第四話「忍び寄る異変」

01.楽園

「――これはまた、見事な……」


 傍らのアーシュが感嘆の声を漏らした。ドナールも驚きのあまり、口が開いたままになっている。

 かくいう俺も、ここが地下迷宮の中だという事を忘れてしまいそうな、眼の前の光景に釘付けになっていた。


 ――アンデッド達がたむろする回廊を抜けた先にあったのは、種々の草花が生い茂る植物の園だった。

 ドラゴン一匹が寝そべれるくらいの広い空間に、地下には場違いなほどの緑が広がっている。


「天井全体が光っているようだが……これも魔法かね?」


 ドナールの言葉に、やや高い位置にある天井を仰ぎ見る。確かに、天井全体が均等に光を放っているように見えた。

 地下深くにもかかわらず、美しい光に照らし出される瑞々しい植物たち――それはまるで楽園のような光景だった。つい先程まで、死体だらけの地獄にいた身には、眩しすぎるくらいだ。


「――恐らくは。この天井の灯りが陽の光の代わりになって、植物の成長を促しているんだと思います。

 地下植物園。確か、日照不足による不作への対策として、古代王国で考案された施設だとか。私も実物を見るのは初めてですが……。これはなんとも、興味深い……文献通りなら、園芸用の巨兵ゴーレムが設置されていて、植物の世話から掃除まで自動で行っているはず……興味深いですわ――」


 言うと、アーシュは興味深げに植物園の中を観察し始めた。

 知識欲に火が付いてしまったのだろう。時折、何やらぶつぶつ言いながらウンウンと一人頷いている。

 こうなった時の彼女は手が付けられない。地下迷宮に入ったばかりの頃も、珍しい魔法装置や魔物に出会うと危険も顧みず観察を始めて、俺達は難儀したものだった。


 ……今の所は、敵の気配も罠がある様子も見受けられない。

 とはいえ、アーシュを放置するわけにもいかない。の意味も含めて、彼女の後について俺も植物園の中を観察し始めた。ドナールもアーシュの悪癖をよく心得ているのか、無言で付いてくる。


 植物園には格子状に細い通路が無数に走っており、それによっていくつかの区画に分かれていた。

 それぞれの区画によって栽培されている植物の種類が異なるようだが、同時にある共通点もあった。


「ここにある植物の殆どは薬草ですね。いくつか名前が分からないものもありますが……」

「なるほどな。つまりここは植物園ならぬ『薬草園』という事か。――ふむ。薬草ならば、もしかすると食べられるものもあるのではないかね、ホワイト君?」

「……どうでしょうね、俺が見覚えのあるものは、どれも苦みが強くて食用には向かないものばかりみたいですが。アーシュさんならもう少し詳しいでしょうけど……あの様子だと、しばらくは手伝ってくれそうにないですね。

 ――それにドナール卿、どちらかというと?」

「……気付いていたのかね」

「ええ、先程から尋常じゃない位に汗をかいてますから。傷が痛むんですよね?」


 ――そう。ドナールは、しばらく前からひどく汗をかいていた。

 最初は彼の重装備のせいかとも思ったが、その汗の量は尋常ではない。彼の様子を注意深く観察していて、何やら無理矢理笑顔を浮かべている事が多いのに気付いたのだ。

 迷宮崩壊の時に負った傷が痛むのを、俺達に悟らせない為だろう。


 いや、正確には「俺達」ではなくアーシュに悟らせない為か。

 彼の負った傷は、アーシュを庇ってのものなのだ。彼女が気に病まぬよう、何でもない振りをしていたに違いない。


「そういう気遣いはドナール卿の美徳だと思いますが……今は生き抜く事を優先してください。肝心な時に動けなくなっているようでは、本末転倒です。

 いい薬草があったら、それで処置してから先に進みましょう」

「……すまん」


 ドナールが深々とこうべを垂れると、鎧がガチャリと音を立てた。


 彼が身に付けている全身鎧フルプレートは本来、全身を余すことなく包む鎧だ。だが、地下迷宮の探索にあたって、重量軽減と動きやすさを考慮した結果、いくつかのパーツを外してあった。

 腿の付け根や二の腕の一部、腰回りなど、主に関節に近い部分が欠けており、必然的に傷はその付近に集中している。


 だが、実は装甲の下の部分も酷い打撲傷を負っているのではないかと、俺はにらんでいた。

 本当ならば動くのも辛いのではないだろうか? 傷口に使うものも必要だが、痛み止めになる薬草もあれば助かる所だな、と改めて薬草園を見回す。

 ――すると、少々異様なものが目についた。


 は、丁度薬草園の中央に鎮座していた。

 赤黒く毒々しい色をしたそれは――「巨大な花」だった。肉厚な五枚の花弁を持ち、中央は大きく落ち窪んでおり、かめの如き様相を呈していた。どのくらい巨大かと言えば……恐らく中央部分にドナールがすっぽり入ってしまうほどだ。

 茎や葉は見当たらず、地面から直接花が生えているという所も異様さを感じさせる。


 そこいらを物色していたアーシュも、その巨大花に気付いたらしい。近寄って花弁を杖で突いたり、花の中央部を覗き込もうとしたりと、興味深げに観察し始めた。

 そちらはアーシュに任せて、俺は薬草探しを続けようと目を離した瞬間、それは起こった。


「きゃっ!?」


 突然のアーシュの悲鳴に振り返ると、そこには――


「ちょっと、何? !?」


巨大花の中央部からはい出た緑色のつた――いや触手がアーシュに絡みつき、その身体を縛り上げているという光景が待っていた。


「ア、アーシュさん!?」

「アーシュ殿!?」


 彼女の危機を察し、武器を手に駆け出す俺とドナールだったが――。


「――あっ、待って二人共! ……それ以上近づかないで」


 何故か、当のアーシュに制止されてしまった。

 触手が今も、アーシュの体に巻き付き、その身を縛り上げているにもかかわらず、だ。


「待ってって……アーシュさん。でも――」

「大丈夫。多分、このまま大人しく待っていれば……」


 ――アーシュはああ言っているが、本当に大丈夫なのだろうか?

 触手は容赦なくアーシュの身体に巻き付き締め付け、普段はゆったりとしたローブの下に隠されているその艶めかしいボディラインを露わにしていた。更にあろうことか、その先端はアーシュの豊満な胸や太ももをまさぐるように蠢いてさえいる。


『……』


 ――俺たち三人の間に、沈黙が落ちる。

 触手がアーシュの身をまさぐる衣擦れの音だけが辺りに響き、その度にアーシュの口から何かを我慢するような吐息が漏れ出す。

 ……正直、ちょっと気まずい。何か、見てはいけない光景を見ているような気分だ。

 傍らのドナールも、わざとらしく咳払いしているところを見るに、同じような気持ちなのかも知れない。


 ――そしてそのまま、しばらくの時が流れた。

 すると、触手は何事も無かったかのようにアーシュの体から離れ、巨大花の中へと戻っていってしまった。


「――ふぅ。予想通り大丈夫だったみたいね。……二人共、心配をかけてごめんなさい」

「……いえ、無事なら無事で良い事なんですけど……。あの花は、一体?」


 ケロッとしているアーシュの姿に安堵しながら尋ねてみる。


「多分だけど……食人植物マンイーターの一種ね。敵意を見せなければ襲ってこない所を見るに、この薬草園のなのだと思うわ」

「ゴミ箱……?」


 アーシュの口から飛び出した予想外の言葉に、思わずオウム返しに尋ねる。


「ええ。さっきね、花の中がチラッと見えたのだけれど、そこには溶けかけた草花の束があったの。

 文献によれば、古代王国の地下植物園は、人の手を借りる事なく巨兵ゴーレムが植物の世話を全て行うものだったらしいわ。今は見当たらないけれど、恐らく定期的に世話用の巨兵ゴーレムがやって来て、水やりをしたり、育ち過ぎた薬草を間引いたり、掃除をしたりしているんじゃないかしら?

 文献には、こうもあったわ。植物の世話の時に出たゴミや間引いた植物は、食人植物の亜種が処理しているって。その食人植物の亜種は、敵意を向けられない限り生き物を襲わないように品種改良されてる、ともね」


 ……自信満々に解説するアーシュだったが、もしあの食人植物がその亜種とやらじゃなく、普通に生き物を食べる方だったらどうするつもりだったんだろうか?

 どうも彼女には、そういった危なっかしい所があり、放っておけない。


 一方、ドナールの方はアーシュの言葉に感心したのか、何やらしきりに頷いていた。


「ほう、巨兵ゴーレムにそんな使い方があるとはな」

「あら、ドナール様。魔導の技は、何も戦いの為だけのものではないのですよ? 真理の探究や、人々の暮らしを良くする事こそ、魔術の本来の目的なんです。古代王国期には、人が操る必要のない馬車なんてものもあったらしいし」

「それはまた楽そうだな。……だが、それだけ便利だと堕落しそうで少し怖い、かもな」


 ハハハッ、と冗談めかして笑うドナール。

 だが、一方のアーシュは少しだけ表情を曇らせながら、言葉を続けた。


「……そうですね。ヴァルドネルが語っていた事にも通じますけど、古代王国が滅びた理由の一つは『便利になり過ぎて人々が向上心を捨ててしまったから』とも言われています。便利過ぎるのも考え物、という事かも知れませんね」


 アーシュのその言葉に、思わずドキリとする。

 そもそも、この薬草園は封印された地下迷宮の中にあって、長い年月を人間の手を借りずに存続してきたものだ。

 つまり、ここに人間は必要ない。


 ここは、植物と巨兵ゴーレムだけで成り立つ人間不要の「楽園」なのだ。

 そう考えると、この美しい光景も、何か空恐ろしいもののように思えてきて、俺は一人身震いするのだった――。

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