてんの?」等と顔を真赤にするリサだったが、掛け値なしの褒め言葉だった。見れば、アーシュも思わず苦笑いを浮かべていた。

 アーシュも俺も、この迷宮の謎を解くのに躍起になって、一番大切な事を忘れそうになっていたのだ。


 ――背後からは、わずかに響く戦いの音。まだ、ダリルとドナールがドラゴンゾンビ相手に奮戦している証拠だった。だがその音は、先程よりも遥かに小さくまばらになってきている。

 単純に距離が遠くなったからというのもあるのだろうが、恐らくは……。


「リサ、アーシュ。……絶対にこの迷宮を脱出するぞ」


 俺の言葉に、二人が力強く頷く。仲間達が命をかけて送り出してくれたおかげで、俺達は今、ここにいる。 絶対に生き延びなければ――俺達は決意を新たにし、崩壊した迷宮の中をひたすらに駆け続けた。

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