第二話「迷宮の囚人」

01.仮説

 崩壊した迷宮を彷徨い始めて、既に数刻が経過していた。


 幸いな事に、通路は一本道が続いており迷う事は無かったのだが……逆に言えば、「この先がもし行き止まりだったなら為す術がない」という恐怖と隣り合わせの行軍でもあった。


 おまけに、直線的だったのは途中まで。通路はやがて曲がりくねった姿を見せるようになり、俺達の方向感覚を狂わせた。

 もちろん、歩数を目安にして俺達が合流した地点を中心にマッピング地図作りもしている。だが、どこまで正確に自分達の現在位置を把握できているのか、実に怪しい所だったのだ。


「……ねえ、ホワイト君。妙だとは思わない?」

「妙……って、何がですか?」


 アーシュの言葉に俺は首を傾げた。妙と言えばこの迷宮全体が妙なのだが……。


「今まで通ってきた場所に、一つでも見覚えのある場所があったかしら? 私達はこの三日間、隅々とまでは言わないけど、迷宮の大部分の探索を終えたはずよね? でも、これだけ長い距離を歩いているのに、未だに見覚えのある通路に一つも行き当たらない……」

「未知の階層に落ちてきた、という線はどうだね?」


 アーシュの後ろ、三人の殿を務めるドナールが控えめに口を開く。


「はい、それも考えたのですけれど……実は私、通路に見覚えは無いのだけれど、……」

「……どういう事です?」


 アーシュの謎めいた言葉に、俺はドナールと共に再び首を傾げる。


「――ここを見て」


 アーシュが壁の一部を指さす。石と石の隙間にカミソリ一枚入らないのではないか、という位に精緻せいちに組み上げられた石壁だ。

 それが延々と続いているのだから、この迷宮を造り上げるのに一体どの程度の労力が費やされたのやら。考えただけただけでも頭がクラクラしてくる。


「この壁が、何か?」

「よく見て。ここの部分――焦げ跡みたいのが見えないかしら?」


 アーシュの言葉に、輝石の光を壁に向けて注意深く観察してみる。

 すると……確かにアーシュの言う通り、何か「焦げ跡」のように黒く煤けた円形に近い痕跡がいくつか見て取れた。


「最下層に辿り着く少し前、『生ける屍リビングデッド』の群れに襲われた時の事、覚えているかしら?」

「――忘れようとしても忘れられませんよ、あれ」


 ヴァルドネルが潜んでいた最下層に辿り着く、その少し前の出来事だ。


 俺達は、この迷宮に挑んだ冒険者達の成れの果て――と思しき生ける屍リビングデッドの群れに遭遇した。

 生ける屍リビングデッドというのは……有り体に言ってしまえば「動く死体」だ。生前の姿をある程度留めたまま、死霊魔術ネクロマンシーや呪いによって動かされている。

 そこには最早、人間としての意志は欠片も残っていない。ただ生有る者の血肉を喰らう為だけに襲い掛かってくる、哀れな死者の群れだ。


 生ける屍リビングデッドというのは実に厄介な敵だ。元々が死体であるので痛みを感じず、ちょっとやそっとの損傷では動きが鈍る事が無い。

 一応、呪術の起点となっている頭を破壊すれば動かなくなるのだが、それまでは腕がもげようが足がもげようが、お構いなしにこちらへ襲い掛かってくる。

 しかも、それらはなのだ。斬りつけていて気持ちのいいものではない。


 更に最悪なのは、奴らが大概の場合「腐りかけ」状態な事だ。

 ……実は、生ける屍リビングデッドと戦う上で一番厄介なのは、奴らの発する腐敗臭にある。


 生き物の死体が発する腐敗臭というのは、中々に強烈だ。得も言われぬ悪臭は、鼻を塞いでいても耐えきれないほど。

 一体だけでもかなりの臭いなのに、あの時はそれが十体近くいたのだ。さしもの英雄アイン様ご一行も、悪臭だけで心が折れそうになった。

 おまけにその時の生ける屍リビングデッド達は、ややを留めていたものだから、二重の意味で辛い状況だった。


 ……そして仲間達の中に、それに耐えきれず錯乱してしまった奴が出てしまった――リサだ。


 すっかり理性を失ったリサは、周囲の声も聞かず火の精霊を召喚し、生ける屍リビングデッドの群れに攻撃を始めてしまった。

 火の精霊――見た目は人頭大の火の玉――は人間の激情を好むと言われるが、この時は逆上したリサの影響を受けたのかやけにくれて、いつもより遥かに大量の「火炎の矢ファイアボルト」を生ける屍リビングデッドの群れめがけて発射し続けた。


 ――確かに、大量の生ける屍リビングデッド相手に火を使うというのは定石ではあった。

 だが、それは地上など広い場所での話であり、地下迷宮の限られた空間の中でそんな事をすれば待っているのは――。


「あの時は、熱気と酸欠と生ける屍リビングデッドが燃える悪臭で、全滅しかけましたよね……」


 ――そう、狭い空間で大量の炎が上がればそこから発する熱気は凄まじいものになるし、空気中の酸素が一気に持っていかれ酸欠状態になってしまう。

 錬金術師ならずとも十分に予想できる事だったが、逆上したリサにはそんな事も分からなかったらしい。


 おまけに相手は多少のダメージではビクともしない生ける屍リビングデッドの群れだ。

 「火炎の矢ファイアボルト」の勢いで歩みが鈍る事はあっても、止まる事は無い。

 中途半端に焼けた生ける屍リビングデッドの体は更なる悪臭を放ち始め、俺達を更に苦しめる結果となった。


 幸い、冷静さを失っていなかったアインが早々に一時撤退を指示したおかげで、俺達は熱波に焼かれる事も酸欠に倒れる事も無くその場をやり過ごしたわけだが……。その事とこの壁の焦げ跡とが、何か関係あるのだろうか?


「この焦げ跡、多分だけど……リサちゃんの精霊魔法で付いたものよ」

「ええっ?」


 アーシュの意外な言葉に、俺は思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。ドナールも「意味が分からない」とばかりに首を捻っている。


「あの時、手当たり次第に発射された『火炎の矢ファイアボルト』は、壁や天井も盛大に焼いていたのよ。……生ける屍リビングデッド達があらかた動かなくなった頃を見計らって、元の通路に戻ったでしょう? その時、丁度こんな焦げ跡が壁に付いていたのを覚えているの」

「……偶然の一致じゃあ?」


 よくそんな細かい事を覚えているな、と感心しつつも、俄かには信じられず俺はアーシュの言葉に疑問を呈した。たまたま同じような焦げ跡があって、思い違いをしている可能性も捨てきれない。


「これでも記憶力には自信があるの。一度見たものは、まず忘れないわ……。でね、これからが本題。ここの焦げ跡を見てくれる?」


 あくまで自分の記憶違いではないと主張するアーシュ。

 確かに、彼女はこの地下迷宮に挑むにあたって、関係する膨大な数の古文書を全て短期間で暗記して来たと聞く。ここは彼女の言う事を信じてみるべきか、と思い直し、彼女が指さした焦げ跡に目を移した。

 すると――。


「あれ? これ……途中で?」


 ――そう、焦げ跡の殆どは円形に近く、紙にインクを落とした時のような形になっているのだが、アーシュが指し示した焦げ跡は違った。

 丁度、二つの壁石にまたがるように円を描いていたであろうその焦げ跡は、右側の部分がのだ。


 その焦げ跡の隣に位置する壁石には、焦げ跡のようなものもそれが拭き取られたような形跡も一切無い。

 他の焦げ跡と比べるとあまりにも不自然過ぎる。注意深く見れば、その焦げ跡の上下に存在する他の焦げ跡も、同じような形で欠けている。

 これではまるで――。


「これ、ここの壁だけ切り取って他所から持ってきた感じがしないかしら?」

「……つまり、どういう事ですか?」


 アーシュの言葉に、実に厄介な妄想――もしくは確信が――頭をもたげてくる。ドナールはまだ首を傾げていたが、俺にはアーシュが言わんとしている事が何となく想像できてしまっていた。


「……あくまで仮説だけど、この地下迷宮はただ単に崩壊したわけじゃなく――その構造自体が大きく変化している可能性があるわ。その表情、ホワイト君も心当たりがあるんじゃない?」


 ……アーシュの言う通り、俺にはある心当たりがあった。


 以前、アインとリサと共に挑んだ古代遺跡の中に、という厄介極まりないものがあった。

 通路が、部屋が、ある一定のタイミングで回転したりスライドしたり、酷い時は上下に動く事で全く違う構造になるという悪質なものだ。遺跡全体が巨大なパズルのようなものだった。

 その時は幸いにして、組み変わりに法則性があったので、それを見破り無事に踏破する事が出来たのだが……。


「ヴァルドネルが言っていたわよね? 『地下迷宮は一つではない』って。

 実は私、以前に古文書で読んだ事があるのよ……古代王国時代に造られた『魔導王の試練場』と呼ばれた地下迷宮の存在を。どこにあるのか、現存するのかも定かではないけれど、古文書にはこう書かれていたわ。『魔導王が精兵を鍛える為に建造したその迷宮は、自在にその構造を変える事が出来た』って。

 ――もしかすると、この迷宮にも同じような機能が備わっているのかもしれないわ……」

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