03.四海の門より来たれ

 ――第一層は、先へ進めば進むほど、酷く崩壊していた。通路には大小様々な瓦礫が散乱し、精緻だった石積みは見る陰もない。

 だが、道が完全に塞がれるほどではない。瓦礫を乗り越えつつ、俺達は往路を逆に辿るように、ひたすら進み続けた。


 そして……俺達の前に、この第一層を貫く巨大な通路が姿を現した。

 幅も高さも、他の通路の軽く三倍以上はある、ドラゴンだろうが巨人族ジャイアントだろうが悠々と通れるであろう「大通路」だ。

 この大通路は、この地下迷宮の起点――転送魔法陣へと通じている。つまり、ここからは一本道なのだ。


「二人共、あと少しだ! 行けるか?」

「な、なんとか~」

「……私は、走るのはもう辛いわ。でも、魔力はまだ十分!」


 リサは、魔力は尽きかけているが体はまだ動きそうだ。アーシュは逆に疲労困憊。膝が笑っているような状態だ。

 本当ならば、少し休ませてやりたいところだったが――。


 背後を窺い、耳を澄ます。

 遠くに響いていた激しい戦いの音は、もう聞こえなかった。遠すぎて聞こえないだけなのか、それとも。

 ……今は前だけを見よう。


 頭を切り替え、今度は大通路の様子を窺い――俺は絶句した。

 そこは、魔物達で溢れかえっていた。「これが最後の関門だ」と言わんばかりの光景だ。


 大通路には、所々の壁に魔法の灯火が設置されており、全体を薄暗く照らしている。ある程度の距離ならば、輝石の灯りを向けなくとも見通せるが、遠くの方は完全な暗がりになっている。

 魔物の群れは、その見通せるギリギリの距離に集中していた。


 お馴染みのスライムや石の小兵ストーン・サーヴァント

 どこから湧いたのか、生ける屍リビングデッド骸骨戦士スケルトンの姿まである。

 幸い、距離がある為か、まだこちらに気付いている様子は無い。……が、軽く見積もって数十体。正面から戦うには、流石に数が多すぎた。


「こいつは熱烈歓迎だな……感激でちびりそうだぜ」

「どうする? あたし、もう魔力が……」

「リサは下がっていてくれ……アーシュ、一発、頼めるか?」

「任せて! 最後だから、張り切っていくわよ……!」


 心なしか、アーシュの声は高揚していた。

 そう言えば、道々では魔力切れを恐れてアーシュに大魔法を使わせてこなかった。三度の飯より魔法と研究が大好きなアーシュとしては、鬱憤うっぷんが溜まっていたのかも知れない。


 まだ魔物の群れとは距離がある。この大通路には、ここが地下である事を忘れるほどの広さもある。

 ――ならば、アーシュも自身の最大最強の魔法を、容赦なく放つ事が出来る!


は全てを砕く者。其は全てを葬る者。混沌のそらを越え、四海の門より来たれ――偉大なる王!』


 いつものような古代語の単詠唱ではなく、アーシュは長い言葉を紡いだ。それはまるで、英雄譚を朗々と歌い上げる吟遊詩人のようでもあった。

 そして――。


爆発エクスプロシオン!』


 アーシュが最後の古代語を唱えたその刹那、魔物の群れの中心に閃光が走り――凄まじいまでの爆発が巻き起こった!


 「爆裂エクスプロージョン」の魔法。

 数ある魔術の中でも上位に位置する、「破壊」に特化したものの一つだ。

 一流の魔術師にしか扱えない超高等魔法であるが、魔術師の中には「何の創造性も無い」と、この魔法を毛嫌いし習得しない者もいるらしい。――だが、知識欲の権化たるアーシュは、もちろんその限りでは無い。


 その圧倒的な破壊力の前には何者も無力だ。

 スライムも石の小兵ストーン・サーヴァント生ける屍リビングデッド骸骨戦士スケルトンも、皆等しく爆炎に包まれ灰燼と化していく。

 耐えきれるのは、魔力抵抗の高いドラゴンのような種族や、一部の巨兵ゴーレムのようにとびきり丈夫な連中だけだろう。


 「爆裂」の魔法は強力だが、もちろん欠点も多い。

 まず、魔力の消耗が激しい。凡百の魔術師ならば、「爆裂」の魔法を唱えるだけで魔力を使い果たし失神――最悪命を落とすだろう。


 次に、破壊の規模が大きすぎて、使える場所が限定されてしまう。

 起爆点があまりに近いと、自分達も巻き添えを喰らってしまうのだ。手加減の効かない魔法なので、本来屋内で使える類の魔法ではない。開けた空間が必要なのだ。

 この地下迷宮においても、使える場所は非常に限られていた。それこそ、この大通路を含めて片手の指で数えられる程度しか無かった。

 大魔法の名に恥じぬ威力を秘めているが、何かと扱いが難しいのだ。


「きゃっ!?」


 爆風の余波が突風となって俺達のいる場所まで押し寄せ、リサが思わず悲鳴を上げる。

 咄嗟にリサを背中に庇いながら、俺は突風の向こう側に目を凝らす。魔物の群れの集中していた辺りは、未だ濛濛もうもうと土煙が立ち込めていて視界は遮られたままだが、複数の何者かがうごめく気配が感じ取れた。


 魔法に特に弱いスライムは全滅しているだろうが、魔力基部の破壊を免れたアンデッドや石の小兵ストーン・サーヴァントの一部は、まだ健在な様子だ。

 だが、決して無傷ではないだろう。


「――よし、奴らは総崩れだ。このまま一気に駆け抜けるぞ!」

「ええっ? だってアーシュさんはもう走れないよ?」

「それについては一つ案がある。……アーシュ、『筋力強化ストレングス』はまだ使えるか?」


 「筋力強化ストレングス」というのは、初歩的な身体能力強化の魔術だ。

 主に筋力を魔力で一時的に底上げするもので、術者の力量や術を受ける者の体質もあるが、おおよそ二割増し程度の筋力増強を見込める。

 地味ながらも実用的な魔術の一つだ。


「まだ魔力に余裕はあるけど……『筋力強化』じゃ疲労は抜けないわよ? 私にかけても焼け石に水――」

「いや、俺にかけてくれ」

「え?」

「だから、『筋力強化』を俺にかけてくれ。それで

『ええ!?』


 何故かアーシュだけでなく、リサからも驚きの声が上がる。このアイディア、そんなに変だっただろうか……?

 いや、絵面としては確かに微妙なのだが。


「わ、私、重いわよ!?」

「言う程じゃないだろ。それに、その為の『筋力強化』だから。ほら、時間が無いぞ?」


 時間が経てば経つほど、「爆裂」の魔法で魔物達は体勢を立て直してしまう。それに、先程の派手な爆音を聞きつけて他所からもやって来ないとは限らない。

 アーシュもその事はよく分かっていたのだろう。どこか納得がいっていないような微妙な表情を浮かべつつも、俺に「筋力強化」の魔術をかけてくれた。


「さ、しっかりしがみついてくれよ? 右手はで塞がってるからな」


 アーシュがおぶさりやすいように屈む俺だったが、その右手にはグンドルフの形見である総鋼鉄製の戦槌ウォーハンマーを握ったままだ。

 流石に、無手で魔物の群れの間を駆け抜けるのはリスクが大きい。普段の俺なら軽々と振り回せる代物ではないが、筋力強化された今なら牽制くらいには使えるはずだ。


「……じゃあ、失礼して」


 アーシュがおずおずといった感じでおぶさってくる。

 首にしっかりと腕を回してもらうと、自然、体が密着する事になり――アーシュの大きすぎる二つの膨らみの感触が否応なく伝わってきてしまう。

 ……だが、俺は努めて冷静に、気にした素振りも見せないようにした。こちらが恥ずかしがっていたら、アーシュも気恥ずかしさを感じてしまうだろう。それでは、しっかりとしがみついてくれなくなってしまうかもしれない。


 ――あと、リサの視線がちょっと怖い。


「さあ、一気に駆け抜けるぞ! リサ、俺の後ろから離れるなよ!?」

「了解!」


 リサと共に駆けだす。背中にはアーシュの命の重み。

 ……確かに本人の申告通り、思っていたよりも少々重かった。が、「筋力強化」の作用もあって、リサと同じくらいの速さで駆けるのには問題ない程度だ。


 土煙は徐々に晴れつつあり、生き残りの魔物達の姿もシルエットとなって浮かび上がる。まだこちらに反応している様子はない――チャンスだ。

 この大通路には罠の類はないはずだが、最低限の用心として、背中のアーシュには例の魔法の眼鏡で探知を続けてもらう。その分、俺は敵の動きに集中できた。


 魔物連中の間を縫うように、俺とリサ(とアーシュ)は駆け抜ける。

 時折、こちらの動きを察知して襲い掛かってくる骸骨戦士スケルトンもいたが、すかさず右手の戦槌を振りかぶり牽制する。

 無理に倒す必要はない。一時的に動きを止めるか、投げつけられたら危険そうな連中の得物を叩き落せれば、それでいい。

 戦槌の破壊力は流石で、どこかに当たりさえすれば、骸骨戦士スケルトンの脆い身体を容易に砕く事が出来た。まるで、グンドルフが俺達を守ってくれているかのような心強さだ。


 ――そのまま、どの位の距離を駆け抜けただろうか。

 魔物の数も次第に少なくなり、比例するように俺達の疲労も極致に達し息も絶え絶えになった頃、行く先に何か鈍く光る物が見え始めた。


「ホワイト君、あれよ! あれが転送魔法陣だわ! 迷宮に入った時は、うんともすんとも反応しなかったのに、今はあんなに魔法の光をたたえている……起動しているんだわ!」

「やった……やったよ、ホワイト!」

「――まだだ。まだ油断するな」


 ようやく見えた目的地に、アーシュとリサが俄かに元気になったが、最後まで油断は出来ない。

 ここだけ迷宮の構造が変化していて、とんでもない罠が設置されている可能性もあるし、魔物が隠れ潜んでいる可能性もある。

 ヴァルドネルの野郎の性格からして、こちらをぬか喜びさせる仕組みが待っている可能性もあるのだ。


 だが、そんな俺の心配は杞憂に終わった。俺達はあっさりと大通路の端――転送魔法陣の前まで辿り着いていた。

 アーシュを背中から降ろし、一緒になって周囲を探索してみたが、罠の類も見当たらない。アーシュの記憶では、魔法陣の構成も変わっていないという。


「よし……じゃあ、入るぞ?」


 それでも念の為、何か起こった時に備えて、一番身軽な俺が最初に魔法陣へ足を踏み入れる事にした。場合によっては二人を置き去りにして俺だけ転送――なんてケースも考えられたが、その時はその時だ。

 だが――。


「何も……起きないね?」


 リサの言葉通り、俺が転送魔法陣の中に足を踏み入れても、特段何か変化があったようには見えなかった。


「……これってもしかして。リサちゃん、私達も入りましょう。多分、


 アーシュの言葉に従い、リサも彼女と共に魔法陣へと足を踏み入れる。すると――。


『――認証開始。……マナの一致を確認。。これより、地上への転送処理を開始します。転送処理開始まで、あと180セグンド――』


「ほわっ!? だ、誰の声!?」

「落ちつけリサ。古代遺跡によくある記録音声の類だろ」


 リサが驚いたのも無理はない。三人全員が転送魔法陣に入った直後、どこからともなく知らない女の声が響いたのだ。しかも、古代語で。

 だがこれは、古代遺跡でよく見かける類の魔術装置の仕業だろう。予め記録された音声を、特定の条件下で再生する音声記録魔術の装置だ。

 巨兵ゴーレムの体内に仕掛けられ、遺跡への侵入者に向けて警告のメッセージを発するのに使われる事もある。俺達冒険者にとっては比較的馴染み深い仕掛けだが、今のリサを驚かせるには十分だったようだ。


 ちなみに、「セグンド」というのは時間の単位だ。

 古代王国時代に造られていた時間を計る装置――時計の最小単位の事だ。

 偶然なのかそれを基にしたのか、心臓が一回鼓動するのと同じ程度の長さとされる。が、俺達の心臓は今は、バクバクと脈打っているのであまり目安にはならない。


「『迷宮内に存在・生存する全挑戦者の収容を確認しました』、か。つまりもう、おじ様達は……」


 アーシュが目を伏せながら呟く。

 そうだ。今の音声が指す「挑戦者」が俺達七人の事ならば、その内生きてこの地下迷宮に留まっている者は、この三人だけという事になる。つまり、ダリルとドナールは……。


 そして、どうやらアインもこの迷宮の中にはいないらしい。

 ダリルの言葉がリサの解釈通りならば、アインはヴァルドネルに捕らえられ、どこかにいるはずだった。でも、それはこの迷宮のどこかではない、という事になる。

 ――もちろん、アインが死んじまってるなんて可能性は度外視だ。


 リサもアーシュの言わんとする所に気付いたらしく、そっと彼女に身を寄せた。

 慰めのつもりなのか、リサ自身も誰かの温もりを感じていないと辛くて仕方がないのか……。


 無言になった俺達をよそに、『転送開始まで、あと120セグンドです』という場違いに事務的な記録音声が流れた。散っていった仲間達に思いを馳せるには、それはあまりも短すぎる時間だ。

 だが、あと少しすれば、俺達は地上へと転送され、この地下迷宮へは二度と戻って来れない。ヴァルドネルの言葉を信じれば、俺達を転送した後、この魔法陣は永久にその機能を失い沈黙する。対になっている地上の魔法陣と共に。


 せめて、この地下迷宮での最後の時間を、仲間達への鎮魂の祈りに費やそう――等と俺が考えた、その時だった。


『GRUUUUUUUU!!』


 大通路の奥の方から、聞き覚えのある気味の悪い咆哮が響いた――ドラゴンゾンビだ!

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