第三話「群れなす地獄」
01.分かれ道
『
アーシュが「
数人までの人間を宙に浮かせる何かと便利な魔法なのだが、「浮き上がらせる」だけに特化した魔法であり、前後左右に動く事までは出来ないのが難点だ。
穴を抜ける直前に浮上スピードを落とし、上層の様子を窺う。そこには下層と同じような石造りの通路が広がっているのみであり、魔物の姿は無いようだった。
安全を確かめた俺達は、そのまま穴の淵に手をかけ、よじ登るようにして上層の床へと辿り着いた。
天井改め床の大穴の前後には、長い通路が続いていた。俺達がいる方も穴の向こう側も、完全には灯りが届かず、暗闇が口を開けている。
先に上層に向かっていたはずのリサとグンドルフの姿もない。違う階層に辿り着いたのか、それとも同じ階層の別の場所にいるのか……判断はつかなかった。
大穴は俺ならば軽く飛び越えられる幅だったが、女性のアーシュや重装備のドナールには厳しそうだ。
魔法を使えば全員で向こう側に行けるだろう。だが相談の結果、まずは大穴のこちら側を探索する事になった。
念の為、
通路を慎重に進み出した俺達だったが、しばらく歩いてみても下層と同じく一本道が続くばかりで分岐の類は見当たらない。
往路では散々に複雑な分岐の数々に悩まされた事を思うと、実に拍子抜けだ。
だが、更に先へと進むと――。
「……分かれ道だ」
「……分かれ道ね」
「……分かれ道だな」
唐突に分かれ道が姿を現し、俺達三人はお互いに確かめ合うように同じような言葉を漏らしていた。
傍で見ている者がいたらきっと物凄く間抜けな様子に映った事だろう。だが、たとえ当たり前の事でも言葉で確認し合うという行為は、実はとても重要なのだ。
この手の古代遺跡でポピュラーな罠の中に「幻影」がある。
魔法装置で虚像を投影し、実際には床の無い所に床が有るように見せかけたり、通路を隠していたりするまやかしの類だ。
まやかしとは言え、前者のような場合、悪質な落とし穴――底には無数の槍が哀れな犠牲者を待ち構えている――に利用される事が多く、実に油断できない罠と言える。
しかし、あくまで虚像は虚像でしかないので、些細な違和感で見破る事も出来る。質感や汚れ具合、風の流れなどが主な手掛かりだ。
だが、薄暗く狭い地下迷宮を彷徨っていると、段々と感覚が鈍くなっていくものだ。だから、時折こうして声を掛け合いながら、お互いに違和感がないかどうか確認する事にしていた。
特に今は、アーシュが常に「魔法の眼鏡」で探知魔法による監視の目を光らせているので、頼りになる。
丁字路型の分かれ道は――右手には今までと同じような整然とした石造りの通路が続いているが、左手の通路は壁や天井が所々崩れ、床には瓦礫が散乱していた。
行軍しやすいのは、間違いないなく右手の通路だが……。
「俺は左側に進むべきだと思いますが、二人はどう思いますか?」
「左? 何故かね? 左の通路は見るからに崩壊が進んでいて危険なように思えるが……?」
俺の言葉に、ドナールが首を傾げる。まあ、当然の反応だろう。
「もし、アーシュさんの仮説通りこの迷宮の構造が変化しているとしたら、この崩落はただの見せかけである可能性が高いと思うんです。そして、そこには何か意味があるように思えるんですよ。安全そうな通路と崩壊が進んでいる通路……普通に考えたら、どちらを選ぶと思います?」
「――なるほどね。ホワイト君は、この分かれ道そのものが、ある種のトラップだと言いたいのね? 確かに普通は安全そうな通路を選ぶけれども、崩壊が進んでいる通路が意図的に作られたものだったとしたら……」
「はい。もし迷宮の構造変化が試練の為のものだったとしたら、罠の性格も俺達を試すようなものに特化していると思うんです。だからこの場合、安易そうな道よりも、むしろ一見して厳しそうな道を選択するのが正解なんじゃないかって思うんですよ」
アーシュは俺の言わんとする所を正しく酌んでくれたようだが、ドナールはまだ首を傾げていた。
実直を絵に描いたような男だから、こういった搦め手には弱いのかもしれない。
結局、俺とアーシュの意見が一致した事もあり、俺達は左手の、崩壊が進んだ通路の方へ進む事となった。念の為、壁に矢印と俺のサインを刻んでおくことも忘れない。
実は、こちらの通路を選んだ事にはもう一つ理由があった。先程のように天井が崩落していて上層へ抜けられる穴があるかもしれないと期待したのだ。
だが、そちらの方は期待はずれだったようで、所々天井や壁が崩れているが、人間が通り抜けられるような大穴は空いていなかった。
瓦礫が散乱している事によって多少歩きにくくはあったが、目立った罠や分岐、そして魔物に遭遇する事も無く通路は続いた。
そうしてしばらく通路を進んだ俺達の前に、唐突にそれは姿を現した。
「――階段、だ」
「――階段ね」
「――ああ、階段だな」
通路の行き止まりにはぽっかりと穴が空いており、そこから昇り階段が延びていた。
下の階層で上へ昇る道を見付けるまでに苦労した事を思うと、今度はやけにあっさりと見つかった感がある。
まだリサ達との合流を果たしていないが、俺達はそのまま更に上層へ進む事にした。
余裕さえあればこの階層を隅々まで探索し、リサ達の姿がない事を確認してから上層へと昇る所だが、あいにくと今の俺達には、体力的にも食糧事情的にも余裕がない。少しでも余力のある間に、最上層への道を見つけ出す事が最優先だ。
それは、アインやリサ達と予め決めておいた「手筈」の通りでもある。
遺跡内ではぐれ、互いに余力がない場合は、闇雲に探索の手を広げて合流するのではなく、まずは脱出方法を確保することに全力を尽くす。それが、俺達の方針だった。
無論、感情的には今すぐにでもリサ達と――いや、リサと合流したいところだが……。
「――行きましょう」
不安を断ち切るように、俺はアーシュとドナールに声をかけ階段を上り始めた。
どちらにしろ、目指す出口は一つしかないのだ。上層に向かった方が出会える可能性も高まるだろう――と、無理矢理に自分を納得させる。
もし、今の階層にリサ達が居たとしても、いずれは床や壁に刻んだ俺のサインに気付くはずだ。
――きっと、大丈夫だ。
心中で自分にそう言い聞かせながら、ゆっくりと階段を上る。
階段は途中から弧を描き始めている。どうやら螺旋状になっているらしかった。
そのまま螺旋状の階段を上り続ける。
辺りに崩壊の痕跡はなく、同じ大きさの石を精密に積み重ねた壁と階段とが、延々と続いている。
あまりに精密すぎて、確かに歩を進めているのに、全く先に進んでいないかのような錯覚を覚えるくらいだ。
――めまいが、した。
ゆっくりと上っているからといっても、流石にそろそろ次の階層に辿り着いてもいい頃合いだ。
なのに、階段はまだまだ続いている。延々どころか、永遠に続いているかのように、長く果てない。
ドナールとアーシュの様子を窺う。
彼らもめまいを感じているのか、しきりに頭を振ったり、額に手を当てたりと、落ち着かない様子だ。顔色もすぐれない。
……そう言えば、罠の中には人間の感覚を狂わせるものもあったな、とぼんやりと思い出す。
視覚を惑わす面妖な模様を壁や床に描いたり、変化に乏しい風景の中で長時間過ごさせたりすることで、時間や距離の感覚を鈍らせる、というものだ。
この罠の恐ろしい所は、魔法を使っている訳でもなく、複雑な機械が仕込まれている訳でもない為、発見が難しいという点だ。
直接に命を脅かすものではなく、次第に感覚を麻痺させていくものなので、発見も遅れがちになる。
――もしや、この螺旋階段もその類のものか?
俺がにわかに警戒心を増した、その時。階段は唐突に終わりを告げた。
階段を上った先に、錆びついた鉄扉が姿を現したのだ。どうやら次の階層への入り口らしい。
注意深く罠の有無を調べる。アーシュの探知魔法でも危険が無いかどうか念入りに確認するが、どうやら問題無いようだった。
果たして、鬼が出るか蛇が出るか――。
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